Vol.185 『覇道文化』から『王道文化』へ!                   ———『日本的なもの』の再評価・復権を!!!

[その他スピリチュアル分野]

『覇道文化』、『王道文化』という言葉をわが国で始めて使ったのは、中国革命の父、孫文(1866〜1925)とされています。


『覇道』、『王道』は、もともとは儒教の政治理念として、二千数百年前に中国で生まれた言葉で、

   『覇道』は、武力・権謀によって行なう政治、
   『王道』は、徳によって行なう政治

を意味します。

孫文はそれを「文化」に当てはめ、

   「西方文化」は、功利・強権を主張する『覇道文化』、
   「東方文化」は、仁義道徳を重んじる『王道文化』

と喝破しました。


彼は、上海で客死する4ヶ月前の1924年(大正13年)11月、神戸で「大アジア主義」と題する講演を行なっています。
講演は、日本人に対する次のような切々たる呼びかけで締め括られました。


    “貴方がた日本民族は、既に一面欧米の覇道の文化を取り入れると共に、
    他面アジアの王道文化の本質を持って居るのであります。

    今後日本が世界文化の前途に対し、西洋覇道の鷹犬となるか、
    或は東洋王道の干城となるか、それは日本国民の詳密な考慮と
    慎重な採択にかかるものであります。“

                    (「孫文選集」より)


残念ながらわが国は彼の遺言に背き、『西洋覇道』の路線を突き進み、彼の死後6年後にいわゆる「15年戦争」に突入、1945年の壊滅的な敗戦を迎えるに到った次第です。

天国からの彼の嘆きの声が聞こえます。

孫文について私は、今から11年半前の2005年7月、

    Vol.20 “『覇道』か、『王道』か  ——孫文からの問いかけ”

と題する一文を記させて頂きました(そこでも上記の「講演締め括り」を引用)。


その年は小泉内閣の5年目で、わが国が更に大きく変わらんとしていた時でした。
以下はそこからの抜粋です。


    “朱子学に「尊王蔑覇」という言葉があります。
    『王道』を尊び『覇道』を軽蔑すべしという教えです。

    しかし昨今世界では、軽蔑すべきその覇道政治が大手を振って
    まかり通っています。

    そのリーダーが【ブッシュのアメリカ】であることは誰もが認める
    ところですが、そのアメリカに過度に追随し始めたわが国もまた、
    急速に覇道政治の国に変わりつつあるように感じています。“


爾来11年余、安部一強内閣になってから来月で満4年。


違憲の疑いが極めて強い新安保法制も既に実施に移され、わが国は今や「積極的平和主義」の美名の下、『西洋覇道の鷹犬』どころか、『覇道のリーダー』の一翼を担い始めています。
(因みに「積極的平和主義」とは、端的に言えば、“平和のためには戦争も辞さない”  という考え方と言えます)

また、安部内閣の高い支持率は、国民の多くは、『覇道文化』にどっぷり浸かり、それを良しとしている証左と考えざるを得ません。


このまま進めばわが国は、明治維新から七十数年後に壊滅したように、敗戦からやはり七十数年後に再び過酷な事態に晒されることを心底危惧しています。


さて「西洋」、「近代」について、社会学者大澤真幸先生は、次のように的確に述べておられます。


    “近代化とは、西洋から、キリスト教に由来するさまざまなアイデアや
    制度や物の考え方が出てきて、それを、西洋の外部にいた者たちが
    受け入れてきた過程だった。

    大局的に事態をとらえると、このように言うことができるだろう。“

      (「ふしぎなキリスト教 橋爪大三郎 x 大澤真幸」まえがき)

大澤先生に倣って、私は次のように言いたいと思います。

    “「近代」とは、『覇道文化』が西洋から世界中に広まっていった
     時代であり、
    「近代文明」とは、『覇道文化』が世界化したものである。“

「近代文明」のお蔭で、人類はそれ以前とは比べものにならない程便利で効率的な日々を過ごしています。
しかしその一方で、この文明には今やドス黒い影が差し始めていると私は捉えています。

そしてその根本原因は、「近代文明」が、『功利・強権を主張する覇道文化』から生まれたものである為と考えています。


ところで以下は、「人類的な普遍性」という観点から見た『日本的なもの』と『その反対の価値観』についてです。

これは、人類学者中沢新一先生と思想家内田樹先生との対談本である「日本の文脈」(2012年1月刊、角川書店)のまえがきとして中沢先生が記されたものですが、私はこれを『王道文化』と『覇道文化』の対比と受け止めています。


   “「内向きである」とか「非効率である」とか「国際的でない」とか
    「ガラパゴス的である」とか、さかんにネガティブなことを言われて
    批判されているいわゆる「日本的なもの」を、広く深い人類的な視点
    から見直してみると、むしろこっちのほうが人類的には普遍性を持って
    いて、
    その反対の価値観、つまり「効率性第一」とか「利己的個人主義」とか
    「障壁なき国際性」とか「今日のアングロサクソン型グローバル
    資本主義」とかを支えている考え方のほうが、ずっとローカルで
    特殊的にひねこびていて、人類的な普遍性を持たない考え方なのだ
    ということで、二人の考えは全く一致していた。“


さて今回のアメリカ大統領選挙。

長期に亘るそのありさまは、『これ正に覇道選挙!』という感じであり、『覇道文化ここに極まれり』という印象です。


結果は一般の予想に反しトランプ氏の勝利でしたが、私はこの「トランプ旋風」と、民主党内選挙におけるサンダース氏の善戦とを重ね合わせてみた場合、今やアメリカでは多くの国民が『覇道疲労』とも呼べる症状に陥っており、『行き過ぎた覇道文化』に対する不満と反発が相当程度高まってきていると強く感じた次第です。

覇道のトップリーダーアメリカにおけるこの変化・胎動は、上述『覇道文化の人類的な普遍性』も考慮に入れれば、意外に早く世界的に大きな潮流となる可能性があると思っています。

そうした状況下、私たちはそれでも尚、『西洋覇道』のリーダーを目指すのか、あるいは『東洋王道』の干城となるのか?

それを決めるのは、私たち有権者自身であること論を俟ちません。


        (因みに私は、「近代文明」は、「人間の欲望」と「科学技術の
         進歩」と「資本主義の発展」とが、三位一体となって
         止まるところを知らぬ膨張スパイラルを描いていると見なして
         いますが、この点詳しくは8年前に記しました、

      Vol.66“「欲望」——このやっかいなるものと「新しいパラダイム」”

         をご覧頂きたいと思います)

                               (完)

2016年11月25日

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