Vol.208 この世は『かりそめ』、すべて『うたかた』!                ———“この世は「無常」”(その3)

[「この世」シリーズ]

『かりそめ』とは、「大辞林」によれば、

   (1)その場限りである・こと(さま)。一時。
   (2)さして重大でないこと。ふとしたこと。また、そのさま。
   (3)軽々しい・こと(さま)。おろそか。ゆるがせ。

です。

漢字では『仮初め』ですが、実はこれは当て字で、もともとは『仮染め』———仮に染めてみる、試し染めーーーであったようです。
『仮染め』の方が、ピンとくる気がします。

一方、『うたかた』は、同じく「大辞林」によれば、

   (1)水面にできるあわ。みなわ。
   (2)消えやすくはかないことのたとえ。
 
であり、漢字では『泡沫』です。


『かりそめ』も『うたかた』も、かなり似通った意味合いがあり、いずれもいわゆる『日本的無常感』を強く感じさせます。

以下は、鎌倉時代の歌人・随筆家、鴨長明(1155〜1216)の「方丈記」冒頭部分ですが、『かりそめ』、『うたかた』が見事に描き出されており、“この世とはそういうものだ”と強く訴えています。


     “ゆく川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。
     淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、
     久しくとどまりたるためしなし。
     世の中にある人とすみかと、またかくのごとし“

さて、こうした『日本的無常感』ですが、その大元は、仏教の開祖お釈迦様(ブッダ、ゴータマ・シッダールタ)が提唱した『諸行無常(しょぎょうむじょう)』、『諸法非我(しょほうひが)』(あるいは『諸法無我(しょほうむが)』)という捉え方であることは間違いありません。

  『諸行』とは、この世のあらゆる出来事のこと
  『無常』とは、この世に「常」なるものは何も無く、すべて変化すること
  『諸法』とは、この世に存在する全てのもの
  『非我』、『無我』の『我』は、古代インド語「アートマン」の漢訳で、
            絶対・不滅・永遠を意味します。

つまり、“世の中には絶対・不変なものなど存在せず、全ては相対的で変化する” という捉え方であり、これは仏教の最も基本的な教義と言えます。

そしてお釈迦様は、原始仏典のひとつダンマパダ(「法句経」)のなかで、この世を『諸行無常』、『諸法非我』と見抜くことにより、

  “人は苦しみから遠ざかり離れる。これこそ人が清らかになる道である”

と語られています。

お釈迦様の慧眼には本当に心服致します。


   (このあたりやや詳しくは、

      Vol.197 “『四法印(しほういん)』のこと
                ———『四諦・八正道』と共に“ 

    をご参照頂ければと思います)


この世は『無常』、『非我』、———“すべては『かりそめ』、『うたかた』”———という視点を常に心の片隅に留めておく、、、、、さすれば人は、必要以上にものごとに執着したり、頑迷・不寛容になったり、はたまた戦闘的になったりせず、世の中少しは穏やかで清らかなものになると固く信じています。


この世はかりそめ、すべてうたかた、「安倍一強」もまたしかりです。


(“この世は「無常」”に付きましては、13年近く前に記しました

        Vol.41 “この世は「無常」”

 並びに、9年前に記しました

           Vol.104 “この世は「無常」(その2)
                 ———エジプト情勢に思う“

 も、併せご覧頂ければと思います)

                           (完)

2020年01月29日

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