Vol.146 「心だに誠の道にかなひなば 祈らずとても、、、、」              ———安倍首相の靖国参拝問題に思う   、」

[その他政治・社会分野]

安倍首相以下中核四閣僚が、終戦記念日の靖国参拝を控えられたことは素直に評価したいと思います。


しかし、他閣僚の参拝は容認する内閣方針の下、新藤・古屋・稲田の三閣僚が参拝、加えて、戦没者追悼式における首相式辞が、前例を踏襲しない確信犯的とも言える内容であったことにより、折角の四閣僚参拝自制も完全に帳消しとなり、中韓両国との関係はまた一段と悪化してしまいました。

靖国に眠る御霊(みたま)は、相も変わらぬこの喧噪をさぞ苦々しい思いで眺めておられるものと思っています。


私事ですが、私の父篠田昌忠も靖国に眠っています。

父は戦前の三井物産に勤めており、昭和16年12月マニラ支店に転勤。
現地で徴用され、第14方面軍野戦貨物廠所属の陸軍軍属として、昭和20年7月24日マニラ北方の山岳地帯で戦病死。 享年48才。

靖国神社『祭神乃記』によれば、昭和31年4月21日に合祀。


      (因みに、新田次郎文学賞受賞の松本侑子著、『恋の蛍
       山崎富栄と太宰治』の文庫本ーー2012年5月光文社発行ーー
       には、マニラの場面で亡父が数ページにわたり実名で登場
       しています。

       その経緯等につきましては、
        Vol.127“『恋の蛍 山崎富栄と太宰治』文庫本発行!
                    ーーー私事がらみですが、、、“

       をご参照頂ければと思います)


私は、戦没者遺族の一人として、首相はもとより天皇も、他国からあれこれ言われることなく、静かな雰囲気のなかで是非再び靖国に参拝頂けることを強く願うものです。


しかし現実問題として、天皇が参拝出来るような環境を靖国で再整備することは、教義上の問題もあり極めて難しいと見られます。
一方、靖国に代わる「戦没者追悼国立施設」の新設は、靖国の御霊にとってはかなりの違和感があるものと思われます。


結局のところ、天皇参拝を願う遺族の思いは、残念ながらとても叶いそうにありません。


      (尚、『祭神』として靖国神社に祀られる対象は、本来は、
       「戦没軍人・軍属」ーー戦死・戦病死・戦傷死した軍人・軍属ーー
       のみでしたが、靖国側は、いわゆる「靖国史観」の下、
       それ以外の人々も多数『祭神』として合祀してしまっており、
       そのことがこの問題の根源です。

       靖国神社のこの振る舞いは明らかに確信犯と言えます)

そうしたなか私は、平安時代の貴族菅原道真の次の歌に、この問題に対する答えと救いを見出すものです。
(この歌は、Vol.144 “『悩み』を『祈り』に! ——北海道神宮【神の教え】より“ のなかでも引用しております)


    “心だに誠の道にかなひなば
               祈らずとても神や守らん“

「誠の道」とは、ここでは【不戦の道】であり、その道をしっかり歩んで行く限り、例えば外交問題になるような参拝はなされなくても神の守護は得られるということです。

そして、更に私は、

    “心だに誠の道にかなひなば
               祈らずとても御霊(みたま)安らか“

でもあると信じています。

安倍首相は、第一次安倍内閣時代に参拝出来なかったことを、『痛恨の極み』と公言するなど、靖国参拝に強いこだわりを見せておられ、「靖国史観」の肯定者かと思わせる程ですが、参拝よりも是非「誠の道」、【不戦の道】の方にこだわり続けて頂きたいと思います。


【不戦の道】さえ踏み外さなければ、敢えて無理な参拝なぞしなくとも良いのですから。


ところで第一次安倍内閣時代の2007年6月、私は、

 Vol.43 “「戦争をする普通の国」にまた戻りますか?
      ——「海外に於ける自衛隊の武力行使容認論議」に思う“

と題し、時の安倍首相に対する大いなる危惧を記させて頂きました。


6年後の今、すっかり自信を取り戻した首相の、かなり周到な言動を見るにつけ、その危惧を益々深めているところです。

                            (完)

2013年08月20日

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