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   <title>凛和総合研究所</title>
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   <updated>2012-05-17T14:27:15Z</updated>
   <subtitle>このサイトは、代表者および国内外の客員研究員による
情報発信が主体です。発信テーマは多岐に亘りますが、
共通する底流として「スピリチュアリティー(spirituality)を心がけています。
更新は「代表者コラム」を主体に１・２ヶ月に一度程度行ってまいります。
是非またお立ち寄りください。</subtitle>
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   <title>”脱「金融依存資本主義」”　もまた急務！　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　ーー佐藤尊徳客員研究員</title>
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   <published>2012-05-17T08:16:07Z</published>
   <updated>2012-05-17T14:27:15Z</updated>
   
   <summary>筆者は、このままでは今年末に再び金融危機が起こると予想している。 これは、最近の...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.linhwa.jp/">
      筆者は、このままでは今年末に再び金融危機が起こると予想している。


これは、最近の欧州事情などを見て急遽そのような予想を始めたへっぽこアナリストと違い、２年ほど前から主張し続けてきたことである。
長年経済誌の編集に携わってきた者としてのいわば動物的な勘であって、確たる情報があるわけでもない。
外れたら逆にラッキーだと思って頂きたい。


ただ、筆者は前回の金融危機時も、必ずバブルが崩壊すると警告をしていたことは申し上げておきたい。

      




ご承知の様に今年は世界の各地で選挙が行われる。

ロシアではプーチンが憲法を改正してまで大統領に返り咲いた。
欧州の火薬庫になってしまったギリシャ、フランスとEUで重要な選挙が続いていく。
中国では権力の移譲が行われ、11月のアメリカ大統領選挙がメインイベントだ。　

日本はこのままいけば、国政選挙は行われないが、いつ衆議院が解散してもおかしくない状況だ。


このような時にはどの国でも内向的になりやすい。

ポピュリズムは日本に限った話ではない。
共産主義国家の中国でさえも、大衆におもねらなければ体制を維持できなくなってきている。






リーマンショックにより、急激な金融の逆回転が起きた。
それは当然のことである。

実需もないのにレバレッジを掛け、バブルを生み、目先の富を確保する、そんなことが永続するわけはないからだ。




詳細は省くが、当時アメリカ当局はリーマンブラザースが倒産しても、金融システムの崩壊には至らないと思った節がある。
それが、思惑とは違い、AIGの株が暴落し、他の大手金機関に派生しそうになり慌てて中央銀行に借金の付け替えをはかった。

その後、FRBやECB、日本銀行などの中央銀行は金融緩和合戦で、バランスシートを膨らまし続けたのだ。
痛んだ金融機関の自己資本を積み増そうと、公的資金を注入して、金融危機は収まったように思われている。

しかし、将来へのつけ回しをしただけで本質的な状況は全く変わっていない。




ギリシャの債務免除で、欧州の財政問題は一旦下火になったように思われた。

しかし、ギリシャ国民がそれを感謝し、目の色を変えて制度改革に勤しみ、勤労しているとは聞こえてこない。
逆に緊縮財政推進派の与党が総選挙で負けて、財政再建の行方は混沌だ。


フランス国民もドイツ国民も、他国の支援よりも自国の富を考えるのは当然のことである。

フランスでは現役のサルコジが負け、17年ぶりの社会党政権が誕生した。これは意外なことではなく、必然なのだ。
（誤解なきように言っておくが、サルコジが間違っていて、オランドが正しいと思っているわけではない）
　　



人間は富を求め続け、物質的豊かさの向上に血眼をあげる。


為政者たちは、有権者に目先の裕福さを提供し続けることが政権維持の条件だと勘違いし、安易な金融資本主義により、利益を極大化してバラマキを繰り返す。


そして、また、金融危機、、、、、、、。





世の中の価値基準を抜本的に変えなければいけないことがいよいよ明白になってきた。　


「脱原発依存」が耳目を集めているが、人間が真の豊かさを取り戻すためには、金融に寄りかかり過ぎた資本主義ーー「金融依存資本主義」ーーからの脱却もまた急務であろう。

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　佐藤尊徳　〈（株）経済界常務取締役〉



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   <title>Vol.１２６　東日本大震災に思う（その１１） 　　　　　　　　　　　　　　　———「全日本仏教会」前・新会長の発言・挨拶ご紹介</title>
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   <published>2012-05-07T15:02:07Z</published>
   <updated>2012-05-07T15:29:52Z</updated>
   
   <summary>やや旧聞ですが、わが国の伝統仏教界唯一の連合体である「全日本仏教会（「全仏」）」...</summary>
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         <category term="0020その他仏教関連" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.linhwa.jp/">
      <![CDATA[やや旧聞ですが、わが国の伝統仏教界唯一の連合体である<a href="http://www.jbf.ne.jp/"target="_blank">「全日本仏教会（「全仏」）」</a>は昨年１２月１日、<a href="http://www.jbf.ne.jp/news/newsrelease/170.html"target="_blank">『原子力発電によらない生き方を求めて』</a>と題する宣言文を発表しています。


しかし、それは「全仏」のそれまでの活動範疇を超える声明でしたので、「異例の宣言文」としてメディアでも大きな話題となりました。

私もまた、<a href="http://www.linhwa.jp/2012/02/vol1213.html#extended"target="_blank">Vol.121“日本仏教界、【３・１１】を契機に覚醒！”</a>　と題するエントリーのなかで、「覚醒」と感じる具体例の一つとしてその宣言文を取り上げ、これは「全仏」会長、臨済宗妙心寺派河野太通管長のリーダーシップによるものであろうと記させて頂いたところです。
]]>
      <![CDATA[



その河野太通会長の、『“いのち”を犠牲にする発電はやめよう』と題するインタビュー記事がニコニコニュースにアップされていますので、ご紹介させて頂きます。


そのなかで河野会長は、今回の宣言文発表の経緯・背景等を率直に語られている他、「こころの豊かさ」、「いのちの大切さ」等について、また仏教の六波羅蜜の一つである「忍辱（にんにく）」についても触れておられます。


６ページに亘るインタビュー全文は<a href="http://news.nicovideo.jp/watch/nw205902"target="_blank">こちら</a>です。ご一読をお薦め致します。


　　　　　（尚、「忍辱（にんにく）」に関しましては、

　　　<a href="http://www.linhwa.jp/2009/05/vol79_1.html#extended"target="_blank">Vol.79“この世は「忍耐（にんにく）」——民主党鳩山代表誕生に思う”</a>

　　　　　　も併せご参照頂ければと思います。　残念ながら、政権交代・
　　　　　　鳩山首相には期待を裏切られましたが、、、）




さて、上記Vol.121のなかにも記しましたように、「全仏」の会長任期は２年で、この４月からは河野太通会長に替わり天台宗半田孝淳座主が新会長に就任されています。


そこで以下に、「第三十期会長就任にあたって」と題する半田新会長のご挨拶を転載させて頂きます。主題は東日本大震災です。


半田新会長には、河野前会長の志を受け継ぎ、それを更に高めて頂くことを大いに期待するものです。



　　　 “この度、全日本仏教会第三十期会長に就任させていただくこととなり、
　　　　身の引き締まる思いでおります。

　　　　さて、日本は昨年三月に、国難とも申すべき東日本大震災に見舞われ
　　　　ました。

　　　　文明がいかに発達しようと「諸行無常」は避けることができないと
　　　　いうことを改めて感じます。
　　　　しかし、そうであればこそ、残された方々は、なおさら命を
　　　　いとおしんで生きることに大きな意味があります。

　　　　今後、理不尽に家族や友人を奪われ、住み慣れた土地を追われ、
　　　　仕事を失った人々の心をいかに癒すかが、私ども宗教者の使命と
　　　　なることでしょう。

　　　　又、一方で、原子力発電所の放射能漏洩事故で、周辺の住民の
　　　　方々は、住居や仕事を放棄せざるを得なくなり、長期にわたる
　　　　避難生活を余儀なくされておられます。

　　　　利便性の美名の基に自然の理を無視し、豊かさのみを追求してきた
　　　　人間の欲望や傲慢さに強い疑念を覚えます。

　　　　さらに、今日の我が国には、世界経済の悪化と構造不況により
　　　　明日が見通せない閉塞感が満ちております。

　　　　このような状況を変革するためには仏教の慈悲心、利他の心を
　　　　日本人が取り戻すことが必要であります。

　　　　よりよい日本、世界平和の実現に向けて、各ご教団のご協力と
　　　　ご支援をお願い申し上げる次第でございます。“




（尚、上記河野前会長のインタビュー記事は４月２７日付けで、半田新会長の就任挨拶は５月１日付けで、いずれも<a href="http://www.jbf.ne.jp/"target="_blank">「全仏」のサイト</a>にアップされたものです）

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（完）
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   </content>
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   <title>Vol.125　現時点での大飯原発再稼働要請に思う　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　—————これまた歴史的愚挙！</title>
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   <published>2012-04-23T14:09:25Z</published>
   <updated>2012-04-27T12:31:55Z</updated>
   
   <summary>枝野経産大臣は去る４月１４日、福井県西川知事を訪ね、大飯３・４号機の安全性は確保...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.linhwa.jp/">
      枝野経産大臣は去る４月１４日、福井県西川知事を訪ね、大飯３・４号機の安全性は確保されていると説明した上、電力需給面での必要性を訴え再稼働への理解と協力を要請されましたが、

それに続き、本４月２３日、牧野経産副大臣が京都・滋賀両知事に対しても同様の要請を行った由です。

      <![CDATA[


これに対し、先の西川知事に続き、山田・嘉田両知事も慎重姿勢を示された由ですが、至極当然と感じています。



現時点での再稼働要請は明らかに時期尚早であり、時間と労力の無駄であるばかりか、国民の政府に対する信頼を自ら貶める自殺行為であると考えます。


　　　　　（尚、本件に関し、日本弁護士連合会は４月２０日付けで、
　　　　　　再稼働に反対する会長声明を出しています。

　　　　　　全文は<a href="http://www.nichibenren.or.jp/activity/document/statement/year/2012/120420_2.html"target="_blank">こちら</a>をご覧下さい）

　　　　　　





さて、私は先月始めのこの場に<a href="http://www.linhwa.jp/2012/03/vol122_1.html#extended"target="_blank"> “沖縄普天間問題、「辺野古固執」は歴史的愚挙！——野田首相は現実を直視し、対米交渉開始を！！”　</a>と題する思いを記させて頂きましたが、今この時点での地元への再稼働要請はやはり歴史的愚挙と感じています。



一体なぜ野田内閣は歴史的愚挙を重ねるのか？



霞ヶ関へのグリップが効かなくなっていることもあるでしょうし、普天間・原発共にアメリカからの直接・間接の強いプレッシャーがあることも容易に想像出来ます。




そこで問われるのが、「リーダーの資質」です。



このことに関し、私が師と仰ぐ梅原猛先生は、リーダーには７つの条件が必要と言われましたが、その一つが、『冷徹な理性』で、次のように述べておられます。


　　　　　　  “肉体化した理性をカンというのであろう。
　　　　　　　カンの鈍い人はリーダーの条件に欠けている“




野田首相について私は、上記普天間問題についてのエントリーのなかで、　“自民党もビックリの属米路線と増税強行路線を鈍牛の如く突き進んでおり、政権の前途は大波乱含み”　と記しましたが、いよいよその感を深めています。



野田さんの人柄の良さは万人が認めるところですが、カンという点でリーダーとしては今ひとつということがはっきりしてきたような気がしています。




梅原先生の言われる７つの条件全ては求めぬまでも、相当程度を備えたリーダーの出現をここ数年来願ってきていますが、もはや現職国会議員のなかには候補者はいないのではないかと考えている昨今です。


　　　　　　　（梅原先生の７つの条件について詳しくは、
　　　　　　　　<a href="http://www.linhwa.jp/2009/04/vol76.html#extended"target="_blank"> Vol.76　”リーダーの７つの条件”</a> をご覧下さい）

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（完）




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   <title>Vol.124　この世に偶然なし（その４）——『共時性』と河合隼雄先生</title>
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   <published>2012-04-20T06:27:01Z</published>
   <updated>2012-04-20T06:49:44Z</updated>
   
   <summary>“この世に偶然なし” のタイトルで、これまで三回記させて頂きました（末尾ご参照）...</summary>
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      “この世に偶然なし” のタイトルで、これまで三回記させて頂きました（末尾ご参照）


今回は（その４）として、私の心の師である元文化庁長官、河合隼雄先生の、そのことに関連する言葉を紹介させて頂きます。

      <![CDATA[



河合先生は、スイスの精神科医・心理学者カール・グスタフ・ユング（１８７５〜１９６１）に強く惹かれ、１９６２年から約３年、スイスのユング研究所に留学をされていますが、そのユングが提唱したものの一つに、『シンクロニシティー(Synchronicity)』という概念があります。



シンクロニシティーは、『共時性』———意味のある偶然の一致———と訳されていますが、ユングは自分の身の回りの出来ごとのなかに、「偶然」と切り捨ててしまうには余りにも不思議なことがいくつも存在することに注目し、思索・研究を深めて行きました。

ノーベル物理学者のヴォルフガング・パウリ（１９００〜１９５８）とは長期に亘り共同作業をしていますし、東洋文明・中国文明にも並々ならぬ関心を寄せ、鈴木大拙ともかなりの親交があったようです。




そして辿り着いたのが、

　　　  “一見単なる「偶然」に思えるいくつかの「偶然」のなかには、
　　　　「意味のある偶然」も存在する”

という洞察であり、それをシンクロニシティーと名付けました。



そしてそれは、一人一人の「無意識の領域」の更に奥深いところに潜んでいる、人類全体に共通する無意識ーーー『集合的無意識（Collective unconscious）』ーーーが深く関わっていると考えるに到っております。






さて、河合先生はユング心理学のわが国への導入者であり第一人者ですが、以下は『共時性』についての先生の言葉です。

『、、、、、、、とユングは考えている』と記されていますが、ご自身も全く同じか、あるいは更に深化した考えをお持ちであったことは間違いありません。
　
もちろん私もそういう考え方の信奉者の一人です。


　　　  “人間にとって因果律に従って事象を把握することは極めて重要な
　　　　ことであり、特にニュートン、ガリレオによる力学法則の発見以来
　　　　すべての事象は因果的に把握し得るという確信が強まったため、
　　　　非因果的な事象に注目することに対して強い拒否感情が生じるように
　　　　なったと思はれる。

　　　　それを単なる偶然として無視しないと、せっかくの体系が
　　　　壊されるように感じられるからである。

　　　　　　　　　　　　　（中略）

　　　　中国は古代から高度の文明をもちながら易のような共時的現象に
　　　　注目したので、西洋近代に発達したような科学を発展させる
　　　　ことができなかった。

　　　　しかし実際には因果律も共時性も共に重要なものであり、
　　　　西洋の近代は因果律思考に頼りすぎて一面的になっているので、
　　　　それを補うことが必要であるとユングは考えている。“

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（「宗教と科学の接点」より）




河合先生が亡くなられてからもうすぐ満５年。


ご存命であれば、【３・１１】に対し、どのような発言をされたであろうか？　
興味が尽きません。　改めて合掌。


　　　　　　（尚、これまでに記しました “この世に偶然なし” は
　　　　　　　次の通りです）

　　　　　　　　　　<a href="http://www.linhwa.jp/2004/01/post_10.html#extended"target="_blank">Vol. 1　この世に偶然なし</a>

　　　　　　　　　　<a href="http://www.linhwa.jp/2010/05/vol95.html#extended"target="_blank">Vol.95　この世に偶然なし（その２）</a>

　　　　　　　　　　<a href="http://www.linhwa.jp/2010/06/vol96.html#extended"target="_blank">Vol.96  この世に偶然なし（その３）</a>


　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（完）


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   <title>Vol.123　『つつましさ』を再び！　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　ーーー東日本大震災に思う（その１０）</title>
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   <published>2012-04-11T13:50:00Z</published>
   <updated>2012-04-11T14:51:48Z</updated>
   
   <summary>『つつましさ』———思慮深く控えめなさま・ぜいたくでないさまーーーは、私たち日本...</summary>
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      『つつましさ』———思慮深く控えめなさま・ぜいたくでないさまーーーは、私たち日本人の持つ伝統的価値の一つと言えますが、最近この言葉自体あまり耳にしなくなったような気がします。

      <![CDATA[


『つつましさ』の対極にあるのは、『貪欲』———際限なく欲しがるさま———と言えますが、仏教では、『貪欲』の『貪（とん）』は、『瞋（しん）』と『痴（ち）』と共に「三毒」と呼ばれ、人間の心身の苦しみや悩みを生み出す元凶とされています。


　　　　　　　（この点詳しくは、Vol.５４<a href="http://www.linhwa.jp/2008/02/vol54.html#extended"target="_blank">“この世の「三毒」”</a>　を
　　　　　　　　ご覧頂ければと思います）






一方で私は、Vol.５５<a href="http://www.linhwa.jp/2008/03/vol55.html#extended"target="_blank">“『煩悩』と近代社会”　</a>に記しましたように、

　　　　『貪』を、飽くなき欲望追求心、
　　　　『瞋』を、不撓不屈の競争心
　　　　『痴』を、自然を畏れぬ挑戦心

と解釈してみますと、「三毒」は特に近代以降、人類に驚異的な進歩と発展をもたらしたことも事実と思っています。




欲望追求心・競争心・挑戦心は、「進歩・発展の母」とも言えますが、では私たちの欲望は、これからも際限なく充足され得るのか？　人類は未来永劫、進歩・発展を遂げられるのか？　と考えますと、残念ながら否定的にならざるを得ません。


それは、「無限の欲望」は、いずれ必ず『自然』から手痛いしっぺ返しを受けると考えられるからです。
「自然は征服すべきもの」と位置づける西洋文明・一神教文明に対する「自然の復讐」と言ってもよいと思います。






そろそろ人類は、『貪欲』の方に振れ過ぎた振り子の針を、『つつましさ』の方に戻す必要があると考えています。
さもなくば『自然』は、更に大きな復讐をしてくるに違いないと案じています。

今回の大震災は、そのことを私たちに伝える貴重なメッセージと私は受け止めているところです。






さて近代は、「欲望」と「資本主義」と「科学技術」とが三位一体となって「膨張のスパイラル」を続けている時代と言えます。

そう考えますと、『自然』の復讐を避ける為には、単に「欲望」をつつましくするだけでは不十分で、「資本主義」にも「科学技術」にも『つつましさ』が求められ、その三つを一体的に「抑制のスパイラル」に押し戻す必要があることになります。

しかしそれは相当な大仕事であり、私が「新しいパラダイム」の構築が不可欠と考える所以です。


　　　　　　　（この点、詳しくは、

　　　　　　Vol.６６<a href="http://www.linhwa.jp/2008/10/vol66.html#extended"target="_blank">“「欲望」このやっかいなるものと「新しいパラダイム」"</a>

　　　　　　　　をご覧頂ければと思います）





しかし幸いなことに、私たち日本人は、ついこの間まで誰もが『つつましさ』を身につけており、『自然』を慈しみ畏れながら分をわきまえて暮らしていました。

熊本在住の大思想家、渡辺京二さんの次のような指摘が胸に響きます。


　　  　“自分がある地域、ある社会階層、ある家庭に、ある身体条件を
　　　　もって生まれつき、ある境遇、ある職業、ある運命のなかに生を
　　　　過ごさねばならぬことを得心し、平静な心と素直な感情で
　　　　その束の間の一生を生き通すというのは、いかなる凡人であれ
　　　　私たちの父祖がついこのあいだまで身につけていた生のスタイル
　　　　だった。

　　　　彼らの有名な自己抑制はそこから生じたのである。

　　　　　　　　　　　　　　（中略）

　　　　私たちは少しばかり想い起こすだけでいいのだ。

　　　　自然と仲間とのゆたかな交わりのうちに無名の一生が完結することに
　　　　何の疑いももたなかったのが、ついこのあいだまでの人間の
　　　　あたりまえの姿だったのだということを。“


　　　　　　　　　（「未踏の野を過ぎて」の中の　“つつましさの喪失”　より）




西洋人に較べれば、私たち日本人は振り子の針を戻すのはずっと容易な筈です。




大震災を契機に、『つつましさ』を取り戻し、その大切さを世界に発信し続けてゆくこと、それが、今回犠牲となられた二万人を超す方々への何よりの供養になると共に、放射能汚染のために住み慣れた故郷を強制的に捨てさせられる何万人もの方々へのせめてもの償いにもなると考えています。

“『つつましさ』を再び！”　と願うや切です。





尚、大震災に関しての私のこれまでのエントリーは次の通りです。

　　　　２０１１年３月２１日

　　　　　　　<a href="http://www.linhwa.jp/2011/03/vol106.html#extended"target="_blank">“東北関東大震災を機縁に、「新文明」の模索を！”</a>

　　　 （その２）４月１７日

　　　　　　　<a href="http://www.linhwa.jp/2011/04/vol107.html#extended"target="_blank">“「脱原発」を決断し、「電力多消費文明」との訣別を！"</a>
　　　　　
　　　　（その３）４月２６日　<a href="http://www.linhwa.jp/2011/04/vol108_1.html#extended"target="_blank">“原発事故に関連しての二つの声明文ご紹介“</a>

　　　　（その４）６月１１日　<a href="http://www.linhwa.jp/2011/06/vol110.html#extended"target="_blank">”「科学技術」と「歴史の進歩」について“</a>

　　　　（その５）７月９日　

　　　　　<a href="http://www.linhwa.jp/2011/07/vol110_1.html#extended"target="_blank">“東北から「日本仏教＝日本の心」を国中へ再び！そして世界へも“</a>

　　　　（その６）７月２４日　

　　　　　　　<a href="http://www.linhwa.jp/2011/07/vol112_1.html#extended"target="_blank">“天外伺朗さんの描く「１００年後の東北・日本」ご紹介“　</a>
　
　　　　　 (その７）１１月１５日
　
　　　                          <a href="http://www.linhwa.jp/2011/11/vol117.html#extended"target="_blank">   “原発問題に関する旧友からの「怒りのメール」ご紹介”</a>

　　　　（その８）１２月１１日

　　　　　　　<a href="http://www.linhwa.jp/2011/12/vol119.html#extended"target="_blank">“原発に関する全日本仏教会の宣言文ご紹介” </a>

　　　　（その９）２０１２年２月５日

　　　　　　　<a href="http://www.linhwa.jp/2012/02/vol1213.html#extended"target="_blank">“日本仏教界、【3・１１】を契機に覚醒！”　</a>
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　
               　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（完）　　　　　
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   <title>Vol.122　沖縄普天間問題、「辺野古固執」は歴史的愚挙！　　　　　　　　　　　ーー野田首相は現実を直視し、対米交渉開始を！！</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.linhwa.jp/2012/03/vol122_1.html" />
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   <published>2012-03-04T15:17:00Z</published>
   <updated>2012-03-04T15:43:02Z</updated>
   
   <summary>大震災からもうすぐ１年。 政治の混迷・非力もあって、この１年は本当に長く感じられ...</summary>
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      大震災からもうすぐ１年。
政治の混迷・非力もあって、この１年は本当に長く感じられました。

被災地の方々なかでも福島の方々は、その思いが一段と強いものと推察しています。

未だに避難を余儀なくされている多くの方々はじめ、被害に遭われた全ての皆様、関係の皆様に、改めて心よりお見舞いを申し上げます。

      <![CDATA[


さて震災の約２０日前、私はこの場に、早期解散・総選挙を求める訴えを記させて頂きました。


その前年６月に発足した菅内閣のその時点での支持率は、NHK２１％・共同通信１９．９％など、軒並み２０％前後であり、政権はもはや風前の灯、総辞職あるいは解散・総選挙必至の情勢でありました。


そんななか私は、早期解散・総選挙を求めると共に、リーダー候補がなかなか見当たらぬ故、次の総選挙には、現職国会議員以外の有為な人材が一斉に出馬されることを強く訴えた次第です。


しかし直後の震災により、菅内閣は失政・醜態を重ねつつも結局８月末迄延命、そして総選挙がまだ無理であったがために、９月には民主党３人目の野田首相が誕生したという展開でした。





爾来丁度半年。


民主党代表選候補４人のうちでは最も安定していると見られた野田首相ですが、自民党もビックリの属米路線と増税強行路線を鈍牛の如く突き進んでおり、政権の前途は大波乱含み、政治に対する国民の不信と諦めも一段と進み、有権者の半分が無党派層になってしまいました。

『このままでは次に誰が首相になったとしても「６人目の短命首相」になる』という１年前の私の予想が現実味を帯びつつあり、何ともやるせない思いです。


　　　　　（上記１年前の私の全文は、
　　　　　　<a href="http://www.linhwa.jp/2011/02/vol105.html#extended"target="_blank">Vol.105“民主党の体たらくに、、、、早期解散・総選挙を求める”</a>
　　　　　　をご覧下さい）






さて、ここからが本論ですが、その野田首相は先月末、就任後初めて訪れた沖縄で、『辺野古移設が唯一有効な方法』であり、『私なりのスタートラインに立ったと思う』と述べられました。

どうやら本気でそう考えている風情であり、ひょっとして移設強行も胸中にあるのではないかと愕然とした次第ですが、私は事態はもはや不可逆、いかなる「アメとムチ」を用いても辺野古移設は不可能であり、辺野古に固執するのは時間と労力の空費と確信しています。





以下は、首相初来県を受けた<a href="http://www.okinawatimes.co.jp/top/"target="_blank">沖縄タイムス</a>の社説の一部ですが、私はそこに沖縄の人々の【怒りの本質】が凝縮されていると感じています。


　　　　 " 「最低でも県外」を唱え、挫折した鳩山由紀夫元首相に普天間問題の
　　　　　停滞の責任を帰する論調は中央メディアでもかまびすしい。
　　　　　
　　　　　しかし、県民にうっせきした不満は、鳩山氏が「最低でも県外」と
　　　　　言い出したことや、移設先が一時迷走したことに由来するものでは　　
　　　　　ない。

　　　　　安保を聖域化し、自公政権の政策をそのまま踏襲する民主政権の
　　　　　不甲斐なさに向けられているのである。“

　　　　　　　　　　　　　　（２月２６日付<a href="http://www.okinawatimes.co.jp/article/2012-02-26_30307/"target="_blank">「混乱の元凶を直視せよ」</a>）




　　　　 “再編見直しをめぐり、沖縄の米海兵隊の一部を米軍岩国基地に
　　　　　移したいとの米側の打診に対し、政府は即座に拒否を決めた。

　　　　　山口県と岩国市から強い反発があったためだ。

　　　　　本土に飛び火しそうになると慌てて打ち消し、沖縄に対しては、
　　　　　辺野古が「唯一、有効」だとして譲らない。

　　　　　沖縄の怒りはここにある“

　　　　　　　　　　　　　　（２月２８日付<a href="http://www.okinawatimes.co.jp/article/2012-02-28_30373/"target="_blank">「上空から何をみたのか」</a>）





野田首相には、沖縄の現状を直視し、県民の【怒りの本質】を謙虚に的確に感得されることを強く求めたいと思います。


首相が向き合うべきは沖縄県民ではなく、アメリカ政府であり、また他道府県民なのです。

残る任期中に、是非とも「対米交渉のスタートライン」に立たれることを切望するものです。







尚、全くの余談・私事ですが、私の（今のところ）ただ一人の孫には、沖縄の血が半分流れています。

幼い彼女の顔を思い浮かべながら、本稿を記した次第です。

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（完）
]]>
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>Vol.121　日本仏教界、【3・１１】を契機に覚醒！　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　ーーー東日本大震災に思う（その９）</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.linhwa.jp/2012/02/vol1213.html" />
   <id>tag:www.linhwa.jp,2012://1.177</id>
   
   <published>2012-02-05T05:27:17Z</published>
   <updated>2012-02-05T13:13:22Z</updated>
   
   <summary>私は、去る２００９年の年頭、“年の初めに日本仏教界の覚醒を願う！”　と題するやや...</summary>
   <author>
      <name>shinoda</name>
      
   </author>
         <category term="0020その他仏教関連" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.linhwa.jp/">
      <![CDATA[私は、去る２００９年の年頭、<a href="http://www.linhwa.jp/2009/01/vol71_1.html#extended"target="_blank">“年の初めに日本仏教界の覚醒を願う！”</a>　と題するやや長文の思いを記させて頂きました。


その要旨は；

いよいよ終章に入った「西洋近代文明」、「一神教文明」、、、、、その次を担うべきは、“「仏教」なかんずく「八百万の神々」と混淆した『日本仏教』”　であると思うものの、かんじんの日本仏教界は明治維新以降今日に到る迄、四囲の情勢により殆ど休眠状態にある故、その早期覚醒を願う！

というものでした。


]]>
      <![CDATA[　　　　　（尚、『日本仏教』に関する私なりの理解は、Vol.25
　　　　　　　<a href="http://www.linhwa.jp/2006/03/vol25.html#extended"target="_blank">“神も仏も、山も川も・・・今こそ【日本仏教】の再評価を”</a>
　　　　　　　を、ご参照頂きたいと思います）









爾来満３年、私は今、“日本仏教界は【3・１１】を契機に覚醒した！”　と強く感じています。


以下に、私がそう感じる象徴的な出来事を三つ、新しい順に記させて頂きます。


（１）天台宗・真言宗、両トップが何と１，２００年ぶりに対話。


　　 ——天台宗開祖最澄（伝教大師）と真言宗開祖空海（弘法大師）は、最後
　　　　西暦８１２年に会った後、絶交状態となり、以降両宗トップ間の
　　　　対話は全くありませんでした。


　　——しかし昨年１２月２５日、<a href="http://www.tendai.or.jp/"target="_blank">天台宗</a>半田孝淳座主と<a href="http://www.koyasan.or.jp/index.html"target="_blank">高野山真言宗</a>総本山
　　　　金剛峯寺松長有慶座主とが対面され、大震災後の日本人はどうある
　　　　べきか、自然や環境とどう向き合うべきか等について、長時間
　　　　話し合われました。

　　 ——対談のまとめは、１月８日の読売新聞に掲載されていますが、
　　　　“今こそ平安仏教の「自然と一緒に生きる（共生）」という考え方を
　　　　生かす時代“　との共通認識が確認され、『宗教界が震災後の日本人の
　　　　生き方の支柱にならないといけないし、それがこれからの世界を
　　　　動かすことになると思うのです』という松長座主の言葉で締めくく
　　　　られています。

　　——１，０００年に一度の大震災、それに伴う原発事故が、１，２００年
　　　　ぶりの両宗トップの対話をもたらした訳で、何とも言えぬ感慨を
　　　　覚えます。




（２）<a href="http://www.jbf.ne.jp/"target="_blank">「全日本仏教会（「全仏」）」</a>は、昨年１２月１日、
　　　画期的な宣言文<a href="http://www.jbf.ne.jp/2011/12/post_214.html"target="_blank">『原子力発電によらない生き方を求めて』</a>を発表。


　　 ——これに関しましては、<a href="http://www.linhwa.jp/2011/12/vol119.html#extended"target="_blank">Vol.119“東日本大震災に思う（その８）”</a>に
　　　　記させて頂いた通りですが、正直なところ私は、
　　　　「全仏」のこれまでの活動状況等から考え、原発のように国論が
　　　　分かれる社会問題に対し、日本仏教界が連合体として統一見解・
　　　　方向性を打ち出せるとは思ってもいませんでした。

　　　　ここでも今回の大災害の衝撃の大きさを痛感致します。

　　 ——仏教界の取りまとめにあたっては、「全仏」会長、<a href="http://www.myoshinji.or.jp/"target="_blank">臨済宗妙心寺派</a>
　　　　河野太通管長が並々ならぬリーダーシップを発揮されたものと理解
　　　　していますが、
　　　　臨済宗妙心寺派単独では、既に昨年９月、『原子力発電に依存しない
　　　　社会の実現』と題する以下のような宣言文を発表しています。

　　　　仏教徒としての強い決意がうかがえます。
　　　　
　　　　　 “今年３月１１日に発生した東日本大震災に伴う原子力発電事故は、
　　　　　　世界中の人々の人生観に大きな衝撃を与えました。
　　　　
　　　　　　半年を過ぎた今日においても、未だ終わりが見えない状況で
　　　　　　多くの人々の生命（いのち）や人権が脅かされ、苦悩の日々を
　　　　　　余儀なくされています。

　　　　　　たとえ平和利用とはいえ、原子力による発電が人類の制御
　　　　　　できない危険な領域であると露呈した今、私たちは将来ある
　　　　　　子供たちのために一刻も早く原発依存から脱却し、これに代わる
　　　　　　安全なエネルギーへの転換に向け社会に働きかけなければ
　　　　　　なりません。

　　　　　　この度の様々な出来事は、すべての人々に心の豊かさ、安心
　　　　　　できる平和な生活とは何かを改めて問い直すよう促しています。

　　　　　　私たち仏教徒は、利便性や経済性のみを追求せず、仏教で説く
　　　　　　「知足（足るを知る）」を実践し、持続可能な共生社会を作る
　　　　　　ために努力することをここに決意し、宣言します。

　　　　　　　　　　　　　　　　　　２０１１（平成２３）年９月２９日

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　第１２１次定期宗議会
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　臨済宗妙心寺派教団
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　臨済宗妙心寺派宗議会　　　　

　　——「全仏」会長（任期２年）は、本年４月から前記天台宗半田座主が
　　　　勤められます。
　　　　新たなる視点での、半田（新）会長のリーダーシップにも大いに
　　　　期待をするものです。




（３）大震災物故者に対し、<a href="http://www.hachimangu.or.jp/"target="_blank">鶴岡八幡宮</a>と<a href="http://www.todaiji.or.jp/"target="_blank">東大寺（華厳宗大本山）</a>が、
　　　盛大な合同慰霊祭事・法要を執行。


　　 ——昨年６月１２日に鎌倉の鶴岡八幡宮で、９月１８日には奈良の
　　　　東大寺大仏殿で、いずれも盛大に執行され、被災地復興への合同の
　　　　祈りも捧げられました。

　　 ——神社とお寺が合同で大がかりな催しを行うことは、明治維新の
　　　　神仏分離令以降、殆ど無かったものと思われ、これまた極めて画期的
　　　　な出来事です。
　　　　神仏混淆の『日本仏教』の神髄を見る思いです。









上記から明らかな如く、“日本仏教界は間違いなく大きく動き始めた”　と言えますが、この三例が示しますように、奈良仏教（華厳宗）、平安仏教（天台宗・真言宗）、鎌倉仏教（臨済宗）のいずれでも動きが見られること、誠に心強い限りです。




私は、「宗教との関わり」という観点で、長い日本の歴史を４期に分けて捉えていますが、いよいよその第５期　“豊かで便利でかつ宗教心溢れる時代”　が始まるような予感がしています。



「西洋近代文明」、「一神教文明」を止揚した「新しい文明」の創造に向け、日本仏教界が今年更に一歩前進することを心から願っています。


　　　　　（尚、上記私流の「日本歴史の４区分」に関しましては、
　　　　　　<a href="http://www.linhwa.jp/2006/09/post_21.html#extended"target="_blank">Vol.29　“『宗教心溢れる時代』に向けて”</a>　をご参照
　　　　　　頂きたいと思います）

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（完）
　　　　
]]>
   </content>
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<entry>
   <title>Vol.120　年の初めに思うこと　　———「日本の大転換」に向けて</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.linhwa.jp/2012/01/vol120_1.html" />
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   <published>2012-01-05T08:23:27Z</published>
   <updated>2012-01-05T14:15:12Z</updated>
   
   <summary>昨２０１１年は本当に大変な年でした。 しかし、千年に一度の大地震も、原発事故さえ...</summary>
   <author>
      <name>shinoda</name>
      
   </author>
         <category term="0030その他スピリチュアル分野" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.linhwa.jp/">
      昨２０１１年は本当に大変な年でした。

しかし、千年に一度の大地震も、原発事故さえ無ければ、今後数十年以上も引きずるような究極の大惨事にはなっていなかったことを想起する時、人智の浅はかさ・科学技術の罪深さに身震いする思いです。




社会学者上野千鶴子先生の、叫びにも似た次の言葉に胸を打たれます。

      <![CDATA[　　　　　　
　　　　“８・１５と３・１１とに、日本は二度の敗戦を迎えた。

　　　　　一度めは、みずからのおろかさによって。
　　　　　二度めもまた、みずからのおろかさによって。

　　　　　そして、その両者に核エネルギーが関わり、
　　　　　ひとと国土を壊滅的に破壊した。“


　　　　　　　　　　　　　　　　　（『脱原発を創る３０人の提言』）






その「核エネルギー」に関し、思想家・人類学者の中沢新一先生は、３・１１後の論考『日本の大転換』（集英社新書）において、「原発」と「一神教」と「資本主義」は実は同根であると喝破され、わが国の命運は、その根から生まれた現行文明を、仏教的な文明に大転換出来るかどうかにかかっている旨述べておられます。


この大惨事は、“「西洋近代文明」の一つの必然的結果”　と捉えていた私としては、わが意を得た思いです。
　

　　　　　　　（そのことにつきましては、震災１０日後に記しました、
　　　　　　　　<a href="http://www.linhwa.jp/2011/03/vol106.html#extended"target="_blank">“東北関東大震災を機縁に、「新文明」の模索を！”</a>を
　　　　　　　　ご覧頂ければと存じます）






さて昨年の年頭、私は、アンドレ・マルローの、“２１世紀はスピリチュアルな時代となるであろう。さもなくばそれは存在しない”　になぞらえ、


　　　　 “２１世紀の日本人は再びスピリチュアルになるであろう。
　　　　　そして世界を変えてゆくであろう。
　　　　　さもなくば日本人も、そして２１世紀も存在しない“


と記しましたが、震災を契機に私たち日本人は間違いなくスピリチュアルに戻り始めたと強く感じています。





昨年の漢字に、圧倒的多数で『絆』が選ばれたことが、そのことを端的に示していますし、GNH（国民総幸福度）で知られるブータン国王夫妻の来日・福島訪問もあって、人々は『真の幸福とは何か？』を問い直し始めたように見受けられます。

また、震災に加え、９月には台風による豪雨災害などもあり、自然に対する畏怖・畏敬の念があまねく復元しつつあります。

そうした状況下、大晦日のNHK紅白　“あしたを歌おう”　では、深く心にしみ入る曲が例年にも増して数多く歌われていた気がします。


昨年は正に、『スピリチュアル復活元年』でありました。


　　　　　　　（尚、上記私の昨年の年頭の思い、
　　　　　　 　<a href="http://www.linhwa.jp/2011/01/vol103second_decade.html#extended"target="_blank">“２１世紀Second decadeの始まりにあたって“　</a>は、
　　　　　　　　近代のこと、２１世紀のこと、わが国の可能性などに関し、
　　　　　　　　私が強い共感を覚えた次の方々の言葉を転載したものです。

　　　　　　　　　　　　　（記載順・敬称略）

　　　　　　　　梅原猛・山折哲雄・天外伺朗・伊東光晴・町田宗鳳・
　　　　　　　　渡辺京二・寺島実郎・清水博・五木寛之

　　　　　　　　震災後の今、それらの言葉は一段と胸に迫ります）






さてしからば、『スピリチュアル復活２年目』の今年、最も大切なことは何か？


私は、『復活元年』に感じたこと、考えたこと、願ったことなどを決して忘れず、その思いを深化・発展させて行くことであろうと思っています。


『瞬間菩薩』という言葉があります。

ある瞬間には、優しい気持ち・仏の心が芽生えても、すぐ元に戻ってしまうことを指しますが、同様に私たちは『瞬間スピリチュアル』であってはなりません。


顧みれば、１７年前の「１・１７神戸」の時は、私たちはおしなべて『瞬間スピリチュアル』であったと言えますが、日本人が、中沢新一先生の言われるような「文明の大転換」を成し遂げ、世界を変えてゆくためには、『スピリチュアルの持続』が必要不可欠と信じます。





今年もまた、わが国にのみならず世界的にも政治が漂流し、政府と国民はますます離反して行くものと想像されるだけに、国民一人一人が自立した『気高い精神性（スピリチュアリティー）』を涵養し開花させて行くことは一層重要と考えています。



その為には、つとめて動物や植物、自然と親しみ、「命」の尊さ・はかなさを体感しつつ、『共生感』を取り戻すことが肝要です。


そしてその観点から、大自然と文字通り一体となって心豊かに暮らしていた、アイヌやアメリカン・インディアンなど先住民の方々の思想・文化に改めて触れ、学ぶことは、震災後の私たちに新たな気付きと示唆をもたらしてくれ、極めて有意義と考えます。

アイヌ文化につきましては、<a href="http://www.frpac.or.jp/"target="_blank">財団法人アイヌ文化振興・研究推進機構のサイト</a>が先ずはお奨めです。
私もささやかながら同財団の賛助会員の一人です。






本稿の締めくくりとして、以下に天才アイヌ少女、知里幸恵（ちりゆきえ）さんの、祈りにも似た切々たる名文の願いを転載します。


彼女は１９０３年（明治３６年）北海道登別生まれ、１５才で民俗学者金田一京助と出会い、アイヌ民族の文化・伝統を後世に残すべくカムイユカラ（口承叙事詩）の日本語訳に取り組み、『アイヌ神謡集』を編纂、しかしその校正終了直後の１９２２年９月（大正１１年）金田一邸で急逝、享年１９才。
言語学者で（元）北大教授の知里真志保氏（１９０９〜１９６１）は実弟。


以下は、１９２３年８月に出版された、その『アイヌ神謡集』の序文で、１９２２年３月に書かれたものです（現代仮名遣いに直しました）　


　
　　　　　　　　　　——————————————————


　　　　　　　　　　　　　　　　　序

　
其の昔此の広い北海道は、私たちの先祖の自由の天地でありました。天真爛漫な稚児の様に、美しい大自然に抱擁されてのんびりと楽しく生活していた彼等は、真に自然の寵児、何と云う幸福な人だちであったでしょう。


　冬の陸には林野をおおう深雪を蹴って、天地を凍らす寒気を物ともせず山又山をふみ超えて熊を狩り、夏の海には涼風泳ぐみどりの波、白い鴎の歌を友に木の葉の様な小舟を浮べてひねもす魚を漁り、花咲く春は軟らかな陽の光を浴びて、永久に囀づる小鳥と共に歌い暮して蕗とり蓬摘み、紅葉の秋は野分に穂揃うすすきをわけて、宵まで鮭とる篝も消え、谷間に友呼ぶ鹿の音を外に、円かな月に夢を結ぶ。嗚呼何という楽しい生活でしょう。平和の境、それも今は昔、夢は破れて幾十年、此の地は急速な変転をなし、山野は村に、村は町にと次第々々に開けてゆく。


　太古ながらの自然の姿も何時の間にか影薄れて野辺に山辺に嬉々として暮らしていた多くの民の行方も又何処。僅かに残る私たち同族は、進みゆく世のさまにただ驚きの眼をみはるばかり。而も其の眼からは一挙一動宗教的観念に支配されていた昔の人の美しい魂の輝きは失われて、不安に充ち不平に燃え、鈍りくらんで行手も見わかず、よその御慈悲にすがらねばならぬ、あさましい姿、おお亡びゆくもの・・・・・それは今の私たちの名、何という悲しい名前を私たちは持っているのでしょう。


　其の昔、幸福な私たちの先祖は、自分の此の郷土が末にこうした惨めなありさまに変ろうなどとは、露ほども想像し得なかったのでありましょう。


　時は絶えず流れる、世は限りなく進展してゆく。激しい競争場裡に敗残の醜をさらしている今の私たちの中からも、いつかは、二人三人でも強いものが出て来たら、進みゆく世と歩をならべる日も、やがては来ましょう。それはほんとうに私たちの切なる望み、明暮祈っている事で御座います。


　けれど・・・・・・・愛する私たちの先祖が起伏す日頃互に意を通ずる為に用いた多くの言語、言い古し、残し伝えた多くの美しい言葉、それらのものもみんな果敢なく、亡びゆく弱きものと共に消失せてしまうのでしょうか。おおそれはあまりにいたましい名残惜しい事で御座います。


　アイヌに生れアイヌ語の中に生いたった私は、雨の宵雪の夜、暇ある毎に打集うて私たちの先祖が語り興じたいろいろな物語の中極く小さな話しの一つ二つを拙ない筆に書連ねました。


　私たちを知って下さる多くの方に読んでいただく事が出来ますならば、私は、私たちの同族祖先と共にほんとうに無限の喜び、無上の幸福に存じます。

　　　　大正十一年三月一日
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　知　里　幸　恵


　　　　　　　　　————————————————————

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（完）
]]>
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>Vol.119 東日本大震災に思う（その８)　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　ーーー原発に関する全日本仏教会の宣言文ご紹介　 　　　　　　　</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.linhwa.jp/2011/12/vol119.html" />
   <id>tag:www.linhwa.jp,2011://1.175</id>
   
   <published>2011-12-11T13:21:40Z</published>
   <updated>2011-12-13T01:28:30Z</updated>
   
   <summary>東日本大震災から今日でちょうど９ヶ月。 復興庁設置法はようやく一昨日成立しました...</summary>
   <author>
      <name>shinoda</name>
      
   </author>
         <category term="0070その他政治・社会分野" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.linhwa.jp/">
      東日本大震災から今日でちょうど９ヶ月。



復興庁設置法はようやく一昨日成立しましたが、この問題に限らず、昨今のわが国政治の機能不全・スピード不足は目を覆うばかりです。

これでは大阪の橋下旋風もむべなるかなですが、一方、こうした旋風の行き着く先には大いなる懸念も抱かざるを得ません。

      <![CDATA[

「まともな政治の復活」を望むや切ですが、さてそうした中、<a href="http://www.jbf.ne.jp/"target="_blank">全日本仏教会</a>（全仏）が去る１２月１日、原発問題に関する宣言文を発表していますので、ご紹介させて頂きます。





全仏は、わが国の新旧仏教教団の大多数が参集する財団法人ですが、原発のような個別の社会問題に対し宣言文を出すということはこれまであまり例が無かっただけに、私は今回の発信を高く評価すると共に、今後も現代社会の諸問題に対し、仏教の教えの立場から積極的に発信を続けて行って欲しいと願っているところです。




宣言文は、「原子力発電によらない生き方を求めて」とのタイトルの下、


　　　　“「いのち」を脅かす原子力発電への依存を減らし、
　　　　　原子力発電に依らない持続可能なエネルギーによる社会の
　　　　　実現を目指し、

　　　　　　　　　　      （中略）

 　　　　　過剰な物質的欲望から脱し、足ることを知り、
　　　　　自然の前で謙虚である生活の実現にむけて最善を尽くし、
　　　　　一人ひとりの「いのち」が守られる社会を築くことを
　　　　　宣言いたします。“

と結んでいます。  


全文はこちらです。　ご一読をお薦めします。

　　<a href="http://www.jbf.ne.jp/2011/12/post_214.html"target="_blank">http://www.jbf.ne.jp/2011/12/post_214.html</a>
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（完）　　
]]>
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>Vol.118　『四弘誓願』　——修行者の四つの誓いーー</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.linhwa.jp/2011/12/vol118_1.html" />
   <id>tag:www.linhwa.jp,2011://1.174</id>
   
   <published>2011-12-07T07:08:10Z</published>
   <updated>2011-12-07T12:57:51Z</updated>
   
   <summary>『四弘誓願』（しぐせいがん）は仏教の言葉で、「悟り」を得ようと修行を始める者が、...</summary>
   <author>
      <name>shinoda</name>
      
   </author>
         <category term="0020その他仏教関連" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.linhwa.jp/">
      『四弘誓願』（しぐせいがん）は仏教の言葉で、「悟り」を得ようと修行を始める者が、先ず誓うべき次の四つの根源的な願いです。


　　　　　（１）	衆生無辺誓願度　（しゅじょうむへんせいがんど）
　　　　　（２）	煩悩無数誓願断　（ぼんのうむしゅせいがんだん）
　　　　　（３）	法門無尽誓願学　（ほうもんむじんせいがんがく）
　　　　　（４）	仏道無上誓願成　（ぶつどうむじょうせいがんじょう）

      <![CDATA[　
　　　　　　　　　（宗派により一部別の語句が使われていますが、
　　　　　　　　　　内容は基本的に同じです）



【むへん・むしゅ・むじん・むじょう】、【せいがんど・せいがんだん・せいがんがく・せいがんじょう】と、主語以外は全て韻を踏んでおり、声を出して唱えるべきものとされています。



それぞれの意味は次の通りです。


（１）	衆生無辺誓願度

　　　　“出来るだけ多くの人を救い導くことを誓う”

　　　　　　　（最後の「度」は「済度」の「度」で、『利他』の誓いと
　　　　　　　　言えます）

（２）	煩悩無数誓願断

　　　　“数限りない『煩悩』を断つことを誓う”

　　　　　　　（『煩悩』に関しましては、
　　　　
　　　　　　　　　　　<a href="http://www.linhwa.jp/2008/02/vol54.html#extended"target="_blank">Vol.54　“この世の「三毒」”</a>　及び
　　　　　　　　　　　<a href="http://www.linhwa.jp/2008/03/vol55.html#extended"target="_blank">Vol.55　“『煩悩』と近代社会”</a>

　　　　　　　　をご参照頂きたいと思います）

（３）	法門無尽誓願学

　　　　“尽きることの無い仏の教えを全て学ぶことを誓う”

（４）	仏道無上誓願成

　　　　“この上ない「悟り」に到達することを誓う”

　　　　　　　（最後の「成」は、「成就」の「成」です）




それら四つの誓いの下、修行者に課せられた具体的な実践課題が、『六波羅蜜』（ろくはらみつ）と呼ばれるもので、

　　　　　布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧

の六つですが、それにつきましては、<a href="http://www.linhwa.jp/2007/12/vol52_1.html#extended"target="_blank">Vol.52　“『無財の七施（しちせ）』　———誰にでも出来る「布施（ふせ）」のすすめ“　</a>をご覧頂きたいと思います。




日々『四弘誓願』を唱え、『六波羅蜜』を心がけていれば、凡夫であっても、「悟り」には至らぬまでも『霊格』は少しずつ上がって行くものと考えています。

　　　　　（『霊格』につきましては、

　　　　　　　　　<a href="http://www.linhwa.jp/2011/10/vol115.html#extended"target="_blank">Vol.115　“『霊魂』のこと、『霊格』のことなど”</a>　を

　　　　　　ご一読賜ればと思います）

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（完）
]]>
   </content>
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<entry>
   <title>Vol.117　東日本大震災に思う（その７）　　　　　　　　 　　　　　　　　———原発問題に関する旧友からの「怒りのメール」ご紹介</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.linhwa.jp/2011/11/vol117.html" />
   <id>tag:www.linhwa.jp,2011://1.173</id>
   
   <published>2011-11-15T05:44:44Z</published>
   <updated>2011-11-15T06:35:49Z</updated>
   
   <summary>立冬も過ぎ、大震災後はや九ヶ月目に入りました。 東北の厳しい冬がまたやってきます...</summary>
   <author>
      <name>shinoda</name>
      
   </author>
         <category term="0070その他政治・社会分野" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.linhwa.jp/">
      立冬も過ぎ、大震災後はや九ヶ月目に入りました。
東北の厳しい冬がまたやってきます。

被災された方々、原発事故によりいまだ避難生活を強いられている方々に、改めて心からお見舞いを申し上げます。

      <![CDATA[　　
　　　　　
　　　　　（大震災についての私のこれまでの思い等は、以下の通りです）


　　　　　　３月２１日　<a href="http://www.linhwa.jp/2011/03/vol106.html#extended"target="_blank">“東北関東大震災を機縁に、「新文明」の模索を！”</a>

　　　　　　４月１７日　<a href="http://www.linhwa.jp/2011/04/vol107.html#extended"target="_blank">“「脱原発」を決断し、「電力多消費文明」との
　　　　　　　　　　　　　訣別を！
　　　　　　　　　　　　　　　　　——東日本大震災に思う（その２）“</a>

　　　　　　４月２６日　<a href="http://www.linhwa.jp/2011/04/vol108.html#extended"target="_blank">“東日本大震災に思う（その３）
　　　　　　　　　　　　　——原発事故に関連しての二つの声明文ご紹介“
</a>
　　　　　　６月１１日　<a href="http://www.linhwa.jp/2011/06/vol110.html#extended"target="_blank">“東日本大震災に思う（その４）
　　　　　　　　　　　　　　——「科学技術」と「歴史の進歩」について“</a>

　　　　　　７月９日　<a href="http://www.linhwa.jp/2011/07/vol110_1.html#extended"target="_blank">　“東北から「日本仏教＝日本の心」を国中へ再び！
　　　　　　　　　　　　　そして世界へも！
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　——東日本大震災に思う（その５）</a>

　　　　　　７月２４日　<a href="http://www.linhwa.jp/2011/07/vol112_1.html#extended"target="_blank">“天外伺朗さんの描く「１００年後の東北・日本」
　　　　　　　　　　　　　ご紹介　　　　——東北大震災に思う（その６）“</a>






さて、この間のわが国の政治は、「目立ちたがり屋の市民運動家」からまるで成長していなかった菅首相の失政・政治空白・後継野田政権の、自民党もビックリの「属米路線」への急傾斜等々、ここ数年続いている『政治の漂流』は、ますます深みにはまりつつありように思えます。


ただ、目を海外に転じましても、欧州危機・オバマの失墜・反格差デモの世界的広がり・ドル、ユーロの凋落等々、『政治の漂流』はわが国と大同小異と見受けられます。




一体なぜそういうことになっているのか？




私は、その根本原因は、「資本主義」が冷戦終結後、誰はばかること無く暴走・拡大を続け、今や制御不能に陥っているところにあると考えています。

マルクス流に言えば、「制御不能の下部構造（経済）が、上部構造（政治）を『漂流』させている」ことになります。





昨今の世界的な『政治の漂流』が問うているのは、「資本主義」そのもの、更に言えば「近代という時代」そのものであろうと考えているところです。





　　　　　　（因みに、私は、<a href="http://www.linhwa.jp/2011/09/vol104_1.html#extended"target="_blank">Vol.114　“この世の「因果」に思う”</a>　に
　　　　　　　記させて頂きましたように、「ポスト近代」の経済は、
　　　　　　　「資本主義」と「マルクス主義」とをアウフヘーベンした、
　　　　　　　「幸福主義経済システム」によって運営されているものと
　　　　　　　想像しています）





さて、話しは大震災に戻りますが、過日私の三井物産時代の同僚である齊藤紀夫氏から、原発事故にからんで「怒りのメール」が届きましたので、ご本人の了解を得て、以下にその中核部分を転載させて頂きます。


氏は、フランス留学を経て、ベルギー・イタリア両国にも勤務の欧州通ですが、ミラノ在勤時にチェルノブイリ事故に遭遇、牛乳・野菜等、特に３人のお子さんの食材に日々心労を重ねられた体験をお持ちです。


（尚、上記３月２１日付けの　<a href="http://www.linhwa.jp/2011/03/vol106.html#extended"target="_blank">“東北関東大震災を機縁に、「新文明」の模索を！”</a>　に記しましたように、私は、チュルノブイリ事故発生時モスクワに在勤中であり、氏と私は、「原発事故体験」を共有しています）



以下がその「怒りのメール」です。

「事故体験者ならではの熱い思い」と私は受け止めています。



　　　　　　　　　——————— ————————————


　　　　　　　　　　　　　　（前略）

　
　　　　　事故発生後八ヶ月が過ぎた現在も、除染問題を含め一向に終息の目途は立たず、発生原因の究明も未完の状態でありながら、一部の政治家・地元自治体・原子力学者・マスコミなどが、相も変わらず『無節操な原発推進』から一向に転向しようとしないのは、まともな国の、まともな考えの人間であるとは到底考えられません。
　

福島の児童は、未だ満足に屋外にも出られず、マスクをかけながら通学している現状を彼ら推進一派はどう理解しているのでしょうか？

目の前の金・利権に囚われ、将来の子孫が放射能に晒されるリスクを無視したまま、一向に方針を見直そうとしないのはとてもまともな思考の持ち主だとは思えません。　

　　
　
　　　　　大震災発生直後、海外では日本国民の冷静沈着な対応に称賛・驚きの声が上がりましたが、いつまでも冷静に対応する・おとなしいだけが良いのかどうか、今の時点では疑問に感じられます。

福島の被害住民を筆頭に、我々は東京電力や国に対し、『もっと激しく怒るべき』と信じます。


　　　　　今日この日も引き続き放射能物質がばら撒かれていることを、どの程度の国民が認識しているのでしょうか？


逆の意味の「報道の自由」——即ち『報道しない自由』——を享受する日本の主要マスコミの影響もあるのでしょうが、国民は本件の実態を知るべく、もっと当事者意識・危機意識を持っていろんなアンテナをめぐらすべきであり、それだけの価値はあると確信します。
　
報道が本来の機能を十分には果たしていないことで、どうも無関心過ぎるのではないのか、と懸念しております、、、、防衛・領土問題を含め。

 



　　　　　海外では　ヒロシマ、ナガサキと並び、『フクシマ』が歴史に名を残すようですが、原爆・原発被害国から今や『放射能加害国』となったことを、もっと国民全員が認識すべきではないでしょうか。　
　

日本では、東の風が吹けば放射能物質は太平洋に行ってしまうので問題解決とも捉えられていますが、東方に流れれば　ハワイ・米国西岸に、更には微量ながらアルプスまで到着することに考えが及ばないのは甚だ自己中の考えというもので、国際的にはとても許されないないことでしょう。

先般の国連でも、残念ながら野田新首相は放射能を世界に撒き散らしたことを謝罪したとは報道されていないことからも、この国の問題意識の欠如が分かるというものです。


　
　　　　
　　　　　被災者を自宅に戻す・戻れる云々も理解できますが、ヒロシマの20倍以上の放射能物質が拡散し、今や『汚染列島』と云われても仕方がないのが現状であり、まことに遺憾ながら半径２０kmどころか８０kmでも半永久に居住不適な土地となったのではないかと危惧しております。


　
　　　　　原発稼働率が30%だから原発は不可欠だ、さもないと企業を含め大幅な節電を強いられることになるというのも、営利企業たる発電業者の一方的な言い分でしょう。

原発は鉄鋼産業の高炉と似ており、一旦停止させるとすぐには稼働させられないが故に、昼間のみならず夜間も稼働させておく必要があることから、数字上では原発30%となる訳です。

しかしながら、LNGガスタービンの増設に加え、休止中の火力・揚水発電所を稼働させれば、東電管内で実施された計画停電も実際は不要であった、というのが実情です。
　
即ち、原発が全て停止しても、電力供給力に致命的な問題は生じないというのが今回学び取った結論と考えています。
 




　　　　　また、原発はコストが安いというのは、推進論者のいわば『でっち上げ』であり、遠隔地から電力を供給するための長い送電線コスト、使用済み核燃料の万年単位での処理費用、更には地元自治体への懐柔費用（協力金支払い）、原発を動かすために必要不可欠な電力代を考慮しただけでも、とても安いコストとは言えず、また本来であれば毎年度引当金を計上すべき今回のような膨大な補償金や廃炉費用を加味すれば、コストは断然高く、とても経済的とは言えません。

万年単位を要する使用済み核燃料の処理・保管問題、今回のような汚染土壌処理問題に加え、使用済み核燃料の最終処理場も未定です。

　
　　　　
　　　　　　万一の場合　『人間が管理不能となるリスクを包含している』原発を保持し続ける意味は、一体どこにあるのでしょうか。　　


　　　　　一挙に全原発停止とは言わないまでも、これからは新規設置を一切認めず、３０年超のものから順次廃炉に持ちこんで行きたいものです。

　

　　　　　今回の事故発生までの、こうこうと照らす明る過ぎる照明（無駄使い）を反省し、節電継続・省エネ製品の開発拡大に努めれば、北海道の冬も、来年の盛夏も乗り切れるはずと信じます。　

　


　　　　　どなたかが言われた如く、この未曾有の事故を踏まえ、これからの我国は、1960年代から長く続いてきた経済大優先・仕事一筋の『父性社会』から、人にやさしい・本来の人間らしい生活が出来る『母性社会』に転換すべきではないのでしょうか。

経済が或る程度犠牲になり、国力が多少衰えたとしても、その方が住環境・食料に日々心配しながら生活していくよりも、はるかに賢明であると信じる次第です。

　　　　　　　　　　　　　　　（後略）

　　　　　　　　　　　ーーーーーーー———————————————
　　
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（完）
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   </content>
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   <title>Vol.116 『霊魂』のこと、『霊格』のことなど（その２） 　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　———『涅槃』目指して！</title>
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   <published>2011-11-03T08:55:09Z</published>
   <updated>2011-11-07T04:00:50Z</updated>
   
   <summary>Vol.115 “『霊魂』のこと、『霊格』のことなど”　に記させて頂きましたよう...</summary>
   <author>
      <name>shinoda</name>
      
   </author>
         <category term="0030その他スピリチュアル分野" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.linhwa.jp/">
      <![CDATA[<a href="http://www.linhwa.jp/2011/10/vol115.html#extended"target="_blank">Vol.115 “『霊魂』のこと、『霊格』のことなど”</a>　に記させて頂きましたように、私は、


（１）	私たちひとりひとりの「存在の本質」は、『霊魂』（魂、魂魄）
　　　であり、肉体は『霊魂』が「この世」でお世話になる「生命を
　　　持った舟」
]]>
      <![CDATA[（２）『霊魂』は、「舟」（肉体）の寿命が尽きるのを見届けると、
　　　すうっとそこから離れ「あの世」へ

（３）そしていずれまた「この世」に舞い戻り、別の「舟」に乗って
　　　新たな修行

（４）『霊魂』は、「この世」と「あの世」を何十回、何百回も行ったり
　　　来たりし（「輪廻転生」）、修行を繰り返すことによって、
　　　そのレベル（『霊格』）が少しずつ上昇


と考えています。


　　　　　　　　（この点、<a href="http://www.linhwa.jp/2005/09/vol21.html#extended"target="_blank">Vol.21 “「この世」と「あの世」
　　　　　　　　　　　　　　　　　魂のこと、輪廻転生のこと“</a>　も
　　　　　　　　　併せご覧頂ければと思います）　　　






さてそれでは、『霊魂』は未来永劫「輪廻転生」を繰り返すのか？


ゴールは何処なのか？　『霊格』の最上位は何なのか？　　

私は、仏教で言う『涅槃』（ねはん、サンスクリット語で「ニルヴァーナ」）がそれに当たると考えています。　　　



　　
「この世」の『四苦八苦』を何度も乗り越え、清く正しく「輪廻転生」を繰り返して行きますと、『霊魂』は究極的には『涅槃』に辿り着きます。

それは、「煩悩」の火が完全に消え去った絶対平安、寂静の境地です。　　





そして、そこまで到達しますと、もはや修行の必要が無く、『霊魂』は「輪廻転生」から解き放たれて二度と「この世」には戻らず、恐らくは宇宙の星になるものと想像しています。　



　　
『涅槃』を目指し、星になることを夢見て、一歩ずつ！　　




　　　　　　　　（尚、『四苦八苦』は、もともとは仏教の言葉で、
　　　　　　　　　生・老・病・死の四つの基本的な苦しみと、
　　　　　　　　　次の四つを合わせたものです。

　　　　　　　　　愛別離苦（あいべつりく）

　　　　　　　　　　　愛する人・好きなものと別れ離れる苦しみ

　　　　　　　　　怨憎会苦（おんぞうえく）

　　　　　　　　　　　怨み憎む人・いやなものと会う苦しみ

　　　　　　　　　求不得苦（ぐふとくく）

　　　　　　　　　　　求めるものが得られない苦しみ

　　　　　　　　　五蘊盛苦（ごうんじょうく）

　　　　　　　　　　　五蘊は、色・受・想・行・識の五つで、
　　　　　　　　　　　心と体の全ての働きを指しますが、
　　　　　　　　　　　それらが強すぎる苦しみ　　　　　　　　　）
　　　　　　　　　　

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（完）

]]>
   </content>
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<entry>
   <title>Vol.115　『霊魂』のこと、『霊格』のことなど</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.linhwa.jp/2011/10/vol115.html" />
   <id>tag:www.linhwa.jp,2011://1.171</id>
   
   <published>2011-10-10T15:08:45Z</published>
   <updated>2011-10-10T15:33:54Z</updated>
   
   <summary>『霊魂』という言葉・概念は、近代科学の世界には存在しません。 がしかし、『霊魂』...</summary>
   <author>
      <name>shinoda</name>
      
   </author>
         <category term="0030その他スピリチュアル分野" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.linhwa.jp/">
      『霊魂』という言葉・概念は、近代科学の世界には存在しません。



がしかし、『霊魂』はどの国語辞典にもちゃんと掲載されており、例えば大辞泉には次のように記されています。

      <![CDATA[　
　  　“肉体と別に、それだけで一つの実体をもち、肉体から遊離したり、
　　　死後も存続することが可能と考えられている非物質的な存在。
　　　魂。魂魄（こんぱく）。“


また大辞林でも、


　　  “肉体に宿ってそれを支配し、精神現象の根源となり、
　　　肉体が滅びても独立に存在することのできるもの。
　　　たましい。霊。“


と、ほぼ同様の説明がなされています。





『霊魂』（魂・魂魄）とは、私たちひとりひとりの「存在の本質」であり、「この世」と「あの世」とを何度も何度も行ったり来たり（輪廻転生）しているもの、

一方、「肉体」とは、『霊魂』が「この世」で乗る「生命を持った舟」のようなものと私は捉えています。





『霊魂』と「舟」は、文字通り一心同体となって、「この世」を過ごしますが、「舟」のエンジン（心臓）が止まり冷たくなりますと、『霊魂』はすうっと「舟」から離れ、「あの世」へ還って行きます。

この場合、その『霊魂』には、その「世」で見たり聞いたりしたことが全て刷り込まれていることは言う迄もありません。





さて、『霊魂』が乗る「舟」は人間に限らず、ある「世」では動物であったり、ある「世」では植物であったりもします。

人間の場合でも、ずっと男の「舟」に乗っていたのに、ある「世」では女の「舟」に乗ったり、またその逆もあります。
（因みに、最近はその状態をGIDーーGender Identity Disorder——「性同一障害」という病気と判定しています）





魅せられたように買ってしまった愛犬に、亡くなった母親の『霊魂』が乗っていたり、庭の赤いバラに早逝した妹の『霊魂』が乗っていたり、、、、、そういうことに気付き始めますと、生きとし生ける全てのものが限りなく尊く、また愛おしく思えてきます。


お釈迦様が『不殺生戒——殺すなかれーー』と説かれた真意が分かるような気がします。


　　　　　　　（『不殺生戒』につきましては、

　　　　　　　　Vol.16 <a href="http://www.linhwa.jp/2005/01/vol16.html#extended"target="_blank">“「不殺生戒」を今あらためて”</a>を、

　　　　　　　　ご参照頂ければと思います）




ところで、『霊魂』にも「格」があり、それを『霊格』と呼びます。


『霊格』は国語辞典には掲載されていませんが、それは『霊魂』の何度にも亘る「この世」での生きざまによって決まってきている、極めて厳格でごまかしのきかないものです。





人は「この世」では、職業・地位・経済力などといった唯物的尺度によって、「格付け」がなされていますが、「あの世」ではそんな尺度は一切存在せず、あるのは『霊格』だけです。


「この世」で権勢をほしいままにしていた人でも、『霊格』が低過ぎれば「あの世」では地獄に住むことになりますし、逆に「この世」では市井の一介の主婦であった人が、「あの世」では高級霊として光り輝いていたりします。




げに恐ろしきは『霊格』であり、何とかして「格」を上げたいものですが、前述のようにそれは、これまでの数限りない輪廻転生を通じて決まってきているものに付き、「格付け変更」は、一朝一夕はおろか、一回や二回の「この世」では、なかなか出来るものではありません。




そのことを先ず冷静に認識し、しかし決してあきらめず、

　　　“「この世」は『霊格』向上に向けての修行の場”

と捉え、地道に「八正道」を実践し続けることが肝要と考えています。


　　　　　　　　（「八正道」に関しましては、

　　　　　　　　　Vol.47　<a href="http://www.linhwa.jp/2007/10/vol47.html#extended"target="_blank">“この世の「四諦」”</a>を、

　　　　　　　　　ご参照頂きたいと思います。

　　　　　　　　　また関連し、Vol.6 <a href="http://www.linhwa.jp/2004/02/post_15.html#extended"target="_blank">　“この世は「修行」“</a>　
　　　　　　　　　もお読み頂ければと思います）
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（完）

　　　　　　　　　　
]]>
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>Vol.114  　この世の「因果」に思う</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.linhwa.jp/2011/09/vol104_1.html" />
   <id>tag:www.linhwa.jp,2011://1.170</id>
   
   <published>2011-09-01T12:26:06Z</published>
   <updated>2011-09-01T13:04:35Z</updated>
   
   <summary>「因果」の「因」は原因の因、「果」は結果の果です。 Aという原因によって、Bとい...</summary>
   <author>
      <name>shinoda</name>
      
   </author>
         <category term="0010「この世」シリーズ" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.linhwa.jp/">
      「因果」の「因」は原因の因、「果」は結果の果です。

Aという原因によって、Bという結果が生じた場合、『AとBには「因果関係」がある』ことになります。

      <![CDATA[

この世の全ての出来ごとには、それが起きる原因が必ずあり、原因なしには何ごとも起きないと考えていますが、

ここでの重要なポイントは、“「因果」をどの『時空』で捉えるか”　であると思っています。






この点、「西洋近代合理主義」は、「因果」を目に見える範囲、検証可能なものだけに限定しました。

そしてそれを基に「近代科学」が生まれ、人類はここ二・三世紀の間に驚くべき物質的発展をなし遂げました。



しかし一方、「近代文明」には今やどす黒い影が射し始め、私たちは大変大きな曲がり角に差しかかっていることもまた間違いのないところです。


　　　　　（この点詳しくは、<a href="http://www.linhwa.jp/2004/02/post_16.html#extended"target="_blank">Vol.7　“「近代合理主義」の功と罪”</a>を
　　　　　　ご参照頂ければと思います）






「近代合理主義」以前、人々は「因果」をもっとのびやかに、『時空』を超えて捉えていました。
　　　　　　

例えば、仏教詩人坂村真民（１９０９〜２００６）の『念ずれば　花ひらく』という次の詩は、「念ずる」という原因によって「花が開く」という結果が生じることを慎ましやかに詠っています。


　　　　　　  　 “念ずれば
　　　　　　　　花ひらく

　　　　　　　　苦しいとき
　　　　　　　　母がいつも口にしていた
　　　　　　　　このことばを
　　　　　　　　わたしもいつのころからか　
　　　　　　　　となえるようになった
　　　　　　　　そうしてそのたび
　　　　　　　　わたしの花がふしぎと
　　　　　　　　ひとつひとつ
　　　　　　　　ひらいていった“







また、仏教に『因果応報』という言葉があります。

大辞林によれば、それは

　   “前世における行為の結果として現在の幸不幸があり、
　　現世における行為の結果として来世における幸不幸が生じること“

です。


「この世」（「現世」）に加え、「前世」も「来世」もあり、それらを通して存在しているのが私たちの『魂』であるという考え方が前提となっていますが、

『念ずれば　花ひらく』も『因果応報』も、「近代合理主義」に照らせば、荒唐無稽・非科学的・単なる偶然ということになります。


　　　　　　（『念ずれば　花ひらく』に関連するものとして、

　　　　　　　私の中東勤務時代の体験を基に記しました
　　　　　　　<a href="http://www.linhwa.jp/2004/11/vol13.html#extended"target="_blank">Vol.13　“祈れば通ず”　</a>もご参照頂ければと思います。

　　　　　　　また、『因果応報』に絡みましては、

　　　　　　　<a href="http://www.linhwa.jp/2005/09/vol21.html#extended"target="_blank">Vol.21 “「この世」と「あの世」
　　　　　　　　　　　　　　　——魂のこと輪廻転生のこと“　</a>も
　　　　　　　ご覧頂ければと思います）





“「因果」をどの『時空』で捉えるか”　を巡っての上記二つの考え方。　私たちはそのいずれに立つべきなのか？



私は、そのどちらを選ぶかではなく、二つの考え方を止揚統合（アウフヘーベン）し、全く新しいパラダイムを構築することが、今最も求められていると考えています。

そしてそれが出来上がった時、人類は『ポスト近代』という新しい文明に入るものと思っています。




そこでは、「近代科学」と「魂」の両方を包含し、宗教や芸術とかなり親和性の高い『唯心科学主義』が基本思想となり、

経済は、「資本主義」と、かつての「マルクス主義」とをアウフヘーベンした『幸福主義』経済システムの下で運営されると考えています。






『ポスト近代文明』は、今回の東日本大震災も一つの契機に、意外に早く、具体的には今後二・三世紀のうちには、その形がかなりはっきりしてくるのではないかと感じ始めています。


　　　　　　　　  　 “念ずれば　花ひらく　
　　　　　　　　　　念ずれば　ポスト近代”　


　　　　　（尚、「東日本大震災と文明」という点につきましては、

　　　　　　震災１０日後に記しました、
　　　　　<a href="http://www.linhwa.jp/2011/03/vol106.html#extended"target="_blank">　“東北関東大震災を契機に、「新文明」の模索を！”　</a>を　
　　　　　　ご参照頂ければと思います）

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（完）

　　　　　　　　　　　　　　　　
]]>
   </content>
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<entry>
   <title>Vol.113　『恋の蛍　山崎富栄と太宰治』にからんで（続）　　　　　　　　ーー「文学の力」について、再び私事ですが、、、</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.linhwa.jp/2011/08/vol113_1.html" />
   <id>tag:www.linhwa.jp,2011://1.169</id>
   
   <published>2011-08-10T05:33:09Z</published>
   <updated>2011-08-10T12:25:12Z</updated>
   
   <summary>私は昨年４月のこの場に、２０１０年・第２９回新田次郎文学賞に輝いた名著『恋の蛍　...</summary>
   <author>
      <name>shinoda</name>
      
   </author>
         <category term="0030その他スピリチュアル分野" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.linhwa.jp/">
      <![CDATA[私は昨年４月のこの場に、２０１０年・第２９回新田次郎文学賞に輝いた名著<a href="http://homepage3.nifty.com/office-matsumoto/b-koi.htm"target="_blank">『恋の蛍　山崎富栄と太宰治』</a>を通じ初めて知った、私事の不思議なご縁について記させて頂きましたが、

今回はその続編として、だいくす朋子さんのエッセイ『文学の力』をご紹介させて頂きます。]]>
      <![CDATA[



朋子さんは、ロングセラー絵本『かわいそうな　ぞう』で知られる<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%9F%E5%AE%B6%E7%94%B1%E5%B2%90%E9%9B%84"target="_blank">児童文学作家（故）土家由岐雄氏</a>のご息女で、アメリカ人と結婚されネバダ州にお住まいですが、そのエッセイは、今月発行の同人誌「めだかの仲間」に収録されています。






ところで、朋子さんの母上ツヤさん（土家由岐雄夫人）は、太宰治が入水心中をした戦争未亡人山崎富栄さんの亡夫、奥名修一さんのお姉さん。

その奥名修一さんは、大正５年生まれ、戦前の三井物産社員で、富栄さんと挙式間もない昭和１９年１２月マニラ支店に単身赴任、相前後して姪の朋子さん誕生、しかし現地召集を受け翌２０年１月マニラ北方の山岳地帯で戦死。






以上のことを『恋の蛍』で知り、私は、やはり三井物産マニラ支店に勤務し、昭和２０年７月、同じマニラ北方の山岳地帯で戦病死した自分の父親との絡みに驚愕し、前述のように、<a href="http://www.linhwa.jp/2010/04/vol94_1.html#extended"target="_blank">“『恋の蛍　山崎富栄と太宰治』にからんで　　——三井物産マニラ支店のことなど、私事ですが、、、”　</a>をこの場に記させて頂いた次第です。


そしてそれを、一読者の感想文として<a href="http://homepage3.nifty.com/office-matsumoto/"target="_blank">著者の松本侑子さん</a>にもお送りしたところ、思いもよらず彼女から、私のエッセイを涙ながらに読ませて頂いた旨の、そして『恋の蛍』文庫化に向けより精度を高める為に、是非私の話しを聞きたい旨の大変丁重なご返事を頂きました。


一方で、『恋の蛍』を読んだ大正１４年生まれの私の長姉からは、奥名修一さんとの絡みはもちろん初めて知ったものの、若い頃の土家由岐雄夫人とはご縁があったと知らされ、私は再び飛び上がらんばかりに驚いたものです。






そういう経緯で、私は松本侑子さんと親しくお目にかかり、また彼女のお取り計らいで、一時帰国されただいくす朋子さんとも昨秋お会いすることが出来ました。

驚いたことに、朋子さんと私は、１９９１年の湾岸戦争時にサウジアラビアでかかわりがあったこともわかりましたが、そのことも、そして「土家由岐雄夫人」のことも、以下の『文学の力』をご覧頂きたいと思います。





６６回目の終戦記念日を間近に控え、はるかマニラ北方の山岳地帯に思いを馳せながら、そして松本侑子さんに感謝をしつつ、文学の不思議な力に深く感じ入っているところです。

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　合掌


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　　　　　　　　   　　　　　文学の力

				　　　　　　　　　　　　　　　　　　だいくす　朋子


　　　　松本侑子さんは、山崎富栄と太宰治の物語『恋の蛍』出版後、 文庫本発行の際に必要な訂正箇所、並びに追加補足の為、更に研究を重ねて、人脈をたどり、資料集めに勤しんでおられた。

侑子さんは、落ち着いた物腰の博識で勤勉家。

人との繫がりを大切になさる礼儀正しい方で、私が二度お会いして以来、そのお人柄と、翻訳家・作家としての姿勢に、すっかり魅せられてしまった方である。


　　　　去年、帰国した際、侑子さんの計らいで、思わぬ方とお会いする事が出来た。

富栄さんの夫で私の叔父、奥名修一が三井物産に勤めていた頃、電信課におられた篠田昌忠氏の息子さん、孝道氏である。


　　　　彼も三井物産に勤務し、退職なされたが、父昌忠氏は、東京外語大学のマレー語科を卒業されて、大正八年から十年迄、シンガポールへ行っていらしたと言う。

父が三菱合資会社の社員としてシンガポールへ赴いたのは大正十年だった。

当時三井・三菱の社員の集う場所で、二人が出会っていた可能性がある。


　　　　修一叔父は、会計課勤務で砂糖を担当していたが、夜間電信掛の補助員を兼任していて、電信のプロであられた昌忠氏の指導の許に仕事をしていた事が、三井物産の社員録から判明された。

その上、修一叔父がマニラ支店に転勤の際、叔父を出迎えたのは、支店長代理兼庶務課長の昌忠氏であった。

二人は東京とマニラで一緒に仕事をしていたことになる。

修一叔父が戦死した後、昌忠氏はフィリピンで戦病死された。


　　　　私が篠田孝道氏にどうしてもお会いしたいと思ったのは、「私の姉が、朋子さんのお母様のツヤさんが、自分の『ねいや』をしていたと言うのですよ」と言う一言だった。 

私の知らない母の独身時代の事が分かるかもしれない、という期待からだった。


　　　　ところが、孝道氏と話をしている内に、「ねいや」は大正十三年頃から二・三年篠田家に居たと言う事で、その頃は、私の母は東京で教鞭をとった後、インドのカルカッタにある日本総領事館に派遣されていた時だった。

その「ねいや」は、突然、昭和十一・二年頃、篠田家を訪れて、「主人の本です」と、土家由岐雄の本を持参して来た事から、父の先妻で病死したハルさんだったことが分かった。


　　　　孝道氏のお姉様は、父の先妻が亡くなり、母が後妻になった事は全く知らずに、てっきり「ねいや」は、私の母ツヤと思ってしまった訳で、その時に読んだ父の本の題名も内容も忘れてしまったが、父が子供の頃からあこがれの存在であり、その本を愛読していたそうだ。

その後、父の名を耳にする度に、しっかりした、優しい「ねいや」を思い出していたとの事。

早速調べると、その本の題名は『夢を売る店』だった。


　　　　思えば、父は、先妻と後妻の弟、両人を通じて、篠田家と見えない糸で繫がっていたことになる。
 
篠田家との奇縁は、正に『恋の蛍』が結びつけてくれたものであり、今度は私が篠田孝道氏と巡り合う機会をもたらした。

その孝道氏は、湾岸戦争中、サウジアラビアのジェッダに駐在していて、石油会社に勤務中の私が、東部地区アルコバールのホテル内に臨時に設置された日本領事館に頼まれて、毎朝戦争の最新情報を、ファックスで会社から送っていた事を、ジェッダで耳にしていたと言う。

これも縁である。


　　　　『恋の蛍』の一冊から、私は子供の頃に母親を亡くして寂しい思いをした姉兄達に、少しでも母親が何をしていて、どのような人であったかを報告できる朗報を得た事になる。

私の知らなかった修一叔父の事も、もっと知る事が出来た。


　　　　文学・歌曲であれ詩であれ、一つの作品は、それを読み、聴く人々のおかれた環境、たどって来た人生に依って、受け取り方は様々であっても、私達に何らかの影響を与える。

今まで書き貯めた作品や趣味の蒐集を本にまとめ、発表したりして、私が感動を受けている先輩達に、少しでも追いついて行きたい。

文学の持つ力を信じて、邁進して行こう。 


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　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（完）]]>
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