Vol.183 『不殺生戒』を今あらためて(その3)             ——これぞオバマ大統領の『道徳革命』、『道徳的目覚め』!

[その他仏教関連]

『不殺生戒(ふせっしょうかい)』———殺すなかれーーーは、仏教の『五戒(ごかい)』———五つのいましめーーーの最初のものです。

数ある仏教の教えのなかのいわば一丁目一番地にあたる最も重要な「戒め」と言えます。


(尚、残る四つの「戒め」は以下です。

       不偸盗戒(ふちゅうとうかい) ———盗むなかれ
       不邪淫戒(ふじゃいんかい)  ———邪淫するなかれ
       不妄語戒(ふもうごかい)   ———嘘をつくなかれ
       不飲酒戒(ふおんじゅかい)  ———酒を飲むなかれ    )

仏教の『五戒』に対し、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の共通原経典である「旧約聖書」には、『モーゼの十戒』が記されています。


『十戒』には、仏教の『五戒』のうち、『不飲酒戒』を除く四つの「戒め」が含まれており、

    “殺すなかれ・盗むなかれ・邪淫するなかれ・嘘をつくなかれ”

の四つは、仏教・ユダヤ教・キリスト教・イスラム教に共通する「人としての最も基本的な戒め」と言えます。

ただ、『五戒』と『十戒』には、実は根本的な違いがあります。

それは、『十戒』には、上記「人としての最も根本的な戒め」の前に、それより遥かに重要なものとして、「神に対する戒め」が四つもあることです。

『十戒』の最初の「戒め」は以下ですが、これ正に一神教の一丁目一番地、文字通り神髄であり、仏教等の多神教とは全く異なるところです。


     “私がなんじの唯一の神であり、
     なんじは私のほかの何者をも神としてはならない“


人の言葉を話すこの唯一絶対の神は、ユダヤ教では「ヤハウェ」、キリスト教では「ゴッド」、イスラム教では「アッラー」と呼ばれ、あたかも三つの異なる「神」のように映りますが、実はもともとは同じ神であり、ユダヤ民族のいわば『氏神さま』にあたる神です。

ユダヤ民族の『氏神さま』ヤハウェが、自らの民モーゼに対し『十戒』を授け、ユダヤ教が形作られてから三千数百年。

ヨーロッパ人が、異端のユダヤ教徒イエス・キリストを『氏神さま』と一体の「ゴッド」として崇め、キリスト教と「新約聖書」を作り上げてから約二千年。

自らを、モーゼやキリスト等と同じ「氏神さまの預言者」、しかも「最後の預言者」と名乗ったアラブ人ムハンマド(モハメッド)が、『氏神さま』を「アッラー」と呼び、アラビア語で書かれた「クラーン」(コーラン)を経典としてイスラム教を興してから約千四百年。


ヤハウェを始祖とするユダヤ教・キリスト教・イスラム教の「一神教三兄弟」は、爾来、文字通り骨肉相食む死闘を繰り広げてきており、イスラム教内の激しい内輪争いも含め、三兄弟間の死闘は収束する気配を全く見せません。

その最大の原因についいて私は、一神教では前記のように「人としての最も基本的な戒め」よりも、「神に対する戒め」の方が遥かに優先するところにあると考えています。

突き詰めれば、他の宗教・他の神を信じる者は、「殺してもよい」、「殺さねばならない」ことに繋がりかねません。

もちろん二千五百年に及ぶ長い仏教の歴史のなかにも、血で血を洗う身内同士の争いもありますが、『殺すなかれ』が最優先の「戒め」であることからも、人殺しも許されると解釈出来るような教義は仏教には存在しないこと明白です。


一神教に関し、私が「心の師」と仰ぐ哲学者梅原猛先生は端的に次のように述べておられます。   
けだし至言と感服致します。


    “一神教は、森が破壊されて荒野となった大地に生まれた種族の
    エゴイズムを神の意志に仮託する甚だ好戦的な宗教ではないか。

    この一神教の批判あるいは抑制なしには人類の永久の平和は
    不可能であると私は思う。“

             (「神殺しの日本 反時代的密語」のなかの
                    “東アジア文明の語るもの” より)

さて私は、一神教に対する梅原先生の上記のような厳しい認識と相通じるものを、去る5月末の、キリスト教徒オバマ大統領の「広島演説」中に見出すものです。

核兵器廃絶・戦争撲滅を強く訴え、その為には「道徳革命(moral revolution)」、「道徳的目覚め(moral awakening)」が必要と、17分間にわたり熱く語りかけた「広島演説」。

しかし、「道徳」を語る割には、そのなかで「宗教(religion)」という言葉はたった一度しか登場しません。

しかもそれは次のように、宗教に対して極めて否定的・絶望的なものであり、もはや宗教には何も期待しないと言っているに等しいと言えます。

(他に「宗教的熱狂(religious zeal)」という言葉が一回出てきますが、それも「戦争の原因」としての登場です)


    “どの偉大な宗教も、愛・平和・正義への道を約束しています。
    しかしそれにもかかわらず、どの宗教も、「信仰の為であれば
    殺人も許される」と主張するような信者を抱えているのです。“


   (Every great religion promises a pathway to love and peace
     and righteousness, and yet no religion has been spared from
     believers who have claimed their faith as a licence to kill)

「広島演説」にあたって、オバマ大統領が仏教をどの程度意識していたのかは解りませんが、少なくとも彼が批判している「宗教」の中心は、「一神教三兄弟」であることは間違いないと言えます。

梅原先生の言葉と見事に平仄が合います。 


         (オバマ大統領の「広島演説」につきましては、直前稿の、

         Vol.182 “「科学技術の進歩」について思うこと(その2)
               ——オバマ大統領の「広島演説」を受けて、、、“

          を、ご覧頂きたいと思います。


          演説全文は、ホワイトハウスサイトのこのページ
          お読み頂けます)


梅原先生はまた、『不殺生戒』に関連し次のように語っておられます。
これまた至言と感じています。


    “釈迦仏教のような、根底的に人を殺してはならないという思想は、
    なかなか、人類は受け入れがたいけどね、釈迦仏教の受け入れがたさが、
    逆に、人類には必要になってくる。

    そのくらい、人間の業を強く反省しないと、なかなか核戦争を防ぐ
    ことはできない。“

                (「仏の発見 五木寛之・梅原猛対話」より)

核戦争を防ぐために今あらためて『不殺生戒』を説く梅原先生。

一方、「核兵器のない世界」に向け、一神教を超えて、「道徳革命」、「道徳的目覚め」を強く訴えるオバマ大統領。

お二人は、正に一体という思いを禁じ得ません。


『不殺生戒』の徹底こそが、オバマ大統領の言う「道徳革命」、「道徳的目覚め」そのものであると考えるものです。


         (尚、『不殺生戒』についての最初のエントリーは、
          10年以上前に記しました、

          Vol.16 “『不殺生戒』を今あらためて” です。

          また、Vol.101“『不殺生戒』を今あらためて(その2)”は、
          わが国裁判員裁判における初の死刑判決を受け、6年前に
          記したものです)


ところで私は、日本にも「一神教の時代」があったと位置づけています。

明治維新から先の敗戦までの約80年間がそれで、「国家神道という一神教の時代」と名付けています。

この点、やや詳しくは、Vol.29 “『宗教心溢れる時代』に向けて” をご覧頂きたいと思いますが、
わが国は今急ピッチで、極めて好戦的であったあの時代に舞い戻りつつあることを心底危惧しています。

『不殺生戒』の徹底、「道徳革命」、「道徳的目覚め」が必要なのは、ひとり一神教国のみならず、現下のわが国もまた然りなのです。

                            (完)

2016年09月16日

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