Vol.171 『戦争をしない進んだ国』と『戦争をする普通の国』          ———安保法案の参院強行採決を前に思うこと

[その他スピリチュアル分野]

戦後70年の暑い夏も終り、『平和日本』は71年目に入りました。

この間の平和は、ひとえに「日米同盟」と「憲法9条」の賜物と考えていますが、その二つのうちいずれがより有効であったかと問われれば、私は躊躇無く「憲法9条」と答えます。


9条の下、70年の長きにわたり『戦争をしない進んだ国』であり続けた『和の国日本』。

その間、国際的には時に肩身の狭い思いもしましたが、それにも耐え、ひたすら9条を守り通したお蔭で、今や『進んだ国日本』は世界中から一目置かれ、「憲法9条」はこのところ毎年ノーベル平和賞候補にあげられる程です。

顧みればわが国は、徳川時代は250年間、平安時代は実に350年もの長きにわたり平和を享受しました。

文字通り『和の国日本』であり、先人の偉大さに改めて目を見張りますが、それを思えば、「70年間の平和」はまだまだほんの序の口に過ぎないことを思い知らされます。


今後何十年、何百年、更には未来永劫、『戦争をしない進んだ国』であり続け、唯一の戦争被爆国として世界中に核兵器の非道さも訴え続けながら、『戦争をする普通の国』を、粘り強く一つでも多く『進んだ国』の仲間入りをさせる・・・・・・それが天から与えられた私達の使命、『天命』と信じています。

さて、全くの私事ですが、私は戦争遺児です。

私の父は単身赴任先のフィリピン・マニラで現地召集され、昭和20年7月、ルソン島北部の山中で戦病死。享年48才。

4才にも満たぬ私をはじめ家族全員を内地に残し、異国に散った父。
その無念と絶望に思いを致す時、胸が張り裂けます。


      (因みに私の父篠田昌忠は、新田次郎文学賞に輝いた名著、
       「恋の蛍 山崎富栄と太宰治」(松本侑子著)の文庫本中、
       数ページにわたり実名で登場します。

       その経緯等につきましては、
      
         Vol.127 “「恋の蛍 山崎富栄と太宰治」文庫本発行!”

       に記させて頂いております)

戦時下のフィリピンでは、民間人を含め実に50万人を超す同胞が戦禍に倒れています。

その大半の方々の遺骨は未収集。
私の父もそうですし、内地で召集された父の末弟(私の叔父)もそうです。
レイテ島で散られた古賀誠自民党元幹事長の父上もそうしたお一人です。

何とも悲惨で空しい限りです。

しかし一方で、同時期に110万人ものフリピン人が犠牲になっている事実を知る時、『軍国日本』の罪の大きさに言葉を失います。

人は被害を受けたことはなかなか忘れないものの、他人に害を加えたことは忘れ易く、また忘れたがるものです。

しかし、害を加えた側は忘れても、加えられた側はなかなか忘れないだけに、加害側がよほど心しない限り、両者の「心の溝」は埋まらないことになります。

私達は、今年の年頭天皇陛下が述べられたごとく、改めて先の『15年戦争』の実相について、特にその間の「加害」について正しく学び、それを教訓・遺訓として後世に語り継いで行く必要があると考える次第です。


     (上記天皇陛下のお言葉につきましては、

        Vol.164 “戦後70年の年頭に思うこと
    ———Voices for peace and progressを!“

 
      をご参照頂きたいと思います)

翻って国会。


わが国を、よりにもよって『戦争をする普通の国』に戻してしまう『違憲法案』がいよいよ参議院でも強行採決間近です。


この法案は、「9条の精神」を真っ向から踏みにじり、わが国を戦前の『軍国日本』に戻さんとするものであって、明らかに『天命に背く』と断ぜざるを得ません。

そんな法案を通せば、『天罰必死』と心底畏れます。

しかし、昨今の安倍首相の表情からは、

   “これさえ通せば首相退陣もいとわない。
   退陣はむしろ勲章、自分は喜んで殉教者になる!”

と腹をくくったように見受けられます。

いわば『幼児の自己陶酔』の状態と言えますが、こうなりますともはや「怖いものなし」で、手がつけられません。


      (安倍首相の『幼児性』につきましては、

       Vol.168 “安倍首相の『幼児性』を憂う!
                ———新安保法制問題にからめて“

       をご一読賜ればと思います)

はたして天はいかなる裁きを下すのか?

今後旬日の展開を固唾を呑んで見守りつつ、よしんば法案が成立したとしても、無辜の民には決して『天罰』が下りません様、ひたすら祈るばかりです。

                            
      (尚、集団的自衛権行使についての私の基本的な考え方は、昨年
       4月にアップしました下記にやや詳しく記させて頂きました。

         Vol.153 “集団的自衛権行使容認問題に思う(その2)
        ———『行使容認』(=『封印解除』)は、時代に逆行!“

        そのページからは、憲法学者長谷部恭男先生の講演、
        「憲法解釈と集団的自衛権」(昨年3月 於日本記者クラブ、
        質疑を含め約1時間半)のYou tubeもご覧になれます)

                           (完) 

2015年09月05日

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