Vol.137「天命」に安んじる
「天命」とは、私たちがこの世に生まれる時、天から授かるとされる「定め」のことです。
寿命も使命も、もちろん含まれます。
12世紀中国の儒学者、胡寅(こいん)の有名な言葉に、
“人事を尽くして天命を待つ”
があります。
『あらん限りの努力をしたので、あとはどんな結果であろうと、「天の定め」にお任せします』という安らかな心境を表すものです。
がしかし、努力をすればする程、心の片隅には、『これだけ必死に頑張ったんだから、、、、』という天命への期待感が強まりますし、反面、逆の場合の不安感にも襲われ、心はなかなか安らぎません。
胡寅のこの言葉に対し、明治時代の宗教家・哲学者で浄土真宗大谷派の僧侶、清沢満之(きよざわまんし、1863〜1903)は、順序を入れ替えて、
“天命に安んじて人事を尽くす”
と言っています。
『全ては「天の定め」、甘んじて身を「天命」に委ね、ひたすら無心に人事を尽くす』といった意味ですが、私はこの言葉の方により心を惹かれます。
清沢の言葉に相通ずることを、日本近代文学研究者の鈴木秀子シスターが、『聖なる諦め』というキリスト者らしい表現で次の様に述べておられます。
こちらにも強い共感を覚えます。
“人生の中ではいろんなことがありますけど、もしいやなことが
あった時には、あぁ、これもきっと意味があって起こったんだ、
どんな意味があるかいまは分からないけど、いつかそれが分かる時が
楽しみだと、そんな聖なる諦めを持つことが大切ですね。“
(「多生の縁 玄侑宗久対談集」より)
人はみな、こうあって欲しい、こうありたいという願望を常にもっています。
しかし、その願望が、長い目で見てその人にとって本当に良いことなのか? その人の「『霊格』の向上」に本当に資するものなのか? それは全く分かりません。
自分の願望に過度に拘泥することを止め、思い切って身を全て「天命」に委ねてしまう、、、そこに心の平安が生まれ、真の人事を尽くすことが出来ると考えています。
(尚、「『霊格』の向上」に関しましては、
をご覧頂きたいと思います)
(完)
2013年02月04日
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