Vol.168 安倍首相の「幼児性」を憂う!                        ———新安保法制問題にからめてーーー

[その他政治・社会分野]

安倍首相の「幼児性」がNHKテレビを通じまたまた世界中に露呈してしまいました。

舞台は新安保法案を審議する衆議院の特別委員会。
その2日目の先月28日、発言中の質問者辻元議員に対し、安倍首相が答弁席から、

   『早く質問しろよ!』

と大声でヤジ(NHKテレビ・ラジオ中継中)。

首相は今年2月の衆議院予算委員会でも質問者に対し、

   『日教組! 日教組どうするんだ!』

と、議論とは直接関係のないヤジを飛ばし、委員長からも注意を受け、謝罪に追い込まれています。


その舌の根も乾かぬうちの今回のヤジ。

首相は一方で、自らに対する野党のヤジには繰り返し厳しく叱責をしてきており、「幼児性ここに極まれり」の思いです。

(本件は結局、昨6月1日の、やはりNHK中継中の特別委員会の冒頭、委員長から『不必要な発言は厳に慎むよう』注意があり、それを受け首相が『重ねてお詫び申し上げると共に、委員長のご指示を踏まえ、真摯に対応していく』と改めて陳謝、一件落着となりましたが、首相発言は原稿の棒読みで、本心から詫びている様子はまるで感じられないものでした)


安倍首相の「幼児性」に関しては、私はこれ迄、二つの出来事の折りにこの場で短く触れさせて頂いており(下記ご参照)、これで三度目です。


     (一度目は、2013年12月末の全く唐突な靖国参拝に対し、

        “安倍首相の「幼児性」が端的に現れた不幸な事例”

      と記したところです。

      (Vol.150 “2014年、「甲午 四緑木星」の年を読む!“


      二度目は、昨年末の大義無き解散・総選挙の折りです。

      たしかに解散は首相の専権事項ではあるものの、専権の大義無き
      行使は、「専権濫用」であり、それは「幼児性」が強くなければ
      なかなか踏み切れぬものです。

      (Vol.161 “年内解散・総選挙は「専権」の濫用! 
               ——安倍首相の「幼児性」再露呈に思う“

人間誰しも多かれ少なかれ「幼児性」を残していますが、安倍さんほど色濃く幅広く残している方は稀で、そんな方が一国の首相になっていることは、正に前代未聞と言えます。

一国民として、何とも言えぬ危うさと恥ずかしさを禁じ得ません。


     

そんな安倍首相に関し、私が永年「心の師」と仰ぐ梅原猛先生は次のように記しておられます。

大哲学者・仏教者の直観に空恐ろしさを覚えます。


    “おそらくぼけ老人の錯覚であろうが、自信ありげに颯爽と政治を執る
    人気の高い安倍首相の姿が、かつての近衛首相の姿と重なってみえる
    のである。“

            (『老耄と哲学』中の、「平和憲法について」結び)


(尚、上記「平和憲法について」の全文—ーー初出は中日・東京新聞の超長期連載エッセイ『思うままに』、2013年5月27日夕刊———を、本稿末尾に転載致しました。ご一読をお勧め致します)


さて、その安倍内閣が強引に推進しつつある新安保法制ですが、
私は集団的自衛権の行使を容認した昨年7月の閣議決定は、どう見ても「違憲」と捉えており、それに基づく現下の2法案はとても認められるものではないと考えています。

    
        (集団的自衛権に関しましては、昨年4月から10月にかけ、
         この場で7回にわたり記させて頂きましたが、
         私がなぜ行使容認に反対かにつきましては、

         Vol.153 “集団的自衛権行使容認問題に思う(その2)
          ——『行使容認』(=『封印解除』)は時代に逆行!“

         に少し詳しく記させて頂いております)

この問題に関し、日本弁護士連合会(日弁連)は、先週の金曜日5月29日付で、

   『安全保障法制等の法案に反対し、平和と人権及び立憲主義を守る
    ための宣言』

を発表しております。


『宣言』によれば、これは、

    “戦前、弁護士会は、言論・表現の自由が失われていく中、戦争の
    開始と拡大に対し反対を徹底して貫くことができなかった。

             (中略)

    今、弁護士及び弁護士会が、「基本的人権を擁護し、社会正義を
    実現する」という立場から意見を述べ行動しなければ、弁護士及び
    弁護士会は、先の大戦への真摯な反省と、そこから得た痛切な教訓
    を生かせないことになる“

との自覚の下にまとめ上げられています。


『宣言』の提案理由も過不足無く丁寧に述べられており、この問題に対する日弁連の危機感と決意がひしひしと伝わって来ます。

やや長文ですが、こちらもご一読をお勧めする次第です。


(尚、日弁連のこうした言動を見るにつけ、全日本仏教会を頂点とするわが国仏教界がこの重要な問題に対し殆ど声を挙げていないこと、多少なりとも仏教との関わりを有する私としては、何とも歯痒い限りです)


類い稀な「幼児性」の持主、安倍首相。

現下の2法案については、なりふり構わぬ株価対策も支えに、いずれかの時点で、何のためらいも無く強行採決を決断するものと思われます。

それを許すのか、あるいは体を張って止めるのか?

それ偏に私達国民一人一人に懸かっていること明らかです。


   —————<梅原猛先生のエッセイ、“平和憲法について” 全文>————
 
           
 改憲論議が盛んであるが、私は、必ずしも政治的意見が一致しない加藤周一氏や井上ひさし氏らとともに「九条の会」の呼びかけ人に名を連ねたほどの頑固な護憲論者である。
戦後、日本は憲法九条の下で大きな躍進を遂げ、アメリカに次ぐ世界第二位の経済大国になった。
その輝かしい時代の政治を司ってきたのは主として自民党であり、私はほぼ自民党を支持し続けてきたが、その自民党が憲法九条を変えるとは、長年の友人に裏切られたような気持ちである。


 現在の日本国憲法はアメリカによって作られたものであり、自主憲法を制定するべきであるという論がある。
しかし憲法九条には、あの約三百万人の日本国民及び約二千万人のアジア諸国民の命を奪った戦争に対する痛烈な反省と平和への熱い願いが込められているのではなかろうか。


  憲法九条は日本の伝統に沿ったものであると私は思う。
日本の歴史を見ると、平安時代に約三百五十年、江戸時代に約二百五十年の戦争も内乱もない平和な時代があった。
日本が大陸から離れた島国であるせいでもあるが、そのような国家が他にあろうか。
戦後約七十年間平和が保たれているが、平和の時代はまだ百年も二百年も続いてほしいと思う。


 また日本は、攻めてくる外国との戦いでは、元寇(げんこう)といい日露戦争といい、赫々たる勝利を収めたが、外国に攻めた戦争は敗戦に終わった。
白村江の戦い、秀吉の朝鮮出兵、及び満州事変に始まる十五年戦争、ことごとく惨敗であったといえよう。


  しかし、外国からの攻撃に対しては万全の備えをするが決して外国を攻撃しない軍隊をもつことこそ日本の名誉ある伝統である。
それゆえ、自衛隊こそまさに日本の伝統に沿う軍隊であろう。
またそれはカントの「永久平和論」に沿う軍隊でもある。
カントの「永久平和論」は国際連合の思想的原理になっているが、国際連合は真に永久平和を実現する機関になっていない。


 たしかに現在、東アジアは一触即発の状態にあるかもしれないが、そのような危機も平和憲法の下で解決を図るべきではないか。
平和の理想を高く掲げ、内に死を賭して戦う強い軍隊をもつ国には容易に外国が攻めてくるとは思われない。


  私は今年、数えで八十九歳になった。
私は徴兵を受けて軍隊に入り、戦争というものがいかに残虐なものであるかを身をもって知った最後の世代である。
そのような戦争に参加した現在八十九歳以上の人は日本の総人口の0・5%にも満たないらしいが、戦争の惨禍をまったく知らない政治家によって日本が変えられることに、戦中派として強い不安を感じるのである。


 おそらくぼけ老人の錯覚であろうが、自信ありげに颯爽と政治を執る人気の高い安倍首相の姿が、かつての近衛首相の姿と重なってみえるのである。


   ————『老耄と哲学』(文藝春秋 2015年1月出版)より—————


                                (完)

2015年06月02日

≪ Vol.167 日米ガイドライン改定についての日弁連会長声明ご紹介 | TOP PAGE | Vol.169 日弁連の「安全保障法制改定法案に対する意見書」ご紹介     ーーー29ページから成る包括的・客観的意見書です ≫