Vol.182 「科学技術の進歩」について思うこと(その2)             ———オバマ大統領の「広島演説」を受けて、、、

[その他政治・社会分野]

早いもので、オバマ大統領の歴史に残る「広島演説」(Remarks by President Obama at Hiroshima Peace Memorial)から既に1ヶ月余が経過しました。

2009年4月の「プラハ演説」のいわば完結編とも言える「広島演説」。
全篇を貫く気高さと言葉の美しさは(「言行不一致」との指摘はあるものの)、実に感動的です。


たまたま私はその前後、親しい友人と道東(北海道)を旅行中で、演説のあった5月27日には野付半島や納沙布岬から北方領土を直に見つめ、戦争についてのいろいろな思いが脳裏に去来していたこともあり、大統領の言葉は一段と胸に響きました。


         (因みに私は、以下に記しましたように戦争遺児です。

          Vol.177 “両陛下本当にありがとうございました  
                ——フィリピン戦没者の一遺児より“ 

なかでも、「科学」、「戦争」、「道徳」について語っている次の一節には最も強い感銘を受けた次第です。


   “「科学」は人間が、海の向こう側と会話をし、
    雲の上を飛ぶことを可能にした。
    難病を治し、宇宙全体のことも解るようになった。

    しかしその同じ「科学」が、次から次へより効率的な
    大量殺戮兵器を作り出してきている。

    近代に入ってからの「戦争」は、それが真実であることを
    教えている。
    広島がその最たる例である。

    「技術進歩」(technological progress)は、人間の側が
    「それに見合う進歩」(equivalent progress in human institutions)
    をしない限り、世の中を破滅に追い込む。

    核分裂をもたらした「科学革命」(scientific revolution)に
    対しては、人間の側の「道徳革命」(moral revolution)もまた
    不可欠なのである。“

全長17分のこの演説は、上記「道徳革命」も受け、次の言葉で締めくくられています。 何とも見事です。


     “広島と長崎が「核戦争の幕開け」(dawn of atomic warfare)
      であったと位置づけられるような未来ではなく、

      広島と長崎によって、人間の「道徳的な目覚めが始まった」
     (start of our own moral awakening) と位置づけられるような
     未来、

      そんな未来をこそ私たちは選択すべきなのです。“


         (尚、上記邦訳は私なりのもので、公式訳文とは一部
          異なります。

          「広島演説」の全文は、ホワイトハウスのこのページ
          でお読み頂けます。
          そこには大統領演説を受けての安倍首相所感もあります)


さて、上記「科学」と「道徳」という言葉で思い浮かびますのは、マハトマ・ガンディーの『七つの社会的大罪』(Seven Social Sins)です。

インド独立の父マハトマ・ガンディー(1869〜1948)は、今から約90年前、

“このまま進めば、資本主義社会には『七つの社会的大罪』が蔓延するであろう“

と予言、『七大罪』を列挙し強い警告を発していますが、「科学」と「道徳」という言葉は、そのなかで、次のように登場します。


     —人間性なき「科学」(Science without humanity)
     —「道徳」なき経済 (Commerce without morality)


“人間性なき「科学」” が、核兵器を作り出し、一方、“「道徳」なき経済” の典型が、東芝の粉飾決算であり、三菱自動車のデータ偽装と言えます。

『七大罪』の残る五つは以下の通りですが、急速に進んだグローバリゼーションの下、今やそれらはガンディーの予言通り世界中に色濃く蔓延しています。

そして実はそれが、昨今世の中を覆っている何とも重苦しく、やり場の無い「閉塞感」の元凶であると私は考えています。

オバマ大統領の言う「道徳革命」、「道徳的な目覚め」が、世界中で俟たれる所以です。

     —理念なき政治 (Politics without principle)
     —労働なき富  (Wealth without work)
     —品性なき知識 (Knowledge without character)
     —自己犠牲なき信仰(Worship without sacrifice)
     —分別なき快楽  (Pleasure without conscience)


         (『七つの社会的大罪』や、ガンディーにつきましては、
          2008年11月に記しました、

           Vol.67“「七つの社会的大罪」(Seven Social Sins)
          ———マハトマ・ガンディーの警告“
 
           
          もご参照頂きたいと思います。
          尚、そこでは、『罪名』は別の言い方をしています)

 


ところで本稿は、“「科学技術の進歩」について思うこと(その2)” ですが、これは、2010年2月に記しました、

Vol.92 “「科学技術の進歩」について思うこと  ———科学技術予算の事業仕分けと鳩山首相施政方針演説を契機に、、、”

に続くものです。

上記鳩山首相の施政方針演説(2010年1月29日)は、前年秋の政権交代後初めてのもので、

     “いのちを、守りたい。
     いのちを守りたいと、願うのです。
     生まれてくるいのち、そして、育ちゆくいのちを守りたい。“

という極めてユニークな出だしで始まるものでした。

「はじめに」に続く「目指すべき日本のあり方」では、鳩山さんが前年末のインド訪問時、希望してマハトマ・ガンディーの慰霊碑に献花したことを述べた上で、その碑に刻まれている『七つの社会的大罪』を紹介し、“今の日本と世界が抱える諸問題を鋭く言い当てている” として、次のように続きます。


     “20世紀の物質的な豊かさを支えてきた経済が、
     本当の意味で人を豊かにし、幸せをもたらしてきたのか。

     資本主義経済を維持しつつ、行き過ぎた「道徳なき商業」、
     「労働なき富」を、どのように制御していくべきなのか。

     人間が人間らしく幸福に生きていくために、どのような
     経済が、政治が、社会が、教育が望ましいのか。
     今、その理念が、哲学が問われています。

     さらに、日本は、アジアの中で、世界の中で、国際社会の
     一員として、どのような国として歩んでいくべきなのか。

     政権交代を果たし、民主党、社会民主党、国民新党による
     連立内閣として初めての予算を提出するこの国会であるからこそ、
     あえて、私の政治理念を、国会議員の皆さんと、国民の皆さまに
     提起することから、この演説を始めたいと、ガンジー廟を前に
     私は決意いたしました。“

演説ではもちろん、「人間性なき科学」についても触れられており、その部分は、上記私のエントリーのなかで紹介させて頂いております。


鳩山さんはその演説からわずか4ヶ月後に首相辞任となる訳ですが、ともあれあの演説は、今回のオバマ演説とも通底する名施政方針演説であったと今でも思っています。


         (上記鳩山首相の演説全文は、首相官邸サイトのこちら
          お読み頂けます)

早いもので、鳩山首相辞任から丁度6年。
自公政権への再交代——「安倍一強政治」になってから、早や3年半。


『七つの社会的大罪』は、わが国においても一段と広がりを見せつつあり、また国民の「いのち」は、知らず知らずのうちにどんどん軽くなってきているように感じています。


折しも旬日のうちに参院選。

後世、“あの参院選を契機に、日本国民の『道徳的な目覚め』が始まった” と言われるような、そんな参院選にならぬかと、心密かに願っているところです。

                            
        (尚、政権再交代となった3年半前の総選挙結果に
         対する私の思いは、

         Vol.135 「よくぞこれほど、、、」——総選挙結果に思う“

         に記させて頂いております。

         “『リベラル受難の時代』が今後またかなり長期間続く
          ことを覚悟せざるを得ぬと感じているところです“ 

          が、その結びです。)
         
                                (完)

2016年07月01日

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