Vol.172 この世の『こよなき幸せ』と、『なんという贅沢』 ———お釈迦様のことば、鴨長明のことば
仏教の開祖お釈迦様(ブッダ、ゴータマ・シッダールタ、紀元前5〜6世紀のインドの人)は、29才の若さで、家族も王子の身分も捨てて出家し、以降6年に及ぶ厳しい修行の後、35才で悟りを開いたとされています。
そしてその後は、80才で亡くなる迄インド各地を旅し、行く先々で多くの人々と対話を重ね、自分の考えや心境などを穏やかに説かれ続けられたようです。
その内容を編纂したものが、「原始仏典」と呼ばれる仏教最古の一連の経典ですが、その一つ『スッタニパータ』(『経集』)には、合計1,149の「偈(げ)」(詩句、ことば)が、項目ごとに収録されており、語り口の平易さ・素朴さから、お釈迦様のことばに最も近いとされています。
(尚、「原始仏典」につきましては、
Vol.160 “「十悪」のこと、「十善戒」、「五戒」のこと”
のなかで、『ダンマパダ』(『法句経』)からの引用を
記させて頂いております)
ある時、ある人が、『この世の最上の幸福を教えて下さい』と尋ねたましたが、それに対するお釈迦様の答えが、『こよなき幸せ』という項目のもと、合わせて11偈記されています。
最初は次の偈です。
(以下いずれも、中村元「ブッダのことば ——スッタニパータ」より)
“諸々の愚者に親しまないで、諸々の賢者と親しみ、
尊敬すべき人々を尊敬すること、
———これがこよなき幸せである“ (第259偈)
これに続き、「心」の領域に属することを中心に、いかにもお釈迦様らしい『こよなき幸せ』が10偈記されていますが、そのなかで私が特に強く惹かれるのが以下の二つの偈です。
この世の『幸せ』はそれに尽きると思っています。
“耐え忍ぶこと、ことばの優しいこと、諸々の「道の人」
(沙門・サマナ)に会うこと、適当な時に理法についての
教えをきくこと、
———これがこよなき幸せである“ (第266偈)
“世俗のことがらに触れても、その人の心が動揺せず、
憂いなく、汚れを離れ、安穏であること、
———これがこよなき幸せである“ (第268偈)
さて、日本人でお釈迦様の教えにかなり近づいた一人が、歌人・随筆家の鴨長明(1155〜1216)ではないかと考えています。
長明は、京都下鴨神社の名門神職家の次男ですが、やや失意のうちに50才で出家し隠棲生活に入り、一丈四方(約3メートル四方)の簡素な庵で人生を終えた人です。
「枕草子」、「徒然草」と共に日本三大随筆である彼の「方丈記」は、まさにその方丈の庵で書き綴られたもので、お釈迦様の『諸行無常』という基本的な教えが全篇を貫いています。
(『無常』につきましては、
Vol.41 “この世は「無常」“
も、併せご参照頂ければと思います)
一方、自身の隠棲生活そのものは、お釈迦様の『こよなき幸せ』を地で行くものであったようで、例えば次の記述などは、私が最も好きな上記第268偈の『こよなき幸せ』そのものと言えます。
(上段は原文、下段は中野孝次「すらすら読める方丈記」中の現代語訳)
“おほかた、世をのがれ、身を捨てしより、
恨みもなく、畏れもなし。
命は天運にまかせて、惜しまず、いとはず。
身は浮雲になずらへて、頼まず、まだしとせず。“
(世を逃れ、身を捨ててからは、わたくしは大体において
恨みもなく、恐れもなくなった。
いのちは天運にまかせて、生命を惜しみもせず、
死を恐れもしない。
この身を浮雲のように思いなしているから、
現世の幸福を頼みもせず、また悪運だからといって
いとわない)
加えて、長明の日々の修行は、以下の様にかなり伸びやかで、ある種奔放でもあり、『なんという贅沢!』と感激する彼に、強い共感を覚えます。
“もし、念仏ものうく、読経まめならぬ時は、
みづから休み、みづから怠る。
さまたぐる人もなく、また、恥づべき人もなし“
“座を組み、何時間でも瞑想する。
からだが要求するときに食べ、
簡素な小屋に住むことのなんという贅沢“
お釈迦様の『こよなき幸せ』と、鴨長明の『なんという贅沢』、、、、、この二つは、私のいわば「余生の指針」でもあります。
(完)
2015年10月21日
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