Vol.176 「お地蔵さん」との『絆』を再び! ———先ずは被災地東北で、そして日本国中にも!!
村のはずれの お地蔵さんは
いつもにこにこ 見てござる
仲よしこよしの ジャンケンポン
ホイ 石けり なわとび かくれんぼ
元気にあそべと 見てござる
ソレ 見てござる
上記は童謡『見てござる』(作詞 山上武夫 作曲 海沼實)の一番です。
この歌は、敗戦下の子どもたちの気持ちを少しでも明るくすることを目的に、昭和20年10月に作られ、たちどころに日本国中に広まったとのことです。
昭和16年生まれの私にとっても、もの心ついた頃から日々慣れ親しんだ歌ですが、この歌が爆発的な人気を博したのは、あの頃は、日本中どこにでもーー田舎はもとより都市部でもーー「お地蔵さん」が私達の身近にあり、生活の一部となっていたためと考えられます。
人は、悲しい時、苦しい時、あるいは嬉しい時、子どもも大人も「お地蔵さん」と向き合い対話をし、「お地蔵さん」に癒され、勇気づけられて生きていました。
日本人と「お地蔵さん」との『絆』は、古く、強く、かつ温かく、それは「日本文化」の一部とも言えるものでした。
「お地蔵さん」について、私が ”魂の詩人” と崇める山形県酒田市生まれの吉野弘さん(1926〜2014、 結婚式でよく引用される『祝婚歌』の作者)に、『草』と題する次のような極めて短い詩があります。
日本人と「お地蔵さん」との『絆』が見事に映し出されていると感じています。
人さまざまの
願いを
何度でも
聞き届けて下さる
地蔵の傍に
今年も
種子をこぼそう
また、彼の以下の『石仏 —晩秋』は、何とも言えぬ不思議なぬくもりを感じさせます。
心がなごみます。
うしろで
優雅な、低い話し声がする。
ふりかえると
人はいなくて
温顔の石仏が三体
ふっと
口をつぐんでしまわれた。
秋が余りに静かなので
石仏であることを
お忘れになって
お話などなさったらしい。
其処(そこ)だけ不思議なほど明るく
枯草が、こまかく揺れている。
(尚、「お地蔵さん」と、「石仏(せきぶつ、いしぼとけ)」は、
しばしば同じものとして用いられますが、「石仏」には、狭義の
「お地蔵さん」である地蔵菩薩の他、観音菩薩や阿弥陀如来、
あるいは道祖神(どうそしん)などもあります。
一方、「お地蔵さん」には石で出来たものの他、木製や金属製の
ものもあります)
そんな「お地蔵さん」ですが、戦後70年、そして『見てござる』が作られてからも70年を過ぎた今、京都など極く一部の地域を除き、もはや私達にとってそれほど身近な存在ではなくなっています。
この70年間の驚異的な工業化・宅地化の進行に加え、幾たびもの甚大な自然災害により、「お地蔵さん」の居場所は確実に少なくなってきており、「お地蔵さん人口」は減少の一途です。
『見てござる』の歌も昨今ほとんど耳にしませんし、今どきの子どもたちにとっては、そもそも何のことなのか、ピンとこなくなっているものと思われます。
「日本文化」の一角がこの世から姿を消しつつある感じで何とも寂しい限りです。
さて、それはひとまずさておき、早いものでこの3月で東日本大震災から満5年です。
その年、2011年の「今年の漢字」には、断トツで『絆』が選ばれていますが、原発事故を含む空前絶後の大災害を目の当たりにし、日本人全てが自分たちのそれ迄の「生きざま」に深く思いを致し、『変えるべきものは変えよう』、『元に戻すべきものは戻そう』と心に誓った年でした。
人類学者中沢新一先生が、『日本の大転換』を提唱され注目を集めたものです。
爾来5年。
いまだに18万人もの方々が避難生活を余儀なくされているにも拘らず、大方の国民にとっては、「のど元過ぎれば熱さを忘れる」で、大震災は既に過去のものになりつつあり、エネルギー問題を筆頭にわが国は多くの点で今やすっかり「元の木阿弥」状態、あるいはそれ以下と言えます。
『日本の大転換』など夢のまた夢、、、、、残念ながらあの年の私達の思いは、『瞬間菩薩』・『瞬間スピリチュアル』に過ぎず、長続きはしなかったと断定せざるを得ません。
これまた何とも寂しい限りです。
(『日本の大転換』・『瞬間菩薩』・『瞬間スピリチュアル』等に
関しましては、震災翌年の私の年頭所感、
Vol.120 “年の初めに思うこと ——「日本の大転換」に向けて”
をご参照頂きたいと思います)
そういった状況下、私の心の師である宗教学者山折哲雄先生が昨年、東日本大震災の被災地に再び「お地蔵さん」の姿が見られることを強く願って、『おじぞうさんはいつでも』と題する絵本を上梓されました(文 山折哲雄、絵 永田萌、講談社)。
そして私はこの絵本により、“「お地蔵さん」プロジェクト” という素晴らしい企画が震災の年の秋に具体化し、「お地蔵さん」が被災地で既に何基か建立済みであることを初めて知った次第です。
正式名称は、“被災地に届けたい「お地蔵さん」プロジェクト 〜勇気と絆とやすらぎを〜”。
被災地沿岸部の各市町村(約50ヶ所)に「お地蔵さん」を建立すべく、前述吉野弘さんゆかりの山形の方々が中心になって立ち上げられたもので、
実行主体は認定NPO法人 “被災地に届けたい「お地蔵さん」プロジェクト” (理事長 葦原正憲元東北福祉大理事長、元愛知学院大理事長、元駒沢大理事)、山折先生は、学会関係の筆頭賛同者でした。
私は大変遅まきながら昨年暮、このプロジェクトの個人賛助会員にさせて頂いた次第です。
日本人と「お地蔵さん」との『絆』の再生に向けて、そして、失われつつある「日本文化」の復元に向けて、更には、震災の年に考えたこと・誓ったこと等を想起するよすがとしても、
「お地蔵さん」が先ずは被災地に数多く建立され、そしていずれ将来、この動きが東北から日本全国に広がって行くことを大いに期待するものです。
プロジェクト詳細、入会申し込み、資料請求等はこちらのサイトをご覧頂きたいと思います。
締めくくりに、上記山折先生の絵本から、その一部を転載させて頂きます。
この世とあの世をつなぐ「お地蔵さん」、、、、、いつもにこにこ見てござる「お地蔵さん」がまた一段と大きく感じられます。
この世からあの世への山の辺(べ)に
あの世からこの世への海の辺に
おじぞうさんが ニコニコ立っている
手まねきしながら 立っている
おじぞうさんは ものをいわない
おじぞうさんは だまって立っている
もっとそばに近よってみよう
その口もとに耳を近づけてみよう
おじぞうさんの声が聞こえてくる
おじぞうさんのことばが聞こえてくる
(完)
2016年01月07日
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