Vol.186 『アートマン』と『アナートマン』                     ———お釈迦様の教え『諸法非我』のことなど

[その他仏教関連]

『アートマン』は、古代インドのサンスクリット語やパーリ語の言葉で、インド哲学の重要な概念の一つです。
漢訳は『我(が)』。

もともとは「息」、「呼吸」を意味したようですが、それが「人間存在の中心となるもの」、「生命」、「霊魂」、「自我」になり、転じて、「個体存在の主体」、「常住不滅の実体」、「不変不滅の絶対的存在」等をも意味するようになったと考えられています。


古代インドのバラモン教も、この『アートマン』という概念———この世には「絶対的なもの」、「独立不変の存在」があるという考え方———の上に出来上がっていましたが、それを真っ向から否定したのが、紀元前6世紀インドで生まれた、仏教の開祖お釈迦様(ブッダ、ゴータマ・シッダールタ)です。


お釈迦様は、この世には「絶対的な存在」などというものは一切無く、全ての事物・現象は他との関係性の上に出来上がっている「相対的な存在」に過ぎず、あらゆる出来事・存在は、それぞれの原因・因縁によってもたらされた結果・果報であると喝破されました。

そして、『アートマン』の否定形である『アナートマン』(『非我』、漢訳は『無我』)の重要性を提唱され、人間はそれによって苦しみを和らげることが出来ると説かれました。


つまり、「絶対的なものがある」と信じてしまうと、それへの執着が芽生え、その結果苦しみや悩みが生じる。
しかし、実際にはこの世の全て(『諸法』)は、「相対的」・「因果的」・『アナートマン』である故、それに執着するのは愚かで意味が無く、執着が無くなれば苦しみも和らぐという教えと言えます。

この点、パーリ語で書かれた原始仏典の一つであるダンマパダ(「法句経」)の第20章「道」、第279項には次のように記されています。
(以下は、大仏教学者(故)中村元先生がパーリ語から直接和訳されたものです)


    “一切の事物は我ならざるものである(諸法非我)と明らかな智慧を
    もって観るときに、ひとは苦しみから遠ざかり離れる。
    これこそ人が清らかになる道である。“

         (中村元 「ブッダの真理のことば、感興のことば」より)


(尚、上記ダンマパダ第20章「道」には、「人が清らかになる道」として、『諸法非我』に加えあと二つ、『諸行無常』と『一切皆苦』が次のように記されています)

  第277項
    “一切の形成されたものは無常である(諸行無常)と明らかな智慧を
    もって観るときに、ひとは苦しみから遠ざかり離れる。
    これこそ人が清らかになる道である。“

  第278項
    “一切の形成されたものは苦しみである(一切皆苦)と明らかな智慧を
    もって観るときに、ひとは苦しみから遠ざかり離れる。
    これこそ人が清らかになる道である。“


さて、お釈迦様の上記「あらゆる事物・現象は因縁によって生じたもの」という考え方は、仏教用語では『因縁生起』、略して『縁起(えんぎ)』と呼ばれ、仏教の最重要中心思想と言えます。

そしてそれこそが、仏教と、“『神』(ヤハウェ・ゴッド・アッラー)は「独立した唯一絶対の存在」であり、あらゆるものは『神』によって創られた” と位置づける一神教との根本的な違いと言えます。


          (尚、ヤハウェ・ゴッド・アッラーにつきましては、

          Vol.183 “『不殺生戒』を今あらためて(その3)
          ——これぞオバマ大統領の『道徳革命』、『道徳的目覚め

           をご参照頂きたいと思います)


ところで以下は、地球惑星物理学者松井孝典先生の宇宙の起源等についての発言ですが、あたかも『縁起』についての解説、仏教と一神教の違いについての解説の如くで、大変興味深いものがあります。

お釈迦様の教えと最先端の宇宙物理学の考え方は、相通ずるものがあると考えています。


    “ビッグバン以来の歴史、あるいはもっと前からかもしれませんが、
    この宇宙というのはある関係性のもとに、粒子だって何だって属性が
    決まっているというふうに考えざるを得ないのかもしれません。

    その属性がなぜ決まっているのかというと、実は宇宙というのも、
    いまの宇宙誕生前にもいろんな試行錯誤があって、いまの宇宙が
    誕生するまでの過程を反映しているんだという考え方もあるわけ
    ですよね。

    だから、絶対的な何かというものがあって、それがすべてを
    決めていると考えるのか、歴史がある種、その時々刻々に調整を
    しながらある関係性を決めるのか。これは全然違う立場なんですね。“

       (『人類を救う「レンタルの思想」 松井孝典対談集』中の、
        国際政治学者中西輝政先生との対談、「人類にビッグバンが
        起こっている」より)

つまるところ私たちの存在の全て、そして運命も、はるか宇宙誕生以前からのもろもろの因縁の結果であるとも考えられ、さすればお釈迦様の説かれるように、日々あれこれ悩んだり考えあぐねたりすることは殆ど無意味ということにもなります。


“諸法非我———全てを天命に委ねてひたすら人事を尽くす”

新しい年に入り、改めて上記を噛みしめているところです。


           (尚、「天命」につきましては、

            Vol.137 “「天命」に安んじる”

            を併せご一読賜ればと存じます)

                             (完)

2017年01月15日

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