Vol.178 この世の『縦糸』と『横糸』                   ——二つの糸をバランス良く織り成して「仕合わせ」に!          

[「この世」シリーズ]

布が『縦糸』と『横糸』から出来上がっているように、この世のことも全て『縦糸』と『横糸』があると考えています。

そして大切なことは、“『縦糸』か『横糸』か” という二者択一ではなく、“『縦糸』も『横糸』も” であり、二つの糸が程よく織り成されているのが良い布、良い世の中であると信じています。

例えば、「豊かさ」の『縦糸』は、“「物」の豊かさ、” 『横糸』は、“「心」の豊かさ” と言えますが、『縦糸』と『横糸』、即ち「物」と「心」のバランスが取れていなければ、真の豊かさは得られないこと明白です。


しかし私達はここ数十年、ひたすら『縦糸』を強くすることだけに没頭してきており、『横糸』は片隅に追いやられ細り切っています。

『横糸』を再び強め、「物」と「心」のバランスをいかに回復させていくかは、特にこれからの超高齢化社会にあっては、一層重要と思われます。


この点欧米では、力は弱まっているものの依然としてキリスト教あるいはユダヤ教が、人々の「心」の拠り所となっているのに対し、わが国では、明治維新以降、なかでも特に敗戦以降、伝統的宗教が形骸化しているため、「心」の問題への対処はより難しいこと間違いありません。


このあたりに関し、私が「心の師」と仰ぐ故河合隼雄先生は、著書『縦糸横糸』のなかで次のように述べておられます。  
私も全く同じ思いです。

尚、この『縦糸横糸』(新潮社 2003年7月発行)は、先生が産經新聞大阪版に1996年5月から毎月一回連載されていたコラム『縦糸横糸』の、2003年5月までの計72篇を日付順に収録したもので、以下はそのなかの “「宗教教育」という課題 ———敢えて一石を投じる” (2002年3月28日付)からの抜粋です。

               (前略)

   “自然科学の発展によって、人間は多くのことを知り得たし、今後も
   もっともっと知識は増えるだろう。
   しかし、科学の知は、自分と世界を切り離して世界の在り様を知るもの
   であるが、自分と深くかかわるものとして世界を見ようとするときには
   役に立たない。
   人間の死について知ることはできるとしても、自分自身の死、あるいは
   自分の愛する人の死をどう受け止めるのかについては、科学は答えない
   のである。

   日本人は特定の神や宗教を信じていなくとも、その生活全体のなかに
   宗教が混じりこんで生きている国民である。
   ご飯粒ひとつを大切にするような生き方のなかに、その宗教性が認め
   られた。
   しかし、最近になって日常生活が急激に変化し、極めて便利で快適に
   なったのはいいが、生活の変化とともに長い間半意識的に保持していた
   宗教性を、失いつつある。
   このことが、現代日本のいろいろな心の問題の要因のひとつになって
   いる。

   グローバリゼーションの波が強く押し寄せてくるなかで、日本人が
   いかに生きるかを考える上において、前述のような観点からしても、
   日本人が宗教について考えてみることは絶対に必要と思われる。“

               (後略)


       (因みに私は、「宗教との係わり方」の観点から、
        長い日本の歴史を大きく四期に分けて捉えており、
        明治維新から敗戦までを、第三期 “国家神道という一神教
        の時代“、敗戦から今日までを、第四期  “宗教無き時代、
        日本の心を忘れた時代“ と名付けています。

        この点詳しくは、10年ほど前に記しました、

           Vol.29 “「宗教心溢れる時代」に向けて”

        をご覧頂ければと思います)

『縦糸』、『横糸』は、もちろん政治の世界にもあてはまります。

例えば「保守」と「リベラル」についても、“「保守」か、あるいは「リベラル」か” ではなく、「保守」を『縦糸』、「リベラル」を『横糸』と位置づけ、その二つの糸をバランス良くうまく織り上げてゆくのが良い政治と確信しています。


「リベラル」という『横糸』は、つい最近までは野党はもとより自民党のなかにもしっかり張り巡らされており、そのことが自民党という政党を懐が深く、安定感のあるものにしていましたが、安倍一強政治下、『縦糸』の「保守」ばかりがむやみに強くなり、『横糸』の「リベラル」はすっかりすり切れてしまっていること憂慮に堪えません。


       (尚、上記自民党内リベラルグループへの期待ということに
        つきましては、一昨年6月に記しました、

        Vol.155 “集団的自衛権行使容認問題に思う(その4)
                ——自民党『保守本流』は今いずこ?!“

        をご覧頂ければと思います。

        残念乍らそこに記したような事態は全く起きませんでしたが)

「保守」と「リベラル」以外でも、例えば、「国家」と「国民」、「中央」と「地方」、「日米外交」と「近隣外交」、「グローバル」と「ローカル」といった課題においても、それぞれ前者を『縦糸』、後者を『横糸』と捉え、二つの糸を賢くバランスよく織り成してゆくことが政治の要諦と考えます。

しかし残念ながらそれらいずれにおいても、昨今『縦糸』の前者ばかりが強くなり過ぎており、いかにもいびつで、国を大きく誤らせかねないと心底危惧しています。

『縦糸』と『横糸』は、男と女にも喩えられます。

“天才クリエイター” と呼びたいシンガーソングライター中島みゆきさんの名曲『糸』。
なんともスピリチュアルなこの曲のキーフレーズは、ずばり、『縦の糸はあなた 横の糸は私』 です。


『糸』は、結婚を祝う歌として20年以上も前に作られた由ですが、多くの歌手がカバーし、またカラオケでは時に涙ながらに歌われ聴かれ、連綿と紡がれ続けています。


曲は、『逢うべき糸に出逢えることを 人は仕合わせと呼びます』 と締めくくられています。
『仕合わせ』は、「幸せ」であると共に、この世の「巡り逢い」・「ご縁」の不思議さと素晴らしさを意味していると思っています。


「物と心」、「保守とリベラル」、「国家と国民」、「中央と地方」、「日米外交と近隣外交」、「グローバルとローカル」、そして「男と女」、、、、それら全てにおいて、前者の『縦糸』が、逢うべき後者の『横糸』とうまく出逢い、二つの糸がバランス良く織り成されることによって、人々を暖め、人々の傷をかばい、『仕合わせ』が具現する、、、、そのことを切に願うものです。


以下は『糸』の歌詞全文です。

        “なぜめぐり逢うのかを 私たちはなにも知らない
       いつめぐり逢うのかを 私たちはいつも知らない
       どこにいたの生きてきたの 遠い空の下ふたつの物語

       縦の糸はあなた 横の糸は私
       織りなす布は いつか誰かを 暖めうるかもしれない


       なぜ生きてゆくのかを 迷った日の跡のささくれ
       夢追いかけ走って ころんだ日の跡のささくれ
       こんな糸がなんになるの 心許なくてふるえてた風の中
      
       縦の糸はあなた 横の糸は私
       織りなす布は いつか誰かの 傷をかばうかもしれない

       
       縦の糸はあなた 横の糸は私
       逢うべき糸に出逢えることを 人は仕合わせを呼びます"

                           (完)

2016年03月07日

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