Vol.202 「今だけ 金だけ 自分だけ」!                   ———世界に広がる『三だけ主義』について思うこと

[その他スピリチュアル分野]

昨今の世相を表す言葉に、「今だけ 金だけ 自分だけ」があり、『三だけ主義』と呼ばれています。 
 

(「今だけ」は、先の事を全く考えず、過去や歴史にも興味が無く、目先のことだけしか見ない・考えないという近視眼的、刹那的な思考・行動様式のこと。

「金だけ」は、世の中のこと全てを金銭面・経済面だけから捉え、それ以外のこと・ものは無視・軽視する生き方。拝金主義。

「自分だけ」は、周りのもの・ことには目もくれず、文字通り「自分」しか見ない・見えない・考えないこと。
この場合の「自分だけ」は、単に「自分一人」という意味に止まらず、例えば、「自分の家族だけ」・「自分の友達だけ」・「自分の会社だけ」・「自分の地域だけ」・「自分の国だけ」等々、「自分がらみだけ」という意味です。
これが世の中に『分断』をもたらしている元凶と言えます)


何とも潤いが無くギスギスした、心貧しい世相と言えますが、しかし、今や『三だけ主義』は「トランプのアメリカ」を筆頭に、世界中を色濃く覆っており、憂慮に堪えません。

『三だけ』はもちろんわが国にも急速に広がりつつあり、特に「安倍一強政治」になってから、一段と強まって来ています。
ただ、「一強」のご当人達は、『三だけ』に陥っているという認識そのものも欠いていると感じられ、かなりの重症状態と言えます。

いったいなぜこんなことになってしまったのか?
いつごろからこうなってしまったのか?

端的に言えば、『三だけ』は「近代という時代がもたらした副産物」と私は考えています。


「近代」とは、人が『宗教』の束縛から解放され、自分の欲望を伸び伸びと自由に追求出来るようになったことを土台に、『資本主義』が急速に発達し、『科学技術』は驚異的な進歩を遂げ、多数決原理に基づく『民主政治』が広まった時代と定義づけられます。

そして人類は、たかだかこの2〜3百年の間に、文字通り未曾有の驚異的大進歩を成し遂げました。

しかし、『宗教』・『資本主義』・『科学技術』・『民主政治』という四つのキーワードの裏側には、『三だけ主義』が生まれる素地が隠れていたことになり、更に言えば、『三だけ』的な生き方が、実は近代の大進歩を支えて来ているという面もあると感じています。

従って、『三だけ主義』を食い止めることは容易ではなく、ことは「近代の本質」に係わると言っても過言ではないと思っています。

ところで今から93年前の1925年、「インド独立の父」マハトマ・ガンディーは、「このままいけば世の中には、『七つの社会的大罪(Seven Social Sins)が蔓延するであろう』」という大胆な予言をしています。

『七つの大罪』のうちの四つは、上記キーワードに係わる下記の罪ですが、それらが今、世界中に深く浸透していることは紛れも無い事実です。

   ・Worship without sacrifice  (献身を伴わない「宗教」)
   ・Commerce without morality (モラルを欠く「経済」)
   ・Science without humanity  (人間性に乏しい「科学」)
   ・Politics without principle   (原理原則の無い「政治」)


残る三つの罪(Wealth without work、Knowledge without character、Pleasure without conscience)も広く社会を覆っており、それら『七つの大罪』の蔓延を90年以上も前に予言したガンディーの先見力には改めて感服する次第ですが、
それらと軌を一にして生まれ、拡がってきているのが、前記『三だけ主義』であると私は捉えています。


上記の通り、「三だけ主義は近代という時代がもたらした副産物」と言えますが、厳密には、「近代の『七つの大罪』の副産物」と言うべきであり、
『大罪』と『三だけ』が負のスパイラルを描きながら世界中を席巻している、というのがガンディー予言93年後の実相と言えます。

人類は本当に進歩しているのか? 深く考えさせられます。


     (「七つの大罪」につきましては、10年前に記しました

      Vol.67 “「七つの社会的大罪(Seven Social Sins)
                 ——マハトマ・ガンディーの警告“

      もご参照頂きたいと思います)

さて、平成最後の年末もいよいよ残り僅かです。

新しい年は、『三だけ主義』に少しでも歯止めが掛かるよう、そして、人々が『心の潤い』を取り戻すことが出来るよう、次の四つが新たなスタートを切る転機の年となることを切に願うものです。

    ・献身を伴う「宗教」
    ・モラルに裏打ちされた「資本主義」
    ・人間性溢れる「科学技術」
    ・原理原則に忠実な「民主政治」


(尚、「近代」に関しましては、以下の二つのエントリーも
     あわせご参照頂ければと思います)

    Vol.7  “近代合理主義の功と罪”     —2004年2月記

    Vol.66 “「欲望」——このやっかいなるものと
       「新しいパラダイム」“
     —2008年10月記

                          (完)

2018年12月25日

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