Vol.153 集団的自衛権行使容認問題に思う(その2)             ーーー『行使容認』(=『封印解除』)は、時代に逆行!

[その他政治・社会分野]

今や時の言葉とも言える、“集団的自衛権の『行使容認』か、『容認反対』か?” ですが、私はこの言い方にはやや違和感があり、“集団的自衛権の『封印継続』か、『封印解除』か?” の方が解り易いと思っています。

集団的自衛権は、個別的自衛権と共に国連憲章で明文化されている各国固有の権利であり、その行使は、国際法上の所定の要件の下、どの国にも等しく認められています。

しかし、そのなかにあってわが国は一貫して、『行使は憲法9条により封印されている』と有権解釈し、それに従って行動してきているところです。

そしてそれこそが、「国民主権」、「基本的人権尊重」と並ぶ、わが国憲法の三大原理の一つ「平和主義」の根幹をなすものと言えます。


たしかに特異な事例等では、集団的自衛権を封印しているマイナスが感じられることもあり得ますが、重要なことは『封印のプラス面』との冷徹な比較衡量です。


いたずらにマイナス点だけをあげつらって封印解除を煽るのでは無く、わが国は戦後、「平和主義」を貫き通すことによって世界の人々の信頼を取り戻し、積み上げてきているという事実を十分勘考する必要があるということです。


    (この点、Vol.152 “集団的自衛権行使容認問題に思う(その1)”
     に記しました通り、封印のプラス面を語れるメンバーが一人も
     入っていない「安保法制懇」の報告書は、自ずと偏ったものに
     なること必定です)

そして、より重要なことは、集団的自衛権の『封印継続』と『封印解除』のどちらが、時代的に進んでいるのか? 歴史の進歩に沿うものなのか? であろうと思っています。

昨年12月に記しましたVol.149 “「今年の漢字」は『国』 ——第2次安倍内閣のこと、「ポスト近代国家」のこと、など” のなかで、イギリスの外交官ロバート・クーパーが提唱する、

     “「プレ近代国家」—→「近代国家」—→「ポスト近代国家」”

という歴史の流れをご紹介しましたが、
『封印解除』は、折角「ポスト近代国家」への道を歩み始めているわが国を、時代遅れの「近代国家」に逆戻りさせるものであること明白です。

また同じイギリスの社会学者で、ブレア政権のブレーンでもあったアンソニー・ギデンス(1938〜    )は、著書「第三の道」のなかで『強い国家』について次のように述べています。

      “往年の「強い国家」は、戦争への備えの万全な国家であった。
      現在、強い国家とは、国家主権を抑制する用意のある国家を
      意味する“


戦後一貫して、集団的自衛権という国家主権を見事に抑制してきたわが国ですが、今まさに、『往年の強い国家』に舞い戻らんとしているということになります。


     (尚、アンソニー・ギデンスに関しましては、
    
         Vol.92 “「科学技術の進歩」について思うこと”

      の末尾に、「科学技術と政府の役割」に関する彼の言葉を
      掲載しています)

以上、『封印解除』は間違いなく時計の針を巻き戻すものであると確信していますが、
かてて加えて安倍首相は、その『封印解除』を、即ち、前記わが国憲法の三大原理の一つに係わる極めて重要な有権解釈を、閣議決定だけで変更せんとしており、これ正にヒットラーもびっくりの暴挙と言えます。

安倍首相が目論むこうした憲法解釈の変更について、わが国憲法学の第一人者とされる長谷部恭男先生は、先月末の講演で、“『自己破壊的』で、政府の憲法解釈全体の将来を危うくしかねない” と強く警告されています。

わが意を得たりとの思いです。


     (「憲法解釈の変更と集団的自衛権」と題する上記講演は、
      You tube のこちらにアップされています。
      質疑を含め約一時間半、於 日本記者クラブ。

      
      そのなかで先生は、本問題に関連し昨今急に脚光を浴びている
      昭和34年の最高裁砂川事件判決についても触れられ、

        “砂川判決で集団的自衛権を基礎づけることが出来るという
        憲法学者を自分は知らない。
        全く理解することが難しい理論“

      と切って捨てられています)

各種世論調査によれば、『行使容認』(=『封印解除』)の賛成者は半数に満たず、また賛成者のうち、封印解除は憲法改正によらずとも閣議決定で良しとする意見はやはり半数未満です。

つまり、首相の考えに賛同するのは、少なくとも現時点では国民のせいぜい20%止まりということになりますので、さすがの安倍首相も常識的には暴挙に打って出ることはあり得ないものと想像されます。


がしかし、昨年末のまさかの靖国参拝の例もあり、予断と油断は禁物と思っているところです。
                         (完)

2014年04月20日

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