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   <title>凛和総合研究所</title>
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   <updated>2012-02-05T13:13:22Z</updated>
   <subtitle>このサイトは、代表者および国内外の客員研究員による
情報発信が主体です。発信テーマは多岐に亘りますが、
共通する底流として「スピリチュアリティー(spirituality)を心がけています。
更新は「代表者コラム」を主体に１・２ヶ月に一度程度行ってまいります。
是非またお立ち寄りください。</subtitle>
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   <title>Vol.121　日本仏教界、【3・１１】を契機に覚醒！　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　ーーー東日本大震災に思う（その９）</title>
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   <published>2012-02-05T05:27:17Z</published>
   <updated>2012-02-05T13:13:22Z</updated>
   
   <summary>私は、去る２００９年の年頭、“年の初めに日本仏教界の覚醒を願う！”　と題するやや...</summary>
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         <category term="0020その他仏教関連" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.linhwa.jp/">
      <![CDATA[私は、去る２００９年の年頭、<a href="http://www.linhwa.jp/2009/01/vol71_1.html#extended"target="_blank">“年の初めに日本仏教界の覚醒を願う！”</a>　と題するやや長文の思いを記させて頂きました。


その要旨は；

いよいよ終章に入った「西洋近代文明」、「一神教文明」、、、、、その次を担うべきは、“「仏教」なかんずく「八百万の神々」と混淆した『日本仏教』”　であると思うものの、かんじんの日本仏教界は明治維新以降今日に到る迄、四囲の情勢により殆ど休眠状態にある故、その早期覚醒を願う！

というものでした。


]]>
      <![CDATA[　　　　　（尚、『日本仏教』に関する私なりの理解は、Vol.25
　　　　　　　<a href="http://www.linhwa.jp/2006/03/vol25.html#extended"target="_blank">“神も仏も、山も川も・・・今こそ【日本仏教】の再評価を”</a>
　　　　　　　を、ご参照頂きたいと思います）









爾来満３年、私は今、“日本仏教界は【3・１１】を契機に覚醒した！”　と強く感じています。


以下に、私がそう感じる象徴的な出来事を三つ、新しい順に記させて頂きます。


（１）天台宗・真言宗、両トップが何と１，２００年ぶりに対話。


　　 ——天台宗開祖最澄（伝教大師）と真言宗開祖空海（弘法大師）は、最後
　　　　西暦８１２年に会った後、絶交状態となり、以降両宗トップ間の
　　　　対話は全くありませんでした。


　　——しかし昨年１２月２５日、<a href="http://www.tendai.or.jp/"target="_blank">天台宗</a>半田孝淳座主と<a href="http://www.koyasan.or.jp/index.html"target="_blank">高野山真言宗</a>総本山
　　　　金剛峯寺松長有慶座主とが対面され、大震災後の日本人はどうある
　　　　べきか、自然や環境とどう向き合うべきか等について、長時間
　　　　話し合われました。

　　 ——対談のまとめは、１月８日の読売新聞に掲載されていますが、
　　　　“今こそ平安仏教の「自然と一緒に生きる（共生）」という考え方を
　　　　生かす時代“　との共通認識が確認され、『宗教界が震災後の日本人の
　　　　生き方の支柱にならないといけないし、それがこれからの世界を
　　　　動かすことになると思うのです』という松長座主の言葉で締めくく
　　　　られています。

　　——１，０００年に一度の大震災、それに伴う原発事故が、１，２００年
　　　　ぶりの両宗トップの対話をもたらした訳で、何とも言えぬ感慨を
　　　　覚えます。




（２）<a href="http://www.jbf.ne.jp/"target="_blank">「全日本仏教会（「全仏」）」</a>は、昨年１２月１日、
　　　画期的な宣言文<a href="http://www.jbf.ne.jp/2011/12/post_214.html"target="_blank">『原子力発電によらない生き方を求めて』</a>を発表。


　　 ——これに関しましては、<a href="http://www.linhwa.jp/2011/12/vol119.html#extended"target="_blank">Vol.119“東日本大震災に思う（その８）”</a>に
　　　　記させて頂いた通りですが、正直なところ私は、
　　　　「全仏」のこれまでの活動状況等から考え、原発のように国論が
　　　　分かれる社会問題に対し、日本仏教界が連合体として統一見解・
　　　　方向性を打ち出せるとは思ってもいませんでした。

　　　　ここでも今回の大災害の衝撃の大きさを痛感致します。

　　 ——仏教界の取りまとめにあたっては、「全仏」会長、<a href="http://www.myoshinji.or.jp/"target="_blank">臨済宗妙心寺派</a>
　　　　河野太通管長が並々ならぬリーダーシップを発揮されたものと理解
　　　　していますが、
　　　　臨済宗妙心寺派単独では、既に昨年９月、『原子力発電に依存しない
　　　　社会の実現』と題する以下のような宣言文を発表しています。

　　　　仏教徒としての強い決意がうかがえます。
　　　　
　　　　　 “今年３月１１日に発生した東日本大震災に伴う原子力発電事故は、
　　　　　　世界中の人々の人生観に大きな衝撃を与えました。
　　　　
　　　　　　半年を過ぎた今日においても、未だ終わりが見えない状況で
　　　　　　多くの人々の生命（いのち）や人権が脅かされ、苦悩の日々を
　　　　　　余儀なくされています。

　　　　　　たとえ平和利用とはいえ、原子力による発電が人類の制御
　　　　　　できない危険な領域であると露呈した今、私たちは将来ある
　　　　　　子供たちのために一刻も早く原発依存から脱却し、これに代わる
　　　　　　安全なエネルギーへの転換に向け社会に働きかけなければ
　　　　　　なりません。

　　　　　　この度の様々な出来事は、すべての人々に心の豊かさ、安心
　　　　　　できる平和な生活とは何かを改めて問い直すよう促しています。

　　　　　　私たち仏教徒は、利便性や経済性のみを追求せず、仏教で説く
　　　　　　「知足（足るを知る）」を実践し、持続可能な共生社会を作る
　　　　　　ために努力することをここに決意し、宣言します。

　　　　　　　　　　　　　　　　　　２０１１（平成２３）年９月２９日

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　第１２１次定期宗議会
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　臨済宗妙心寺派教団
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　臨済宗妙心寺派宗議会　　　　

　　——「全仏」会長（任期２年）は、本年４月から前記天台宗半田座主が
　　　　勤められます。
　　　　新たなる視点での、半田（新）会長のリーダーシップにも大いに
　　　　期待をするものです。




（３）大震災物故者に対し、<a href="http://www.hachimangu.or.jp/"target="_blank">鶴岡八幡宮</a>と<a href="http://www.todaiji.or.jp/"target="_blank">東大寺（華厳宗大本山）</a>が、
　　　盛大な合同慰霊祭事・法要を執行。


　　 ——昨年６月１２日に鎌倉の鶴岡八幡宮で、９月１８日には奈良の
　　　　東大寺大仏殿で、いずれも盛大に執行され、被災地復興への合同の
　　　　祈りも捧げられました。

　　 ——神社とお寺が合同で大がかりな催しを行うことは、明治維新の
　　　　神仏分離令以降、殆ど無かったものと思われ、これまた極めて画期的
　　　　な出来事です。
　　　　神仏混淆の『日本仏教』の神髄を見る思いです。









上記から明らかな如く、“日本仏教界は間違いなく大きく動き始めた”　と言えますが、この三例が示しますように、奈良仏教（華厳宗）、平安仏教（天台宗・真言宗）、鎌倉仏教（臨済宗）のいずれでも動きが見られること、誠に心強い限りです。




私は、「宗教との関わり」という観点で、長い日本の歴史を４期に分けて捉えていますが、いよいよその第５期　“豊かで便利でかつ宗教心溢れる時代”　が始まるような予感がしています。



「西洋近代文明」、「一神教文明」を止揚した「新しい文明」の創造に向け、日本仏教界が今年更に一歩前進することを心から願っています。


　　　　　（尚、上記私流の「日本歴史の４区分」に関しましては、
　　　　　　<a href="http://www.linhwa.jp/2006/09/post_21.html#extended"target="_blank">Vol.29　“『宗教心溢れる時代』に向けて”</a>　をご参照
　　　　　　頂きたいと思います）

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（完）
　　　　
]]>
   </content>
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   <title>Vol.120　年の初めに思うこと　　———「日本の大転換」に向けて</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.linhwa.jp/2012/01/vol120_1.html" />
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   <published>2012-01-05T08:23:27Z</published>
   <updated>2012-01-05T14:15:12Z</updated>
   
   <summary>昨２０１１年は本当に大変な年でした。 しかし、千年に一度の大地震も、原発事故さえ...</summary>
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      <name>shinoda</name>
      
   </author>
         <category term="0030その他スピリチュアル分野" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.linhwa.jp/">
      昨２０１１年は本当に大変な年でした。

しかし、千年に一度の大地震も、原発事故さえ無ければ、今後数十年以上も引きずるような究極の大惨事にはなっていなかったことを想起する時、人智の浅はかさ・科学技術の罪深さに身震いする思いです。




社会学者上野千鶴子先生の、叫びにも似た次の言葉に胸を打たれます。

      <![CDATA[　　　　　　
　　　　“８・１５と３・１１とに、日本は二度の敗戦を迎えた。

　　　　　一度めは、みずからのおろかさによって。
　　　　　二度めもまた、みずからのおろかさによって。

　　　　　そして、その両者に核エネルギーが関わり、
　　　　　ひとと国土を壊滅的に破壊した。“


　　　　　　　　　　　　　　　　　（『脱原発を創る３０人の提言』）






その「核エネルギー」に関し、思想家・人類学者の中沢新一先生は、３・１１後の論考『日本の大転換』（集英社新書）において、「原発」と「一神教」と「資本主義」は実は同根であると喝破され、わが国の命運は、その根から生まれた現行文明を、仏教的な文明に大転換出来るかどうかにかかっている旨述べておられます。


この大惨事は、“「西洋近代文明」の一つの必然的結果”　と捉えていた私としては、わが意を得た思いです。
　

　　　　　　　（そのことにつきましては、震災１０日後に記しました、
　　　　　　　　<a href="http://www.linhwa.jp/2011/03/vol106.html#extended"target="_blank">“東北関東大震災を機縁に、「新文明」の模索を！”</a>を
　　　　　　　　ご覧頂ければと存じます）






さて昨年の年頭、私は、アンドレ・マルローの、“２１世紀はスピリチュアルな時代となるであろう。さもなくばそれは存在しない”　になぞらえ、


　　　　 “２１世紀の日本人は再びスピリチュアルになるであろう。
　　　　　そして世界を変えてゆくであろう。
　　　　　さもなくば日本人も、そして２１世紀も存在しない“


と記しましたが、震災を契機に私たち日本人は間違いなくスピリチュアルに戻り始めたと強く感じています。





昨年の漢字に、圧倒的多数で『絆』が選ばれたことが、そのことを端的に示していますし、GNH（国民総幸福度）で知られるブータン国王夫妻の来日・福島訪問もあって、人々は『真の幸福とは何か？』を問い直し始めたように見受けられます。

また、震災に加え、９月には台風による豪雨災害などもあり、自然に対する畏怖・畏敬の念があまねく復元しつつあります。

そうした状況下、大晦日のNHK紅白　“あしたを歌おう”　では、深く心にしみ入る曲が例年にも増して数多く歌われていた気がします。


昨年は正に、『スピリチュアル復活元年』でありました。


　　　　　　　（尚、上記私の昨年の年頭の思い、
　　　　　　 　<a href="http://www.linhwa.jp/2011/01/vol103second_decade.html#extended"target="_blank">“２１世紀Second decadeの始まりにあたって“　</a>は、
　　　　　　　　近代のこと、２１世紀のこと、わが国の可能性などに関し、
　　　　　　　　私が強い共感を覚えた次の方々の言葉を転載したものです。

　　　　　　　　　　　　　（記載順・敬称略）

　　　　　　　　梅原猛・山折哲雄・天外伺朗・伊東光晴・町田宗鳳・
　　　　　　　　渡辺京二・寺島実郎・清水博・五木寛之

　　　　　　　　震災後の今、それらの言葉は一段と胸に迫ります）






さてしからば、『スピリチュアル復活２年目』の今年、最も大切なことは何か？


私は、『復活元年』に感じたこと、考えたこと、願ったことなどを決して忘れず、その思いを深化・発展させて行くことであろうと思っています。


『瞬間菩薩』という言葉があります。

ある瞬間には、優しい気持ち・仏の心が芽生えても、すぐ元に戻ってしまうことを指しますが、同様に私たちは『瞬間スピリチュアル』であってはなりません。


顧みれば、１７年前の「１・１７神戸」の時は、私たちはおしなべて『瞬間スピリチュアル』であったと言えますが、日本人が、中沢新一先生の言われるような「文明の大転換」を成し遂げ、世界を変えてゆくためには、『スピリチュアルの持続』が必要不可欠と信じます。





今年もまた、わが国にのみならず世界的にも政治が漂流し、政府と国民はますます離反して行くものと想像されるだけに、国民一人一人が自立した『気高い精神性（スピリチュアリティー）』を涵養し開花させて行くことは一層重要と考えています。



その為には、つとめて動物や植物、自然と親しみ、「命」の尊さ・はかなさを体感しつつ、『共生感』を取り戻すことが肝要です。


そしてその観点から、大自然と文字通り一体となって心豊かに暮らしていた、アイヌやアメリカン・インディアンなど先住民の方々の思想・文化に改めて触れ、学ぶことは、震災後の私たちに新たな気付きと示唆をもたらしてくれ、極めて有意義と考えます。

アイヌ文化につきましては、<a href="http://www.frpac.or.jp/"target="_blank">財団法人アイヌ文化振興・研究推進機構のサイト</a>が先ずはお奨めです。
私もささやかながら同財団の賛助会員の一人です。






本稿の締めくくりとして、以下に天才アイヌ少女、知里幸恵（ちりゆきえ）さんの、祈りにも似た切々たる名文の願いを転載します。


彼女は１９０３年（明治３６年）北海道登別生まれ、１５才で民俗学者金田一京助と出会い、アイヌ民族の文化・伝統を後世に残すべくカムイユカラ（口承叙事詩）の日本語訳に取り組み、『アイヌ神謡集』を編纂、しかしその校正終了直後の１９２２年９月（大正１１年）金田一邸で急逝、享年１９才。
言語学者で（元）北大教授の知里真志保氏（１９０９〜１９６１）は実弟。


以下は、１９２３年８月に出版された、その『アイヌ神謡集』の序文で、１９２２年３月に書かれたものです（現代仮名遣いに直しました）　


　
　　　　　　　　　　——————————————————


　　　　　　　　　　　　　　　　　序

　
其の昔此の広い北海道は、私たちの先祖の自由の天地でありました。天真爛漫な稚児の様に、美しい大自然に抱擁されてのんびりと楽しく生活していた彼等は、真に自然の寵児、何と云う幸福な人だちであったでしょう。


　冬の陸には林野をおおう深雪を蹴って、天地を凍らす寒気を物ともせず山又山をふみ超えて熊を狩り、夏の海には涼風泳ぐみどりの波、白い鴎の歌を友に木の葉の様な小舟を浮べてひねもす魚を漁り、花咲く春は軟らかな陽の光を浴びて、永久に囀づる小鳥と共に歌い暮して蕗とり蓬摘み、紅葉の秋は野分に穂揃うすすきをわけて、宵まで鮭とる篝も消え、谷間に友呼ぶ鹿の音を外に、円かな月に夢を結ぶ。嗚呼何という楽しい生活でしょう。平和の境、それも今は昔、夢は破れて幾十年、此の地は急速な変転をなし、山野は村に、村は町にと次第々々に開けてゆく。


　太古ながらの自然の姿も何時の間にか影薄れて野辺に山辺に嬉々として暮らしていた多くの民の行方も又何処。僅かに残る私たち同族は、進みゆく世のさまにただ驚きの眼をみはるばかり。而も其の眼からは一挙一動宗教的観念に支配されていた昔の人の美しい魂の輝きは失われて、不安に充ち不平に燃え、鈍りくらんで行手も見わかず、よその御慈悲にすがらねばならぬ、あさましい姿、おお亡びゆくもの・・・・・それは今の私たちの名、何という悲しい名前を私たちは持っているのでしょう。


　其の昔、幸福な私たちの先祖は、自分の此の郷土が末にこうした惨めなありさまに変ろうなどとは、露ほども想像し得なかったのでありましょう。


　時は絶えず流れる、世は限りなく進展してゆく。激しい競争場裡に敗残の醜をさらしている今の私たちの中からも、いつかは、二人三人でも強いものが出て来たら、進みゆく世と歩をならべる日も、やがては来ましょう。それはほんとうに私たちの切なる望み、明暮祈っている事で御座います。


　けれど・・・・・・・愛する私たちの先祖が起伏す日頃互に意を通ずる為に用いた多くの言語、言い古し、残し伝えた多くの美しい言葉、それらのものもみんな果敢なく、亡びゆく弱きものと共に消失せてしまうのでしょうか。おおそれはあまりにいたましい名残惜しい事で御座います。


　アイヌに生れアイヌ語の中に生いたった私は、雨の宵雪の夜、暇ある毎に打集うて私たちの先祖が語り興じたいろいろな物語の中極く小さな話しの一つ二つを拙ない筆に書連ねました。


　私たちを知って下さる多くの方に読んでいただく事が出来ますならば、私は、私たちの同族祖先と共にほんとうに無限の喜び、無上の幸福に存じます。

　　　　大正十一年三月一日
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　知　里　幸　恵


　　　　　　　　　————————————————————

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（完）
]]>
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   <title>Vol.119 東日本大震災に思う（その８)　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　ーーー原発に関する全日本仏教会の宣言文ご紹介　 　　　　　　　</title>
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   <published>2011-12-11T13:21:40Z</published>
   <updated>2011-12-13T01:28:30Z</updated>
   
   <summary>東日本大震災から今日でちょうど９ヶ月。 復興庁設置法はようやく一昨日成立しました...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.linhwa.jp/">
      東日本大震災から今日でちょうど９ヶ月。



復興庁設置法はようやく一昨日成立しましたが、この問題に限らず、昨今のわが国政治の機能不全・スピード不足は目を覆うばかりです。

これでは大阪の橋下旋風もむべなるかなですが、一方、こうした旋風の行き着く先には大いなる懸念も抱かざるを得ません。

      <![CDATA[

「まともな政治の復活」を望むや切ですが、さてそうした中、<a href="http://www.jbf.ne.jp/"target="_blank">全日本仏教会</a>（全仏）が去る１２月１日、原発問題に関する宣言文を発表していますので、ご紹介させて頂きます。





全仏は、わが国の新旧仏教教団の大多数が参集する財団法人ですが、原発のような個別の社会問題に対し宣言文を出すということはこれまであまり例が無かっただけに、私は今回の発信を高く評価すると共に、今後も現代社会の諸問題に対し、仏教の教えの立場から積極的に発信を続けて行って欲しいと願っているところです。




宣言文は、「原子力発電によらない生き方を求めて」とのタイトルの下、


　　　　“「いのち」を脅かす原子力発電への依存を減らし、
　　　　　原子力発電に依らない持続可能なエネルギーによる社会の
　　　　　実現を目指し、

　　　　　　　　　　      （中略）

 　　　　　過剰な物質的欲望から脱し、足ることを知り、
　　　　　自然の前で謙虚である生活の実現にむけて最善を尽くし、
　　　　　一人ひとりの「いのち」が守られる社会を築くことを
　　　　　宣言いたします。“

と結んでいます。  


全文はこちらです。　ご一読をお薦めします。

　　<a href="http://www.jbf.ne.jp/2011/12/post_214.html"target="_blank">http://www.jbf.ne.jp/2011/12/post_214.html</a>
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（完）　　
]]>
   </content>
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   <title>Vol.118　『四弘誓願』　——修行者の四つの誓いーー</title>
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   <published>2011-12-07T07:08:10Z</published>
   <updated>2011-12-07T12:57:51Z</updated>
   
   <summary>『四弘誓願』（しぐせいがん）は仏教の言葉で、「悟り」を得ようと修行を始める者が、...</summary>
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   </author>
         <category term="0020その他仏教関連" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.linhwa.jp/">
      『四弘誓願』（しぐせいがん）は仏教の言葉で、「悟り」を得ようと修行を始める者が、先ず誓うべき次の四つの根源的な願いです。


　　　　　（１）	衆生無辺誓願度　（しゅじょうむへんせいがんど）
　　　　　（２）	煩悩無数誓願断　（ぼんのうむしゅせいがんだん）
　　　　　（３）	法門無尽誓願学　（ほうもんむじんせいがんがく）
　　　　　（４）	仏道無上誓願成　（ぶつどうむじょうせいがんじょう）

      <![CDATA[　
　　　　　　　　　（宗派により一部別の語句が使われていますが、
　　　　　　　　　　内容は基本的に同じです）



【むへん・むしゅ・むじん・むじょう】、【せいがんど・せいがんだん・せいがんがく・せいがんじょう】と、主語以外は全て韻を踏んでおり、声を出して唱えるべきものとされています。



それぞれの意味は次の通りです。


（１）	衆生無辺誓願度

　　　　“出来るだけ多くの人を救い導くことを誓う”

　　　　　　　（最後の「度」は「済度」の「度」で、『利他』の誓いと
　　　　　　　　言えます）

（２）	煩悩無数誓願断

　　　　“数限りない『煩悩』を断つことを誓う”

　　　　　　　（『煩悩』に関しましては、
　　　　
　　　　　　　　　　　<a href="http://www.linhwa.jp/2008/02/vol54.html#extended"target="_blank">Vol.54　“この世の「三毒」”</a>　及び
　　　　　　　　　　　<a href="http://www.linhwa.jp/2008/03/vol55.html#extended"target="_blank">Vol.55　“『煩悩』と近代社会”</a>

　　　　　　　　をご参照頂きたいと思います）

（３）	法門無尽誓願学

　　　　“尽きることの無い仏の教えを全て学ぶことを誓う”

（４）	仏道無上誓願成

　　　　“この上ない「悟り」に到達することを誓う”

　　　　　　　（最後の「成」は、「成就」の「成」です）




それら四つの誓いの下、修行者に課せられた具体的な実践課題が、『六波羅蜜』（ろくはらみつ）と呼ばれるもので、

　　　　　布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧

の六つですが、それにつきましては、<a href="http://www.linhwa.jp/2007/12/vol52_1.html#extended"target="_blank">Vol.52　“『無財の七施（しちせ）』　———誰にでも出来る「布施（ふせ）」のすすめ“　</a>をご覧頂きたいと思います。




日々『四弘誓願』を唱え、『六波羅蜜』を心がけていれば、凡夫であっても、「悟り」には至らぬまでも『霊格』は少しずつ上がって行くものと考えています。

　　　　　（『霊格』につきましては、

　　　　　　　　　<a href="http://www.linhwa.jp/2011/10/vol115.html#extended"target="_blank">Vol.115　“『霊魂』のこと、『霊格』のことなど”</a>　を

　　　　　　ご一読賜ればと思います）

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（完）
]]>
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   <title>Vol.117　東日本大震災に思う（その７）　　　　　　　　 　　　　　　　　———原発問題に関する旧友からの「怒りのメール」ご紹介</title>
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   <published>2011-11-15T05:44:44Z</published>
   <updated>2011-11-15T06:35:49Z</updated>
   
   <summary>立冬も過ぎ、大震災後はや九ヶ月目に入りました。 東北の厳しい冬がまたやってきます...</summary>
   <author>
      <name>shinoda</name>
      
   </author>
         <category term="0070その他政治・社会分野" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.linhwa.jp/">
      立冬も過ぎ、大震災後はや九ヶ月目に入りました。
東北の厳しい冬がまたやってきます。

被災された方々、原発事故によりいまだ避難生活を強いられている方々に、改めて心からお見舞いを申し上げます。

      <![CDATA[　　
　　　　　
　　　　　（大震災についての私のこれまでの思い等は、以下の通りです）


　　　　　　３月２１日　<a href="http://www.linhwa.jp/2011/03/vol106.html#extended"target="_blank">“東北関東大震災を機縁に、「新文明」の模索を！”</a>

　　　　　　４月１７日　<a href="http://www.linhwa.jp/2011/04/vol107.html#extended"target="_blank">“「脱原発」を決断し、「電力多消費文明」との
　　　　　　　　　　　　　訣別を！
　　　　　　　　　　　　　　　　　——東日本大震災に思う（その２）“</a>

　　　　　　４月２６日　<a href="http://www.linhwa.jp/2011/04/vol108.html#extended"target="_blank">“東日本大震災に思う（その３）
　　　　　　　　　　　　　——原発事故に関連しての二つの声明文ご紹介“
</a>
　　　　　　６月１１日　<a href="http://www.linhwa.jp/2011/06/vol110.html#extended"target="_blank">“東日本大震災に思う（その４）
　　　　　　　　　　　　　　——「科学技術」と「歴史の進歩」について“</a>

　　　　　　７月９日　<a href="http://www.linhwa.jp/2011/07/vol110_1.html#extended"target="_blank">　“東北から「日本仏教＝日本の心」を国中へ再び！
　　　　　　　　　　　　　そして世界へも！
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　——東日本大震災に思う（その５）</a>

　　　　　　７月２４日　<a href="http://www.linhwa.jp/2011/07/vol112_1.html#extended"target="_blank">“天外伺朗さんの描く「１００年後の東北・日本」
　　　　　　　　　　　　　ご紹介　　　　——東北大震災に思う（その６）“</a>






さて、この間のわが国の政治は、「目立ちたがり屋の市民運動家」からまるで成長していなかった菅首相の失政・政治空白・後継野田政権の、自民党もビックリの「属米路線」への急傾斜等々、ここ数年続いている『政治の漂流』は、ますます深みにはまりつつありように思えます。


ただ、目を海外に転じましても、欧州危機・オバマの失墜・反格差デモの世界的広がり・ドル、ユーロの凋落等々、『政治の漂流』はわが国と大同小異と見受けられます。




一体なぜそういうことになっているのか？




私は、その根本原因は、「資本主義」が冷戦終結後、誰はばかること無く暴走・拡大を続け、今や制御不能に陥っているところにあると考えています。

マルクス流に言えば、「制御不能の下部構造（経済）が、上部構造（政治）を『漂流』させている」ことになります。





昨今の世界的な『政治の漂流』が問うているのは、「資本主義」そのもの、更に言えば「近代という時代」そのものであろうと考えているところです。





　　　　　　（因みに、私は、<a href="http://www.linhwa.jp/2011/09/vol104_1.html#extended"target="_blank">Vol.114　“この世の「因果」に思う”</a>　に
　　　　　　　記させて頂きましたように、「ポスト近代」の経済は、
　　　　　　　「資本主義」と「マルクス主義」とをアウフヘーベンした、
　　　　　　　「幸福主義経済システム」によって運営されているものと
　　　　　　　想像しています）





さて、話しは大震災に戻りますが、過日私の三井物産時代の同僚である齊藤紀夫氏から、原発事故にからんで「怒りのメール」が届きましたので、ご本人の了解を得て、以下にその中核部分を転載させて頂きます。


氏は、フランス留学を経て、ベルギー・イタリア両国にも勤務の欧州通ですが、ミラノ在勤時にチェルノブイリ事故に遭遇、牛乳・野菜等、特に３人のお子さんの食材に日々心労を重ねられた体験をお持ちです。


（尚、上記３月２１日付けの　<a href="http://www.linhwa.jp/2011/03/vol106.html#extended"target="_blank">“東北関東大震災を機縁に、「新文明」の模索を！”</a>　に記しましたように、私は、チュルノブイリ事故発生時モスクワに在勤中であり、氏と私は、「原発事故体験」を共有しています）



以下がその「怒りのメール」です。

「事故体験者ならではの熱い思い」と私は受け止めています。



　　　　　　　　　——————— ————————————


　　　　　　　　　　　　　　（前略）

　
　　　　　事故発生後八ヶ月が過ぎた現在も、除染問題を含め一向に終息の目途は立たず、発生原因の究明も未完の状態でありながら、一部の政治家・地元自治体・原子力学者・マスコミなどが、相も変わらず『無節操な原発推進』から一向に転向しようとしないのは、まともな国の、まともな考えの人間であるとは到底考えられません。
　

福島の児童は、未だ満足に屋外にも出られず、マスクをかけながら通学している現状を彼ら推進一派はどう理解しているのでしょうか？

目の前の金・利権に囚われ、将来の子孫が放射能に晒されるリスクを無視したまま、一向に方針を見直そうとしないのはとてもまともな思考の持ち主だとは思えません。　

　　
　
　　　　　大震災発生直後、海外では日本国民の冷静沈着な対応に称賛・驚きの声が上がりましたが、いつまでも冷静に対応する・おとなしいだけが良いのかどうか、今の時点では疑問に感じられます。

福島の被害住民を筆頭に、我々は東京電力や国に対し、『もっと激しく怒るべき』と信じます。


　　　　　今日この日も引き続き放射能物質がばら撒かれていることを、どの程度の国民が認識しているのでしょうか？


逆の意味の「報道の自由」——即ち『報道しない自由』——を享受する日本の主要マスコミの影響もあるのでしょうが、国民は本件の実態を知るべく、もっと当事者意識・危機意識を持っていろんなアンテナをめぐらすべきであり、それだけの価値はあると確信します。
　
報道が本来の機能を十分には果たしていないことで、どうも無関心過ぎるのではないのか、と懸念しております、、、、防衛・領土問題を含め。

 



　　　　　海外では　ヒロシマ、ナガサキと並び、『フクシマ』が歴史に名を残すようですが、原爆・原発被害国から今や『放射能加害国』となったことを、もっと国民全員が認識すべきではないでしょうか。　
　

日本では、東の風が吹けば放射能物質は太平洋に行ってしまうので問題解決とも捉えられていますが、東方に流れれば　ハワイ・米国西岸に、更には微量ながらアルプスまで到着することに考えが及ばないのは甚だ自己中の考えというもので、国際的にはとても許されないないことでしょう。

先般の国連でも、残念ながら野田新首相は放射能を世界に撒き散らしたことを謝罪したとは報道されていないことからも、この国の問題意識の欠如が分かるというものです。


　
　　　　
　　　　　被災者を自宅に戻す・戻れる云々も理解できますが、ヒロシマの20倍以上の放射能物質が拡散し、今や『汚染列島』と云われても仕方がないのが現状であり、まことに遺憾ながら半径２０kmどころか８０kmでも半永久に居住不適な土地となったのではないかと危惧しております。


　
　　　　　原発稼働率が30%だから原発は不可欠だ、さもないと企業を含め大幅な節電を強いられることになるというのも、営利企業たる発電業者の一方的な言い分でしょう。

原発は鉄鋼産業の高炉と似ており、一旦停止させるとすぐには稼働させられないが故に、昼間のみならず夜間も稼働させておく必要があることから、数字上では原発30%となる訳です。

しかしながら、LNGガスタービンの増設に加え、休止中の火力・揚水発電所を稼働させれば、東電管内で実施された計画停電も実際は不要であった、というのが実情です。
　
即ち、原発が全て停止しても、電力供給力に致命的な問題は生じないというのが今回学び取った結論と考えています。
 




　　　　　また、原発はコストが安いというのは、推進論者のいわば『でっち上げ』であり、遠隔地から電力を供給するための長い送電線コスト、使用済み核燃料の万年単位での処理費用、更には地元自治体への懐柔費用（協力金支払い）、原発を動かすために必要不可欠な電力代を考慮しただけでも、とても安いコストとは言えず、また本来であれば毎年度引当金を計上すべき今回のような膨大な補償金や廃炉費用を加味すれば、コストは断然高く、とても経済的とは言えません。

万年単位を要する使用済み核燃料の処理・保管問題、今回のような汚染土壌処理問題に加え、使用済み核燃料の最終処理場も未定です。

　
　　　　
　　　　　　万一の場合　『人間が管理不能となるリスクを包含している』原発を保持し続ける意味は、一体どこにあるのでしょうか。　　


　　　　　一挙に全原発停止とは言わないまでも、これからは新規設置を一切認めず、３０年超のものから順次廃炉に持ちこんで行きたいものです。

　

　　　　　今回の事故発生までの、こうこうと照らす明る過ぎる照明（無駄使い）を反省し、節電継続・省エネ製品の開発拡大に努めれば、北海道の冬も、来年の盛夏も乗り切れるはずと信じます。　

　


　　　　　どなたかが言われた如く、この未曾有の事故を踏まえ、これからの我国は、1960年代から長く続いてきた経済大優先・仕事一筋の『父性社会』から、人にやさしい・本来の人間らしい生活が出来る『母性社会』に転換すべきではないのでしょうか。

経済が或る程度犠牲になり、国力が多少衰えたとしても、その方が住環境・食料に日々心配しながら生活していくよりも、はるかに賢明であると信じる次第です。

　　　　　　　　　　　　　　　（後略）

　　　　　　　　　　　ーーーーーーー———————————————
　　
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（完）
]]>
   </content>
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   <title>Vol.116 『霊魂』のこと、『霊格』のことなど（その２） 　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　———『涅槃』目指して！</title>
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   <id>tag:www.linhwa.jp,2011://1.172</id>
   
   <published>2011-11-03T08:55:09Z</published>
   <updated>2011-11-07T04:00:50Z</updated>
   
   <summary>Vol.115 “『霊魂』のこと、『霊格』のことなど”　に記させて頂きましたよう...</summary>
   <author>
      <name>shinoda</name>
      
   </author>
         <category term="0030その他スピリチュアル分野" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.linhwa.jp/">
      <![CDATA[<a href="http://www.linhwa.jp/2011/10/vol115.html#extended"target="_blank">Vol.115 “『霊魂』のこと、『霊格』のことなど”</a>　に記させて頂きましたように、私は、


（１）	私たちひとりひとりの「存在の本質」は、『霊魂』（魂、魂魄）
　　　であり、肉体は『霊魂』が「この世」でお世話になる「生命を
　　　持った舟」
]]>
      <![CDATA[（２）『霊魂』は、「舟」（肉体）の寿命が尽きるのを見届けると、
　　　すうっとそこから離れ「あの世」へ

（３）そしていずれまた「この世」に舞い戻り、別の「舟」に乗って
　　　新たな修行

（４）『霊魂』は、「この世」と「あの世」を何十回、何百回も行ったり
　　　来たりし（「輪廻転生」）、修行を繰り返すことによって、
　　　そのレベル（『霊格』）が少しずつ上昇


と考えています。


　　　　　　　　（この点、<a href="http://www.linhwa.jp/2005/09/vol21.html#extended"target="_blank">Vol.21 “「この世」と「あの世」
　　　　　　　　　　　　　　　　　魂のこと、輪廻転生のこと“</a>　も
　　　　　　　　　併せご覧頂ければと思います）　　　






さてそれでは、『霊魂』は未来永劫「輪廻転生」を繰り返すのか？


ゴールは何処なのか？　『霊格』の最上位は何なのか？　　

私は、仏教で言う『涅槃』（ねはん、サンスクリット語で「ニルヴァーナ」）がそれに当たると考えています。　　　



　　
「この世」の『四苦八苦』を何度も乗り越え、清く正しく「輪廻転生」を繰り返して行きますと、『霊魂』は究極的には『涅槃』に辿り着きます。

それは、「煩悩」の火が完全に消え去った絶対平安、寂静の境地です。　　





そして、そこまで到達しますと、もはや修行の必要が無く、『霊魂』は「輪廻転生」から解き放たれて二度と「この世」には戻らず、恐らくは宇宙の星になるものと想像しています。　



　　
『涅槃』を目指し、星になることを夢見て、一歩ずつ！　　




　　　　　　　　（尚、『四苦八苦』は、もともとは仏教の言葉で、
　　　　　　　　　生・老・病・死の四つの基本的な苦しみと、
　　　　　　　　　次の四つを合わせたものです。

　　　　　　　　　愛別離苦（あいべつりく）

　　　　　　　　　　　愛する人・好きなものと別れ離れる苦しみ

　　　　　　　　　怨憎会苦（おんぞうえく）

　　　　　　　　　　　怨み憎む人・いやなものと会う苦しみ

　　　　　　　　　求不得苦（ぐふとくく）

　　　　　　　　　　　求めるものが得られない苦しみ

　　　　　　　　　五蘊盛苦（ごうんじょうく）

　　　　　　　　　　　五蘊は、色・受・想・行・識の五つで、
　　　　　　　　　　　心と体の全ての働きを指しますが、
　　　　　　　　　　　それらが強すぎる苦しみ　　　　　　　　　）
　　　　　　　　　　

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（完）

]]>
   </content>
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<entry>
   <title>Vol.115　『霊魂』のこと、『霊格』のことなど</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.linhwa.jp/2011/10/vol115.html" />
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   <published>2011-10-10T15:08:45Z</published>
   <updated>2011-10-10T15:33:54Z</updated>
   
   <summary>『霊魂』という言葉・概念は、近代科学の世界には存在しません。 がしかし、『霊魂』...</summary>
   <author>
      <name>shinoda</name>
      
   </author>
         <category term="0030その他スピリチュアル分野" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.linhwa.jp/">
      『霊魂』という言葉・概念は、近代科学の世界には存在しません。



がしかし、『霊魂』はどの国語辞典にもちゃんと掲載されており、例えば大辞泉には次のように記されています。

      <![CDATA[　
　  　“肉体と別に、それだけで一つの実体をもち、肉体から遊離したり、
　　　死後も存続することが可能と考えられている非物質的な存在。
　　　魂。魂魄（こんぱく）。“


また大辞林でも、


　　  “肉体に宿ってそれを支配し、精神現象の根源となり、
　　　肉体が滅びても独立に存在することのできるもの。
　　　たましい。霊。“


と、ほぼ同様の説明がなされています。





『霊魂』（魂・魂魄）とは、私たちひとりひとりの「存在の本質」であり、「この世」と「あの世」とを何度も何度も行ったり来たり（輪廻転生）しているもの、

一方、「肉体」とは、『霊魂』が「この世」で乗る「生命を持った舟」のようなものと私は捉えています。





『霊魂』と「舟」は、文字通り一心同体となって、「この世」を過ごしますが、「舟」のエンジン（心臓）が止まり冷たくなりますと、『霊魂』はすうっと「舟」から離れ、「あの世」へ還って行きます。

この場合、その『霊魂』には、その「世」で見たり聞いたりしたことが全て刷り込まれていることは言う迄もありません。





さて、『霊魂』が乗る「舟」は人間に限らず、ある「世」では動物であったり、ある「世」では植物であったりもします。

人間の場合でも、ずっと男の「舟」に乗っていたのに、ある「世」では女の「舟」に乗ったり、またその逆もあります。
（因みに、最近はその状態をGIDーーGender Identity Disorder——「性同一障害」という病気と判定しています）





魅せられたように買ってしまった愛犬に、亡くなった母親の『霊魂』が乗っていたり、庭の赤いバラに早逝した妹の『霊魂』が乗っていたり、、、、、そういうことに気付き始めますと、生きとし生ける全てのものが限りなく尊く、また愛おしく思えてきます。


お釈迦様が『不殺生戒——殺すなかれーー』と説かれた真意が分かるような気がします。


　　　　　　　（『不殺生戒』につきましては、

　　　　　　　　Vol.16 <a href="http://www.linhwa.jp/2005/01/vol16.html#extended"target="_blank">“「不殺生戒」を今あらためて”</a>を、

　　　　　　　　ご参照頂ければと思います）




ところで、『霊魂』にも「格」があり、それを『霊格』と呼びます。


『霊格』は国語辞典には掲載されていませんが、それは『霊魂』の何度にも亘る「この世」での生きざまによって決まってきている、極めて厳格でごまかしのきかないものです。





人は「この世」では、職業・地位・経済力などといった唯物的尺度によって、「格付け」がなされていますが、「あの世」ではそんな尺度は一切存在せず、あるのは『霊格』だけです。


「この世」で権勢をほしいままにしていた人でも、『霊格』が低過ぎれば「あの世」では地獄に住むことになりますし、逆に「この世」では市井の一介の主婦であった人が、「あの世」では高級霊として光り輝いていたりします。




げに恐ろしきは『霊格』であり、何とかして「格」を上げたいものですが、前述のようにそれは、これまでの数限りない輪廻転生を通じて決まってきているものに付き、「格付け変更」は、一朝一夕はおろか、一回や二回の「この世」では、なかなか出来るものではありません。




そのことを先ず冷静に認識し、しかし決してあきらめず、

　　　“「この世」は『霊格』向上に向けての修行の場”

と捉え、地道に「八正道」を実践し続けることが肝要と考えています。


　　　　　　　　（「八正道」に関しましては、

　　　　　　　　　Vol.47　<a href="http://www.linhwa.jp/2007/10/vol47.html#extended"target="_blank">“この世の「四諦」”</a>を、

　　　　　　　　　ご参照頂きたいと思います。

　　　　　　　　　また関連し、Vol.6 <a href="http://www.linhwa.jp/2004/02/post_15.html#extended"target="_blank">　“この世は「修行」“</a>　
　　　　　　　　　もお読み頂ければと思います）
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（完）

　　　　　　　　　　
]]>
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>Vol.114  　この世の「因果」に思う</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.linhwa.jp/2011/09/vol104_1.html" />
   <id>tag:www.linhwa.jp,2011://1.170</id>
   
   <published>2011-09-01T12:26:06Z</published>
   <updated>2011-09-01T13:04:35Z</updated>
   
   <summary>「因果」の「因」は原因の因、「果」は結果の果です。 Aという原因によって、Bとい...</summary>
   <author>
      <name>shinoda</name>
      
   </author>
         <category term="0010「この世」シリーズ" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.linhwa.jp/">
      「因果」の「因」は原因の因、「果」は結果の果です。

Aという原因によって、Bという結果が生じた場合、『AとBには「因果関係」がある』ことになります。

      <![CDATA[

この世の全ての出来ごとには、それが起きる原因が必ずあり、原因なしには何ごとも起きないと考えていますが、

ここでの重要なポイントは、“「因果」をどの『時空』で捉えるか”　であると思っています。






この点、「西洋近代合理主義」は、「因果」を目に見える範囲、検証可能なものだけに限定しました。

そしてそれを基に「近代科学」が生まれ、人類はここ二・三世紀の間に驚くべき物質的発展をなし遂げました。



しかし一方、「近代文明」には今やどす黒い影が射し始め、私たちは大変大きな曲がり角に差しかかっていることもまた間違いのないところです。


　　　　　（この点詳しくは、<a href="http://www.linhwa.jp/2004/02/post_16.html#extended"target="_blank">Vol.7　“「近代合理主義」の功と罪”</a>を
　　　　　　ご参照頂ければと思います）






「近代合理主義」以前、人々は「因果」をもっとのびやかに、『時空』を超えて捉えていました。
　　　　　　

例えば、仏教詩人坂村真民（１９０９〜２００６）の『念ずれば　花ひらく』という次の詩は、「念ずる」という原因によって「花が開く」という結果が生じることを慎ましやかに詠っています。


　　　　　　  　 “念ずれば
　　　　　　　　花ひらく

　　　　　　　　苦しいとき
　　　　　　　　母がいつも口にしていた
　　　　　　　　このことばを
　　　　　　　　わたしもいつのころからか　
　　　　　　　　となえるようになった
　　　　　　　　そうしてそのたび
　　　　　　　　わたしの花がふしぎと
　　　　　　　　ひとつひとつ
　　　　　　　　ひらいていった“







また、仏教に『因果応報』という言葉があります。

大辞林によれば、それは

　   “前世における行為の結果として現在の幸不幸があり、
　　現世における行為の結果として来世における幸不幸が生じること“

です。


「この世」（「現世」）に加え、「前世」も「来世」もあり、それらを通して存在しているのが私たちの『魂』であるという考え方が前提となっていますが、

『念ずれば　花ひらく』も『因果応報』も、「近代合理主義」に照らせば、荒唐無稽・非科学的・単なる偶然ということになります。


　　　　　　（『念ずれば　花ひらく』に関連するものとして、

　　　　　　　私の中東勤務時代の体験を基に記しました
　　　　　　　<a href="http://www.linhwa.jp/2004/11/vol13.html#extended"target="_blank">Vol.13　“祈れば通ず”　</a>もご参照頂ければと思います。

　　　　　　　また、『因果応報』に絡みましては、

　　　　　　　<a href="http://www.linhwa.jp/2005/09/vol21.html#extended"target="_blank">Vol.21 “「この世」と「あの世」
　　　　　　　　　　　　　　　——魂のこと輪廻転生のこと“　</a>も
　　　　　　　ご覧頂ければと思います）





“「因果」をどの『時空』で捉えるか”　を巡っての上記二つの考え方。　私たちはそのいずれに立つべきなのか？



私は、そのどちらを選ぶかではなく、二つの考え方を止揚統合（アウフヘーベン）し、全く新しいパラダイムを構築することが、今最も求められていると考えています。

そしてそれが出来上がった時、人類は『ポスト近代』という新しい文明に入るものと思っています。




そこでは、「近代科学」と「魂」の両方を包含し、宗教や芸術とかなり親和性の高い『唯心科学主義』が基本思想となり、

経済は、「資本主義」と、かつての「マルクス主義」とをアウフヘーベンした『幸福主義』経済システムの下で運営されると考えています。






『ポスト近代文明』は、今回の東日本大震災も一つの契機に、意外に早く、具体的には今後二・三世紀のうちには、その形がかなりはっきりしてくるのではないかと感じ始めています。


　　　　　　　　  　 “念ずれば　花ひらく　
　　　　　　　　　　念ずれば　ポスト近代”　


　　　　　（尚、「東日本大震災と文明」という点につきましては、

　　　　　　震災１０日後に記しました、
　　　　　<a href="http://www.linhwa.jp/2011/03/vol106.html#extended"target="_blank">　“東北関東大震災を契機に、「新文明」の模索を！”　</a>を　
　　　　　　ご参照頂ければと思います）

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（完）

　　　　　　　　　　　　　　　　
]]>
   </content>
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<entry>
   <title>Vol.113　『恋の蛍　山崎富栄と太宰治』にからんで（続）　　　　　　　　ーー「文学の力」について、再び私事ですが、、、</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.linhwa.jp/2011/08/vol113_1.html" />
   <id>tag:www.linhwa.jp,2011://1.169</id>
   
   <published>2011-08-10T05:33:09Z</published>
   <updated>2011-08-10T12:25:12Z</updated>
   
   <summary>私は昨年４月のこの場に、２０１０年・第２９回新田次郎文学賞に輝いた名著『恋の蛍　...</summary>
   <author>
      <name>shinoda</name>
      
   </author>
         <category term="0030その他スピリチュアル分野" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.linhwa.jp/">
      <![CDATA[私は昨年４月のこの場に、２０１０年・第２９回新田次郎文学賞に輝いた名著<a href="http://homepage3.nifty.com/office-matsumoto/b-koi.htm"target="_blank">『恋の蛍　山崎富栄と太宰治』</a>を通じ初めて知った、私事の不思議なご縁について記させて頂きましたが、

今回はその続編として、だいくす朋子さんのエッセイ『文学の力』をご紹介させて頂きます。]]>
      <![CDATA[



朋子さんは、ロングセラー絵本『かわいそうな　ぞう』で知られる<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%9F%E5%AE%B6%E7%94%B1%E5%B2%90%E9%9B%84"target="_blank">児童文学作家（故）土家由岐雄氏</a>のご息女で、アメリカ人と結婚されネバダ州にお住まいですが、そのエッセイは、今月発行の同人誌「めだかの仲間」に収録されています。






ところで、朋子さんの母上ツヤさん（土家由岐雄夫人）は、太宰治が入水心中をした戦争未亡人山崎富栄さんの亡夫、奥名修一さんのお姉さん。

その奥名修一さんは、大正５年生まれ、戦前の三井物産社員で、富栄さんと挙式間もない昭和１９年１２月マニラ支店に単身赴任、相前後して姪の朋子さん誕生、しかし現地召集を受け翌２０年１月マニラ北方の山岳地帯で戦死。






以上のことを『恋の蛍』で知り、私は、やはり三井物産マニラ支店に勤務し、昭和２０年７月、同じマニラ北方の山岳地帯で戦病死した自分の父親との絡みに驚愕し、前述のように、<a href="http://www.linhwa.jp/2010/04/vol94_1.html#extended"target="_blank">“『恋の蛍　山崎富栄と太宰治』にからんで　　——三井物産マニラ支店のことなど、私事ですが、、、”　</a>をこの場に記させて頂いた次第です。


そしてそれを、一読者の感想文として<a href="http://homepage3.nifty.com/office-matsumoto/"target="_blank">著者の松本侑子さん</a>にもお送りしたところ、思いもよらず彼女から、私のエッセイを涙ながらに読ませて頂いた旨の、そして『恋の蛍』文庫化に向けより精度を高める為に、是非私の話しを聞きたい旨の大変丁重なご返事を頂きました。


一方で、『恋の蛍』を読んだ大正１４年生まれの私の長姉からは、奥名修一さんとの絡みはもちろん初めて知ったものの、若い頃の土家由岐雄夫人とはご縁があったと知らされ、私は再び飛び上がらんばかりに驚いたものです。






そういう経緯で、私は松本侑子さんと親しくお目にかかり、また彼女のお取り計らいで、一時帰国されただいくす朋子さんとも昨秋お会いすることが出来ました。

驚いたことに、朋子さんと私は、１９９１年の湾岸戦争時にサウジアラビアでかかわりがあったこともわかりましたが、そのことも、そして「土家由岐雄夫人」のことも、以下の『文学の力』をご覧頂きたいと思います。





６６回目の終戦記念日を間近に控え、はるかマニラ北方の山岳地帯に思いを馳せながら、そして松本侑子さんに感謝をしつつ、文学の不思議な力に深く感じ入っているところです。

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　合掌


　　　　　　　　　————————————————————


　　　　　　　　   　　　　　文学の力

				　　　　　　　　　　　　　　　　　　だいくす　朋子


　　　　松本侑子さんは、山崎富栄と太宰治の物語『恋の蛍』出版後、 文庫本発行の際に必要な訂正箇所、並びに追加補足の為、更に研究を重ねて、人脈をたどり、資料集めに勤しんでおられた。

侑子さんは、落ち着いた物腰の博識で勤勉家。

人との繫がりを大切になさる礼儀正しい方で、私が二度お会いして以来、そのお人柄と、翻訳家・作家としての姿勢に、すっかり魅せられてしまった方である。


　　　　去年、帰国した際、侑子さんの計らいで、思わぬ方とお会いする事が出来た。

富栄さんの夫で私の叔父、奥名修一が三井物産に勤めていた頃、電信課におられた篠田昌忠氏の息子さん、孝道氏である。


　　　　彼も三井物産に勤務し、退職なされたが、父昌忠氏は、東京外語大学のマレー語科を卒業されて、大正八年から十年迄、シンガポールへ行っていらしたと言う。

父が三菱合資会社の社員としてシンガポールへ赴いたのは大正十年だった。

当時三井・三菱の社員の集う場所で、二人が出会っていた可能性がある。


　　　　修一叔父は、会計課勤務で砂糖を担当していたが、夜間電信掛の補助員を兼任していて、電信のプロであられた昌忠氏の指導の許に仕事をしていた事が、三井物産の社員録から判明された。

その上、修一叔父がマニラ支店に転勤の際、叔父を出迎えたのは、支店長代理兼庶務課長の昌忠氏であった。

二人は東京とマニラで一緒に仕事をしていたことになる。

修一叔父が戦死した後、昌忠氏はフィリピンで戦病死された。


　　　　私が篠田孝道氏にどうしてもお会いしたいと思ったのは、「私の姉が、朋子さんのお母様のツヤさんが、自分の『ねいや』をしていたと言うのですよ」と言う一言だった。 

私の知らない母の独身時代の事が分かるかもしれない、という期待からだった。


　　　　ところが、孝道氏と話をしている内に、「ねいや」は大正十三年頃から二・三年篠田家に居たと言う事で、その頃は、私の母は東京で教鞭をとった後、インドのカルカッタにある日本総領事館に派遣されていた時だった。

その「ねいや」は、突然、昭和十一・二年頃、篠田家を訪れて、「主人の本です」と、土家由岐雄の本を持参して来た事から、父の先妻で病死したハルさんだったことが分かった。


　　　　孝道氏のお姉様は、父の先妻が亡くなり、母が後妻になった事は全く知らずに、てっきり「ねいや」は、私の母ツヤと思ってしまった訳で、その時に読んだ父の本の題名も内容も忘れてしまったが、父が子供の頃からあこがれの存在であり、その本を愛読していたそうだ。

その後、父の名を耳にする度に、しっかりした、優しい「ねいや」を思い出していたとの事。

早速調べると、その本の題名は『夢を売る店』だった。


　　　　思えば、父は、先妻と後妻の弟、両人を通じて、篠田家と見えない糸で繫がっていたことになる。
 
篠田家との奇縁は、正に『恋の蛍』が結びつけてくれたものであり、今度は私が篠田孝道氏と巡り合う機会をもたらした。

その孝道氏は、湾岸戦争中、サウジアラビアのジェッダに駐在していて、石油会社に勤務中の私が、東部地区アルコバールのホテル内に臨時に設置された日本領事館に頼まれて、毎朝戦争の最新情報を、ファックスで会社から送っていた事を、ジェッダで耳にしていたと言う。

これも縁である。


　　　　『恋の蛍』の一冊から、私は子供の頃に母親を亡くして寂しい思いをした姉兄達に、少しでも母親が何をしていて、どのような人であったかを報告できる朗報を得た事になる。

私の知らなかった修一叔父の事も、もっと知る事が出来た。


　　　　文学・歌曲であれ詩であれ、一つの作品は、それを読み、聴く人々のおかれた環境、たどって来た人生に依って、受け取り方は様々であっても、私達に何らかの影響を与える。

今まで書き貯めた作品や趣味の蒐集を本にまとめ、発表したりして、私が感動を受けている先輩達に、少しでも追いついて行きたい。

文学の持つ力を信じて、邁進して行こう。 


　　　　　　　　　—————————————————

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（完）]]>
   </content>
</entry>
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   <title>Vol.112　天外伺朗さんの描く「１００年後の東北・日本」ご紹介　　　　　　　　　　　　　ーー東北大震災に思う（その６）</title>
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   <published>2011-07-24T05:21:47Z</published>
   <updated>2011-07-27T03:44:37Z</updated>
   
   <summary>２１１１年３月１１日、今から１００年後の気仙沼で、、、、、 東北大震災を受けての...</summary>
   <author>
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   </author>
         <category term="0030その他スピリチュアル分野" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.linhwa.jp/">
      <![CDATA[２１１１年３月１１日、今から１００年後の気仙沼で、、、、、


東北大震災を受けての、<a href="http://www.officejk.jp/"target="_blank">天外伺朗さん</a>（元ソニー上席常務、工学博士、本名【故】土井利忠氏）の大変示唆に富むSF的エッセイをご紹介させて頂きます。


これはもともとは、4月1日のエイプリルフール用に書かれたものの由ですが、被災地の状況を考慮しこれまで公表を見合わせてこられ、このほど漸く<a href="http://www.makino-g.jp/yuhobika/detail/41109/"target="_blank">「ゆほびか　９月号」</a>の特集　“賢者６人が伝える明るい日本の未来図”　のなかに収録されたものです。

（タイトルは、『天外伺朗の　”日本復興１００年ビジョン”　〜１００年後の未来からのメッセージ〜　』）]]>
      <![CDATA[


天外さんに付きましては、今年の私の年頭の思い（<a href="http://www.linhwa.jp/2011/01/vol103second_decade.html#extended"target="_blank">“２１世紀 Second decade の始まりにあたって　———時代認識とわが国の可能性など”</a>）のなかで、ご発言の一部を（なぜ「【故】土井利忠氏」なのかも含め）ご紹介させて頂きましたが（始めから３分の１位のところ）、


今回ご紹介するエッセイには、

　　　
　　・日本は大統領制と道州制を導入、東北州の州都は気仙沼

　　・「ツナミ債」と呼ばれた新機軸の復興債で国内外から５０兆円手当て

　　・「人間性都市工学」、「エネルギーネットワーク工学」の誕生

　　・「個電」、「エネルギーネットワーク」、「有機電池」産業の勃興

　　・世界一の観光地三陸地方

　　・核兵器も核エネルギーも無い世界

　　・GDP世界第５位、GNH第１位

　　　　　
等々、様々なビジョンやメッセージが埋め込まれている一方、


時のわが国の大統領は、「あしたのジョー」とも読めたり、「日本復興１００年ビジョン」のテーマソングが、サザンオールスターズの「TSUNAMI」ならぬノーザンオールスターズの「ツナミ」だったり、西方極楽浄土を思わせる「ジョードシステム」が出て来たり、、、、と、なかなか楽しい読みものでもあります。


以下はその全文です。


「真夏の世の夢」が正夢になりますよう、政治のリーダーシップに期待するや切です。




　　　　　　　　　—————————————————


2111年3月11日、東北州の気仙沼州都において、各国の首脳の列席のもとに、東日本大震災100周年の記念式典が開催された。

日本の明日野譲（あすかのゆずる）大統領は、この100年の復興の様子を振り返り、次のような主旨のスピーチを行った。


①　　　　　この記念式典にご出席いただいた各国首脳に対して、まず100年前のご支援に感謝する。

世界中から寄せられた手厚い支援によって、日本はその後、すばらしい復興を遂げることができた。

東日本大震災は確かに不幸な出来事だったが、まさに、あの瞬間に日本は生まれ変わったのだと思う。先人たちの知恵と勇気に、心から敬意と感謝をささげたい。


②　　　　　特に翌年に制定された「日本復興100年ビジョン」は、とかく沈みがちだった人々に、勇気とやる気を復活させ、復興の原動力になった。

このビジョンのテーマソングに選ばれた、ノーザンオールスターズの「ツナミ」は世界中でヒットし、21世紀のベストソングに選ばれた。
（20世紀のベストソングは、ルイ・アームストロングの「What A  Wonderful World」）


③	　　日本政府は、通常の国債とは別に、通称「ツナミ債」と呼ばれた復興債を発行し、世界中の善意を受けて10年間で50兆円を超える復興資金を確保した。

個人の預金や企業の内部留保金は「ツナミ債」で保有することが、世界的に流行した。


④	　　日本の復興は、「個電産業」（⑦参照）、「エネルギーネットワーク産業」（⑨参照）、「有機電池産業」（⑩参照）などの裾野の広い新しい産業を生み、日本が新技術の発信源となった。

気仙沼は、それらの技術の研究開発の中心拠点として、世界の技術革新に貢献した。


⑤	　　津波で壊滅的な被害を受けた多くの市町村は、政府からの豊富な資金援助を受けて、それぞれに「未来型都市」に向けたコンペを行った。

とりわけ、この気仙沼で採用された、イタリアのロロブリジータ氏と東北大学の瀬名秀朗教授の共同提案「ジョードシステム」（⑧参照）は、その後の世界の都市作りのひな型となり、文化と技術の発信源となった。
　

⑥	　　ロロブリジータ氏は、当時はまだ無名な建築家だったが、その後「人間性都市工学」という新しい学問分野を樹立し、世界的権威になった。

今や、都市計画とエネルギー供給、廃棄物処理などのエンジニアリング、文化や芸術を中心としたコミュニティ作り、住民の健康管理の仕組み作りが一体になることは常識になった。


⑦	　　瀬名教授が、気仙沼のために提案したシステムは、その後は「エネルギーネットワーク工学」と呼ばれるようになり、多くの新技術を生み出す原動力になり、世界のエネルギーの供給と消費の仕組みを一変させた。

巨大な発電所に頼らず、個人や家庭や市町村で個別に電力を供給する方向性は「個電」と呼ばれるようになり、日本のお家芸になった。
もちろん、「個電」のいちばんのベースは徹底した省エネルギー技術だ。


⑧	　　「ジョードシステム」というのは、瀬名教授の出身地である、三陸の浄土ヶ浜にちなんで名づけられた。

二度と悲劇が起きないための徹底した防災対策はもちろんのこと、大自然と調和した美しく統制の取れた街並み、人々が自然に集い、芸術、文化、趣味などを通じて仲間作りができる、お祭り広場を中心に配した街の構成。

個別の家やビルが、じゅうぶんな断熱と太陽熱の有効利用により、夏も冬も冷暖房なしで過ごせる工夫。　各家庭やビル、コミュニティごとに必ずバッテリーを装備し、随所に設けられた、太陽光、太陽熱、地熱、風力などの、大小取り混ぜた発電装置から自動的にエネルギーが供給されるシステムなど、多くの特徴がある。


⑨	　　「エネルギーネットワーク工学」というのは、当時すでに実用化が始まっていた「スマートグリッド」を、大幅に発展させたものであり、エネルギーの供給に通信技術を導入したものだ。

それまでのシステムは、エネルギーというのは常時供給するのが常識だったが、パケット通信によく似た仕組みを応用して、必要なエネルギーを個別に供給できるようになった。

これにより、各家庭やコミュニティに装備された多くのバッテリーが、常に最適なバランスで充電されるようになった。


⑩	　　当初、気仙沼ではリチウム・イオン電池が導入された。

その後、気仙沼エネルギー研究所で発明された、約1000倍の容量を持つ「有機電池」が実用化された。「有機電池」は、生物のエネルギー蓄積にヒントを得た新技術だ。


⑪	　　「有機電池」は、エネルギーの供給や需要の発想を根本的に変えただけでなく、ガソリン自動車を駆逐した。

それは、産油国の地位の低下を招いたが、膨大な石油利権がなくなったために中東に平和が訪れた。


⑫	　　この100年で、世界中で最も観光客を集めたのが、気仙沼を中心とする三陸地方だ。

美しい景観と、高度な技術に裏づけられた都市作り、技術や文化の発信地としての人気を呼んだ。
「ジョードシステム・メモリアル・パーク」は、付属の記念館とともに、海外からの観光客にとって目玉になった。


⑬	　　福島原発の跡地にできた、「ツナミ・メモリアル・パーク」は、広島、長崎の平和公園とともに、人々の記憶から消えつつある原爆や原発を思い起こし、不幸な歴史を通じて、科学技術の発展と人類全体の幸福に関連する問題を継続的に提起しており、世界中の子どもたちが地球市民教育の一環として訪れるようになった。


⑭	　　日本のＧＤＰは、インド、ブラジルにも抜かれ、世界で５位まで低下した。

しかしながら、日本が率先して進めた社会改革が世界に浸透し、ＧＤＰで国を評価することはなくなった。

その代わりに、かつてブータンで提唱されたＧＮＨ（Gross National Happiness = 国民総幸福量）が重視されるようになった。
日本は長年にわたりＧＮＨでは世界のトップを走り続けていることを誇りに思う。


⑮	　　本日の記念式典にあたり、過去100年の復興と躍進の記憶を新たにし、先輩たちの偉業を引き継ぎ、さらに次の100年に向かって、私たちが力強い歩みを続け、子孫たちに、今よりももっと美しい地球を残すことを、ここに誓う。
　　　　　　　　　　　　　　　


　　　　　　　　　—————————————————————


尚、東北大震災について、これ迄に記しました私の思いは次の通りです。


　　　　３月２１日　<a href="http://www.linhwa.jp/2011/03/vol106.html#extended"target="_blank">“東北関東大震災を機縁に「新文明」の模索を！”
</a>
　　　　４月１７日　<a href="http://www.linhwa.jp/2011/04/vol107.html#extended"target="_blank">“「脱原発」を決断し、「電力多消費文明」との
　　　　　　　　　　　訣別を！
　　　　　　　　　　　　　　　——東日本大震災に思う（その２）“</a>

　　　　４月２６日　<a href="http://www.linhwa.jp/2011/04/vol108.html#extended"target="_blank">“東日本大震災に思う（その３）
　　　　　　　　　　　　　　　——原発事故に関連しての二つの声明文
　　　　　　　　　　　　　　　　　ご紹介“</a>

　　　　６月１１日　“<a href="http://www.linhwa.jp/2011/06/vol110.html#extended"target="_blank">東日本大震災に思う（その４）
　　　　　　　　　　　　　　　——「科学技術」と「歴史の進歩」について"
</a>
　　　　７月　９日　<a href="http://www.linhwa.jp/2011/07/vol110_1.html#extended"target="_blank">“東北から「日本仏教＝日本の心」を国中へ再び！
　　　　　　　　　　　そして世界へも！
　　　　　　　　　　　　　　　——東日本大震災に思う（その５）“</a>

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（完）]]>
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>Vol.111　東北から「日本仏教＝日本の心」を国中へ再び！　そして世界へも！　　　　　　　ーー東日本大震災に思う（その５）</title>
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   <published>2011-07-09T06:28:50Z</published>
   <updated>2011-07-09T11:27:49Z</updated>
   
   <summary>約２，５００年前、インド東北部に生まれたお釈迦様の教え（仏教）は、南へ北へ東へと...</summary>
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         <category term="0020その他仏教関連" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.linhwa.jp/">
      約２，５００年前、インド東北部に生まれたお釈迦様の教え（仏教）は、南へ北へ東へと伝播し、行く先々の文化・宗教と緩やかに混淆しながら、それぞれの地に深く根付いて行きました。

伝播の東端であるわが国には、お釈迦様入滅の約１，０００年後に漸く到来しましたが、その地で１万年以上も続いていた「自然崇拝＝八百万の神々信仰」と見事に習合し、今から約１，０００年前には、他の仏教とはひと味もふた味も異なる「日本仏教」が完成したと私は位置づけています。
      <![CDATA[　



　　　　　　　（「日本仏教」に関し更に詳しくは、

　　　　　　　　　<a href="http://www.linhwa.jp/2006/03/vol25.html#extended"target="_blank">Vol.25　“神も仏も、山も川も、、、、、
　　　　　　　　　　　　　　今こそ「日本仏教」の再評価を！“　</a>

　　　　　　　　　をご参照頂きたいと思います）







さて私は、長いわが国の歴史を「宗教との関わり方」の観点から次の４期に分けて捉えていますが、「日本仏教」はその第２期に出来上がったということになります。


　——第１期は、遠く縄文時代から６世紀の仏教伝来まで１万年以上
　　　続いた時代です。

　　　この間、今から約二千数百年前には稲作文明を携えた弥生人が
　　　渡来し、土着の縄文人との混血化により所謂「和人」（現在の日本人）
　　　が誕生したと考えられていますが、「自然崇拝＝八百万の神々信仰」を
　　　土台とする縄文文化は、「和人」にもそっくりそのまま受け継がれ
　　　ました。
　　　

　——第２期は、６世紀の仏教伝来から明治維新までの約１，３００年間です。

　　　遠来の仏教は、前述のように「自然崇拝＝八百万の神々信仰」と見事に
　　　習合して「日本仏教」を生み出し、「命」と「和」を尊ぶ「日本の心」は、
　　　この期間に完成を見ました。


　——第３期は、明治維新から先の敗戦までの７７年間です。

　　　明治新政府は、１８６８年「神仏分離令」を公布し、先ず「神」と
　　　「仏」を分け、次いで神道をそれまでのものとは全く異なる
　　　「国家神道」に変えました。

　　　「国家神道」の神様は「天皇」という現人神であり、これにより
　　　神道は一神教に変質したと言えます。

　　　一方仏教の方は、神仏分離令をきっかけに「廃仏毀釈運動」が起き、
　　　急速に力を失って行きました。


　——第４期は、敗戦から今日までの６６年間です。

　　　「国家神道」は占領軍により解体させられ、一方仏教は更に形骸化し、
　　　「葬式仏教」化が進行しました。

　　　人々は神も仏も忘れ、ひたすら戦後復興に邁進し、物質的豊かさを
　　　追い求めました。

　　　そしてそのお蔭で、短時日のうちに世界第２の経済大国に上りつめ
　　　ましたが、都市部を中心に「日本仏教」も「日本の心」も消え失せ、
　　　「無縁社会」化が急速に進みつつあります。






　　　　　　　　　　（上記４区分に関するより詳しい説明は、

　　　　　　　　　　　<a href="http://www.linhwa.jp/2006/09/post_21.html#extended"target="_blank">Vol.29　“『宗教心溢れる時代』に向けて”</a>　を

　　　　　　　　　　　ご参照賜ればと思います）







さて、第４期６６年目に起きた東日本大震災ですが、発生後もうすぐ５ヶ月目に入る今、私は、第２期の間に形作られた「日本仏教＝日本の心」が、これを機縁に東北の地から再び日本全体へ、そして更には世界にも広まって行く期待を強めています。






　　　　　（尚、大震災に関し記しました私のこれ迄の思いは次の通りです）



　　　　　　３月２１日　<a href="http://www.linhwa.jp/2011/03/vol106.html#extended"target="_blank">“東北関東大震災を機縁に、「新文明」の
　　　　　　　　　　　　　模索を！“</a>

　　　　　　４月１７日　<a href="http://www.linhwa.jp/2011/04/vol107.html#extended"target="_blank">“「脱原発」を決断し、「電力多消費文明」との
　　　　　　　　　　　　　訣別を！
　　　　　　　　　　　　　　　———東日本大震災に思う（その２）“
</a>
　　　　　　４月２６日　<a href="http://www.linhwa.jp/2011/04/vol108.html#extended"target="_blank">“東日本大震災に思う（その３）
　　　　　　　　　　　　　　　———原発事故に関連しての二つの声明文
　　　　　　　　　　　　　　　　 ご紹介“</a>

　　　　　　６月１１日　<a href="http://www.linhwa.jp/2011/06/vol110.html#extended"target="_blank">“東日本大震災に思う（その４）
　　　　　　　　　　　　　　　——「科学技術」と「歴史の進歩」について“
</a>






東北地方は、辺境の地であるが故に、幸いにもわが国の基層文化たる縄文文化が現在に至るまで色濃く残っており、前述しました日本歴史の第３期・第４期の動向・風潮にもさほど大きな影響を受けず今日迄来ています。

そこには神社やお寺が数多くあり、それらがコミュニティーの中核としての機能を昔ながらに果たしています。

東北地方には、「日本仏教＝日本の心」がほぼ無傷のまま残っていると言っても過言ではないと考えています。






被災地の方々の穏やかで整然とした言動は、世界中の人々に驚嘆と感動を与えているところですが、私はその背景にはそうした事情があると捉えています。





また、被害の少なかった神社やお寺の多くは、避難所として開放されましたし、全国の宗教者、宗教組織が、宗教・宗派を超え現地の関係先と連携を取りながら様々な支援・被災地活動を行っています。

震災４９日目の去る４月２８日には、<a href="http://www.jbf.ne.jp/"target="_blank">全日本仏教会</a>の呼びかけにより全国津々浦々のお寺でいっせいに４９日法要及び地震発生時刻の鐘撞が行われ、更に６月１２日には、鎌倉の鶴岡八幡宮と奈良の東大寺との合同慰霊祭事・法要が行われました。




それらいずれも、阪神淡路大震災の時には見られなかったことですが、今回の大震災が「神」も「仏」も昔ながらに残る東北の地で起きたが故に、私たちが「命」、「自然」、「絆」といったことを考え直す一つのきっかけとなっているように感じています。





折しも平泉が世界文化遺産に登録されました。

国内外の人々が東北の文化・東北人の心に触れる機会も一段と多くなるものと思われます。

そしてそのことを通し、「日本仏教＝日本の心」が、東北から改めて日本国中へ、そして世界にも広がって行くことを大いに期待するものです。






ところで、<a href="http://www.cas.go.jp/jp/fukkou/"target="_blank">政府の復興構想会議</a>には、福島県三春町の住職で芥川賞作家の玄侑宗久さん始め、東北ゆかりの方々が多数委員に入っておられますし、また私の心の師であり、東北人の血を半分受け継いでおられる梅原猛先生も特別顧問として参加されています。


そのこともあって、これまでの議論及び去る６月２５日に答申された<a href="http://www.cas.go.jp/jp/fukkou/pdf/kousou12/teigen.pdf"target="_blank">“「復興への提言」　〜悲惨のなかの希望〜”</a>　には、東北人の思いが詰まっていると感じていますが、

なかでも私は、第４回会議（５月１０日）に於ける玄侑さんの提言、

　　<a href="http://www.cas.go.jp/jp/fukkou/pdf/kousou4/shiryou3.pdf"target="_blank">　“「自然への畏敬」を保って共同体を再生するために”</a>

に最大の感銘を受けました。

そこでは、「文明災」という梅原先生の認識を起点として、東北人の熱い思いが余すところ無く語られています。ご一読をお勧め致します。


　　　「原発ルネサンス」から「日本仏教ルネサンス」へ！　
　　　「日本の心」を東北から国中へ再び、そして世界へも！　と

　　　　強く願うものです。

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（完）
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　
　　　　　　　　　　　]]>
   </content>
</entry>
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   <title>Vol.110　東日本大震災に思う（その４）　　　　　　　　　　　　　　　　　　ーーー「科学技術」と「歴史の進歩」について</title>
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   <published>2011-06-11T05:19:46Z</published>
   <updated>2011-07-09T07:50:47Z</updated>
   
   <summary>大震災から今日で丁度３ヶ月。 被災者の方々の生活再建はおろか、がれきの撤去すら遅...</summary>
   <author>
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         <category term="0070その他政治・社会分野" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.linhwa.jp/">
      大震災から今日で丁度３ヶ月。

被災者の方々の生活再建はおろか、がれきの撤去すら遅々として進まず、一方、福島原発は収束の見通しがいまだ全く立っていません。

政治の混迷・非力と、科学技術の無能ぶりには強い憤りを覚えます。
      <![CDATA[　　　　


　　　　　　（尚、大震災に関しこれまでに記しました私の思いは次の三つです）
　　　　　　　

　　　　　　　３月２１日　 “<a href="http://www.linhwa.jp/2011/03/vol106.html#extended"target="_blank">東北関東大震災を機縁に「新文明」の
　　　　　　　　　　　　　　模索を！“</a>

　　　　　　　４月１７日　<a href="http://www.linhwa.jp/2011/04/vol107.html#extended"target="_blank"> “「脱原発」を決断し、「電力多消費文明」との
　　　　　　　　　　　　　　  訣別を！
　　　　　　　　　　　　　　　　　——東日本大震災に思う（その２）“
</a>
　　　　　　　４月２６日　<a href="http://www.linhwa.jp/2011/04/vol108.html#extended"target="_blank"> “東日本大震災に思う（その３）
　　　　　　　　　　　　　　　　　——原発事故に関連しての二つの声明文
　　　　　　　　　　　　　　　　　　ご紹介“　</a>

　　　



さて私は、上記中にも記しましたが、「近代」という時代は、「人間の欲望」と「資本主義」と「科学技術」とが『三位一体』となって、人類史上稀有の物質的進歩・発展を遂げた時代と位置づけていますが、

福島原発の現状を見るにつけーーー即ち、住み慣れた故郷から強制的に退去を命ぜられ、いつ戻れるのか、本当に戻れるのか全くわからないという、この上ない不条理な苦痛を強いられている多くの方々を目の当たりにするにつけーーー、

この『三位一体』の罪深さに身震いする思いです。


「近代」は人間を本当に幸せにしたのか？　深く考えさせられます。









「科学技術」と「歴史の進歩」に関し、阪大理学部出身の哲学者市井三郎先生（１９２２〜１９８９）は、次のように述べておられますが、私は今改めて、その言葉の重みを噛みしめています。


　　　  “科学・技術の進歩それ自体は、けっしてそれだけで歴史の進歩とは
　　　　いえません。

　　　　科学・技術の進歩がもたらしうる苦痛が減らされてこそ、人間の
　　　　歴史は進歩したといえるのです。“

　　　　　　　　　　（『思想からみた明治維新：「明治維新」の哲学』）


　　　  “人間の諸社会をすべて含んだ人類の全体の歴史について、なおも
　　　　「進歩」がなされたといえるような可能性は、したがってつぎの
　　　　ような場合に限定されてくるだろう。

　　　　つまり他集団へ災厄をもたらさないような科学技術上の進歩と、
　　　　自滅をもたらさないような倫理的尺度上の進歩とが、期せずして
　　　　調和的に実現したといえるような場合（可能性）である。“

　　　　　　　　　　　　　　　　（『歴史の進歩とはなにか』）







今回の大惨事を契機に、科学技術がもう一段進化し、『人に不条理な苦痛を与える可能性が少しでもあるような発明・発見・技術は決して実用化しない、世に出さない』という当たり前の大原則が徹底されることを強く願うものですが、しかし前記のごとく科学技術は、人間の飽くなき欲望並びに商業主義と固く結びついていますので、その制御は「言うは易く」であると考えられます。



従ってここはやはり「政治の出番」ということにならざるを得ませんが、その政治がこの体たらく、、、、

何ともいえぬ絶望感に包まれる昨今です。




　　　　　
                          　　　　　　　（尚、「科学技術」に関する私の懐疑的な思いは、昨年一月の
　　　　　　　　鳩山首相施政方針演説を受けて記しました

　　　　　　　　　　<a href="http://www.linhwa.jp/2010/02/vol92.html#extended"target="_blank">Vol.92“「科学技術の進歩」について思うこと”</a>　を
　　　　　
　　　　　　　　ご参照頂ければと思います。

　　　　　　　　末尾に「科学技術と政府の役割」に関するイギリスの
　　　　　　　　社会学者アンソニー・ギデンスの発言を紹介しています）

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（完）]]>
   </content>
</entry>
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   <title>Vol.109 ビンラディン殺害に思う　</title>
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   <published>2011-05-08T12:24:38Z</published>
   <updated>2011-05-08T12:58:14Z</updated>
   
   <summary>９．１１以降１０年に及ぶ大報復戦争の末、アメリカは去る５月１日、パキスタンの主権...</summary>
   <author>
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   </author>
         <category term="0080中東関連" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.linhwa.jp/">
      ９．１１以降１０年に及ぶ大報復戦争の末、アメリカは去る５月１日、パキスタンの主権を侵し丸腰のオサマ・ビンラディンを殺害しました。

オバマ大統領は直ちに、”Justice has been done”（「正義は実行された」）と誇らしげに国民に語り、それを受けニューヨークのグラウンドゼロには、深夜にも拘らず何千人ものアメリカ人が集まり歓喜の雄叫びを上げました。
      <![CDATA[


その気持ちは全く分からないという訳ではありませんが、私は何とも言えぬ違和感と深い絶望感を覚えながらテレビ中継を見ていました。


　　　　　　（オバマ大統領の演説全文は<a href="http://www.whitehouse.gov/the-press-office/2011/05/02/remarks-president-osama-bin-laden"target="_blank">こちら</a>です）





かつてマレーシアのマハティール（元）首相は、イラク戦争を念頭に、

　　  　“人を殺して広める民主主義を、民主主義とは言わない”

と述べましたが（「フォーサイト」２００３年６月号）、同様に私は、

　　　  “人を殺して語る正義を、正義とは言わない”

と言いたいと思います。




もちろんそれは、「アメリカの正義」のみならず、「イスラムの正義」もまたしかりです。




ともに神の名を唱えながら殺戮を繰り返して来ているキリスト教とイスラム教の人々、
元はと言えばユダヤの人々の「氏神」に過ぎなかったヤーウエを、自分たちの神と崇めて来ているキリスト教とイスラム教の人々、

彼らはいずれも「正義」は自分の方にあると固く信じて戦っています。





もういいかげんに、「正義の殺害」の連鎖は止めて欲しいものですが、恐らくはまだまだ相当の流血が避けられないものと改めて感じています。　　　合掌



　　　　　　（尚、「正義の殺害」という点では、「死刑」も
      　　　　　  　　また同じと言えます。

　　　　　　 「死刑」は先進国の中では、わが国とアメリカの
　　　　　　　３４州でのみ合法化されていますが、やはり、
　　　　　　　もういいかげんに、わが国もアメリカ３４州も、
　　　　　　 「正義の殺害」を止めるべきでありましょう。

　　　　　  　　カテゴリー<a href="http://www.linhwa.jp/colum/cat13/"target="_blank">”死刑制度関連”</a> も併せご参照頂ければと
　　　　　　　 思います）

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（完）]]>
   </content>
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   <title>Vol.108　東日本大震災に思う（その３）　　　　　　　　　　　　——原発事故に関連しての二つの声明文ご紹介</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.linhwa.jp/2011/04/vol108_1.html" />
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   <published>2011-04-26T05:35:02Z</published>
   <updated>2011-11-15T06:44:52Z</updated>
   
   <summary>福島原発事故に関連し、先週、東京財団と日本弁護士連合会（日弁連）から、それぞれ貴...</summary>
   <author>
      <name>shinoda</name>
      
   </author>
         <category term="0070その他政治・社会分野" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.linhwa.jp/">
      <![CDATA[福島原発事故に関連し、先週、<a href="http://www.tkfd.or.jp/"target="_blank">東京財団</a>と<a href="http://www.nichibenren.or.jp/"target="_blank">日本弁護士連合会（日弁連）</a>から、それぞれ貴重な声明が発せられていますので、お気づきでない場合に備え、以下にご紹介申し上げます。

私は、そのいずれにも強い共感を覚えます。]]>
      <![CDATA[（１）	先ず、東京財団からは４月２０日付けで　“復興か創造か　—これからの文明—”　と題する極めて鳥瞰的な論考が発表されました。



これは、宇宙物理学者で、「人間圏」の提唱者である<a href="http://www.channel-koten.com/index.html"target="_blank">松井孝典先生</a>（東京財団特別上席研究員）を中心にまとめられたものの由です。 


  　　　       　 (因みに「人間圏」とは、人類が約１万年前、農耕牧畜を
　　　　　始めたことによって作られたもので、それ以前の
　　　　　狩猟採集時代、人類は生物圏のいわゆる食物連鎖に
　　　　　連なって生きていたのに引きかえ、農耕を始めたこと
　　　　　によって地球のモノやエネルギーの流れが一変したこと
　　　　　に着目）


文中の、

　　　  “地域主権は、「権限の委譲」ではなく、「創造」を起点とする
　　　　ことで具体性と実現性が高まる“

との指摘には目から鱗の思いですし、結びの
　　　
　　　  “そもそも、政治とは政治家だけのものではない。
　　　　国を創るのは国民自身である。
　　　　我々自身が「これからの文明」を選択していくのだ“

という呼びかけは心に重く響きます。


全文はこちらです。

　　<a href="http://www.tkfd.or.jp/topics/detail.php?id=268"target="_blank">http://www.tkfd.or.jp/topics/detail.php?id=268</a>




（２）	一方、日弁連からは４月２２日付けで、“東日本大震災後の日本の温暖化対策に関する会長声明“　が発せられました。


これは、原発事故を理由に、温室効果ガス排出に関する京都議定書の適用除外や、２０２０年までの２５％削減目標の見直しを求める声が政府・与党内等で上がっていることを憂慮し、懸案の「地球温暖化対策基本法」の早期制定を強く求めるものです。

全文はこちらです。

　　<a href="http://www.nichibenren.or.jp/ja/opinion/statement/110422.html"target="_blank">http://www.nichibenren.or.jp/ja/opinion/statement/110422.html</a>
　



特に「3.11」以降、我が国政府に対する信頼が国際的に大きく失墜している折柄、この問題で更に信用を失うことがないよう、政府の賢明なる対応を切望するものです。






尚、ご参考までに、今回の大震災に関する私のこれまでの思い二つは以下です。

　　３月２１日　<a href="http://www.linhwa.jp/2011/03/vol106.html#extended"target="_blank">“東北関東大震災を機縁に、「新文明」の模索を！”</a>

　　４月１７日　<a href="http://www.linhwa.jp/2011/04/vol107.html#extended"target="_blank">“「脱原発」を決断し、「電力多消費文明」との訣別を！
　　　　　　　　　　　　　　——東日本大震災に思う（その２）“</a>

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（完）]]>
   </content>
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   <title>Vol.107　「脱原発」を決断し、「電力多消費文明」との訣別を！ 　　　　　　　　　　　　　——東日本大震災に思う（その２）</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.linhwa.jp/2011/04/vol107.html" />
   <id>tag:www.linhwa.jp,2011://1.163</id>
   
   <published>2011-04-17T13:28:49Z</published>
   <updated>2011-04-18T04:47:52Z</updated>
   
   <summary>東日本大震災（東北関東大震災）から既に一ヶ月以上が経過しました。 しかし、余震は...</summary>
   <author>
      <name>shinoda</name>
      
   </author>
         <category term="0030その他スピリチュアル分野" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.linhwa.jp/">
      <![CDATA[東日本大震災（東北関東大震災）から既に一ヶ月以上が経過しました。

しかし、余震は引きも切らず、福島原発はその日暮らしの綱渡り対応、復旧・復興作業も遅々として進まず、何ともやるせなく落ち着かない毎日です。

引き続き劣悪な環境での暮らしを余儀なくされている方々、ご家族がまだ不明の方々、必死に救援活動をされている方々、その他関係の方々に改めて心からお見舞いを申し上げます。


　　　　　　（大震災の１０日後、私は、<a href="http://www.linhwa.jp/2011/03/vol106.html#extended"target="_blank">Vol.106“東北関東
            　　　　　　　大震災を機縁に、「新文明」の模索を！”</a>と題する
            　　　　　　　思いを記させて頂きましたので、今回のこの文を
　　　　　　　『東日本大震災に思う（その２）』とさせて頂きます）]]>
      <![CDATA[


さて世界は今、未曾有の天災と、原発事故という犯罪的人災に見舞われながらも、忍耐強く道徳心高く行動している私たち日本人を驚嘆と称賛の眼差しで見つめています。


（対照的に、日本政府への信頼が国際的にも大きく失墜してしまったことは本当に嘆かわしき限りですが）


そして、私たちに対する世界の次の関心は、

　　『あれほど精神性の高い日本人は、はたして今後「原発」を
　　　どうするつもりなのか？』

に移って行くものと考えています。



具体的には、日本人はこれを契機に、

　　“「脱原発」に大きく舵を切り、「電力消費の少ない社会」を
　　　目指し一歩踏み出すのか？”

あるいはまた

　 　 “持てる技術を総結集して、より安全な「原発システム」を
　　　作り上げ、それを世界にも広めてゆく道を選ぶのか？“

のいずれの道を歩むのかということですが、世界に再び驚嘆と称賛を与えるのは前者の道であることは間違いありません。


そしてそれは、（決して誇張ではなく）人類が、新しい時代・新しい文明に踏み出す大きなきっかけを私たち日本人が作るとことに他ならないと捉えています。





さて私は、上記Vol.106に記しましたように、近代以降、「人間の飽くなき欲望」と「科学技術」と「資本主義（商業主義）」の三つは、強固なトライアングルを形成し、止めどなくスパイラル回転を続けていると位置づけています。


そしてそのスパイラルのお蔭で、「経済」は成長し、「モノ」は豊かになり、本当に「便利」な世の中になりましたが、結果として電力需要は増え続け、遂には原発に頼らざるを得なくなってしまいました。

「近代文明」が「電力多消費文明」と呼ばれる所以です。


しかし、「モノ」が豊かになる一方で、心は常に追いかけられている感じで少しも豊かにならず、地球環境は大きく傷ついています。


何とかしてこの悪しきスパイラルから脱却したいところですが、「欲望」と「科学技術」と「資本主義」の三つは強い共依存に陥っているだけに、外部からよほどの強い力、ショックでも無い限り、自ら変わることは出来ず、このままでは破滅に向かってひたすら進んで行くものと考えています。


　　　　　　（この点、<a href="http://www.linhwa.jp/2008/03/vol55.html#extended"target="_blank">Vol.55 “『煩悩』と近代社会”</a>も
　　　　　　　併せご参照頂きたいと思います）





その観点から眺めますと、今回の大事故で東電管内だけでも１，０００万キロワット近い電力が突然喪失し、いやが応でも使えなくなったことは、不謹慎な言い方にはなりますが、上記止めどなく悪しきスパイラルと訣別する願っても無いチャンスであり、天佑とも言えます。






この際政府は、「脱原発」を一刻も早く決断し（具体的には原発の新・増設を一切放棄することを内外に宣言すると共に、既存原発でも危機想定の甘いものは直ちに操業停止）、その上で、スマートグリッドと一体となった発電の分散化・小型化に急いで取り組む一方、国民に対してはライフスタイルの抜本的変更を訴え、電力消費の大幅削減を要請すべきと考えています。


もっとも、原発の新・増設は、仮に政府・関連業界が望んでも、またいかなるアメとムチを用いても、もはや受け入れる地元は現れないと思われるだけに現実問題としては不可能であり、その点、米軍の辺野古移転と同じ状況と言えます。

私は、そういう状況を的確に認識して早期に決断を下し、率先して対応行動を取るのが真のトップリーダーと考えています。

辺野古問題への対応もまた然りです。





「モノが豊かで便利な時代」から「心の豊かな時代」へ、「経済成長」より「心の成長」を尊ぶ時代へ、世界に「原発」を輸出する国から、世界に「豊かな心」、「新しい文明」を輸出する国へ！


もちろん「新しい文明」の具体的青写真は簡単には描ききれませんが、ここは覚悟を決め、日本人の智慧と伝統と底力を総結集して、海図なき大航海に漕ぎ出すべきと考えています。

そしてそれが、今回の大災厄により尊い命を落とされた何万という方々への最大の供養になるものと固く信じています。





結びにあたり、『便利なモノは、必要がないものである』と喝破された哲学エッセイスト、（故）池田晶子さんの言葉を記し、本稿を終えさせて頂きます。


　　　  　“外界の拡張、外界への欲望は、いいかげん、もういい
　　　　　のではなかろうか。

　　　　　人類はそろそろ、そのことの無意味と、内界の意味に、
　　　　　気づいてもいいのではなかろうか。“

　　　　　　　（「魂を考える」のなかの “便利の心得” より）

　　　　　　　　　　　　（尚、池田晶子さんに付きましては、
　　　　　　　　　　　　　　２年前に記しました
　　　　　　　　　　　　　 <a href="http://www.linhwa.jp/2009/02/vol74.html#extended"target="_blank">“池田晶子さんの三回忌に思う”</a>も
　　　　　　　　　　　　　　併せご参照頂ければと思います）

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（完)]]>
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