Vol.203 この世の「因果」に思う(続)                  ーーー「近代以降」・「近代科学」と、「宗教」に関して           

[「この世」シリーズ]

「因果(いんが)」とは「原因」と「結果」のことです。

この世の出来事には、それが起きる「原因」が必ずあり、例えば、Aという「原因」によって、Bという「結果」が生じた場合、“AとBには『因果関係』がある”ことになります。

仏教に『因果応報』という言葉があります。

「大辞林」によれば、それは

   “前世における行為の結果として現在における幸不幸があり、
   現世における行為の結果として来世における幸不幸が生じること“

です。


前稿、Vol.114 “この世の「因果」に思う” (2011年9月記)では、この「因果」をどういう時空・範疇で捉えるかについて、「近代以前」と「近代以降」とでは大きく異なることを記させて頂きました。


即ち「近代以降」、「科学」は『因果関係』を眼に見える範囲、検証可能なものだけに限定し、そうでないものは研究の対象から外すようになりました。
いわゆる「近代科学」・「近代合理主義」の始まりであり、それによって人類の生活は、たかだかこの3〜4百年の間に実に驚異的な進歩発展をとげたところです。


これに対し「近代以前」は、上記『因果応報』のように、『因果関係』をもっと伸びやかに、時空を超えて捉えていたことを記させて頂き、併せ、「ポスト近代」についても、少し触れさせて頂いたところです。


さて本稿は、上記の様に「因果」の捉え方が「近代以前」と「近代以降」とで大きく変わったことに伴い、”「科学」と「宗教」の関係” はどうなったかについて記させて頂きます。


先ずは、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の『一神教』三兄弟ですが、『一神教』では、『神』(ヤーウエ・ゴッド・アッラー)が、唯一絶対の存在であり、この宇宙を創造した「造物主」であるという考え方に基づいています。

絶対的な存在である『神』に対し、「近代科学」はどのように向き合って来たか?


以下は、物理学者、池内了名古屋大学名誉教授による分かり易い解説です。


   “そもそも、キリスト教世界である西洋に発した近代科学は、
   自然を神が書いたもう一つの書物とみなし(むろん、他の一つは
   『聖書』である)、自然を研究することは、神の意図を理解し、
   神の存在証明をするための重要な作業と考えてきた。

   ガリレイやニュートンの著作には神の名がよく出てくるし、
   「神が創った宇宙だから美しいはず」という信念で研究に励んできた
   科学者も多い。
   神の存在と自然科学は、少くとも近代科学の黎明期ではなんら矛盾
   した関係になかったのだ。

   しかし、時代が進むにつれ、神の存在証明をしようとして進められて
   きた自然科学であったにもかかわらず、逆に神の不在を導き出す
   皮肉な結果を招くことになった。
   神の御業と思われてきたさまざまな現象が、「物質の運動」で説明
   でき、神の助けがなくてもいっこうに構わないことがわかってきた
   からだ。
   神を嫌う不遜な科学者が増える一方になったのである。

   19世紀末、哲学者によって神の死が宣言されたころ、科学者は、
   この宇宙は熱死すると論じて神の死を保証すらした。

   そして今や、科学者が神の役割を果たしているかのごとくに錯覚
   しかねない状況になってしまった。“

               (「物理学と神」、“はじめに”より)


「因果」の範疇を狭め、検証・再現可能なものだけに絞った「近代科学」。

それは必然的に『神』から離れ、「宗教」とは別の道を歩まざるを得なくなったと言えます。
(もっとも三兄弟のうちイスラム教社会には、いまだ『神』が色濃く残っており、それが中東を不安定にしている一因でもあります)

一方、同じ「宗教」でも、『仏教』は、開祖お釈迦様(ブッダ、ゴーダマ・シッダールタ、紀元前6世紀インドの生まれ)が、”この世には「絶対的なもの」など無く、全ての事象・現象は『因縁(いんねん)』———直接的な原因である『因』と、間接的な原因である『縁』———によって出来上がっている相対的な存在に過ぎない” と喝破され、それが『仏教』の最も重要な中心思想となっています。


この点で『仏教』は、『一神教』よりは「近代科学」との親和性が高いと言えます。

しかし、前記『因果応報』という捉え方や、例えばお彼岸やお盆の風習など、「近代科学」とはやはり相容れない部分があります。
『宗教無き現代、現代無き仏教』という(故)松原泰道禅師の言葉が思い出されます。


    (尚、「この世に絶対的なものは無い」というお釈迦様の思想に
     つきましては、以下をご参照頂きたいと思います。

      Vol.186 “「アートマン」と「アナートマン」
             ——お釈迦様の教え『諸法非我』のことなど“


洋の東西を問わず、「科学」が「宗教」から巣立ち、人間の精神的側面———『心』や『魂』の領域———には眼を向けなくなった「近代以降」。

私たちの生活は、「近代以前」に較べ信じられないほど便利で機能的・快適になりました。


しかし私は、Vol.57 ”「この世」と「あの世」(その3)” (2008年4月記)に記しましたように、「近代以降」、古き良き『人の心』は崩壊し、『地球環境』は大きく破壊、『核』による破滅の恐怖に晒されています。


崩壊・破壊・破滅から免れる道はただ一つ。

それは、「宗教」と「科学」を問い直し、鍛え直して、全く新しい考え方・枠組みの下で両者を再び融合させることであると信じています。

そしてそれが出来た時、人類は「ポスト近代」という時代に入ると考えていますが、そこでは、「天賦の宗教心」、「仏心(ほどけごころ)」を備えた ”AI(人工頭脳)” が、人間に対し『人の心』を説いているのではないでしょうか。

                               (完)

2019年03月10日

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