Vol.120 年の初めに思うこと  ———「日本の大転換」に向けて

[その他スピリチュアル分野]

昨2011年は本当に大変な年でした。

しかし、千年に一度の大地震も、原発事故さえ無ければ、今後数十年以上も引きずるような究極の大惨事にはなっていなかったことを想起する時、人智の浅はかさ・科学技術の罪深さに身震いする思いです。


社会学者上野千鶴子先生の、叫びにも似た次の言葉に胸を打たれます。

      
    “8・15と3・11とに、日本は二度の敗戦を迎えた。

     一度めは、みずからのおろかさによって。
     二度めもまた、みずからのおろかさによって。

     そして、その両者に核エネルギーが関わり、
     ひとと国土を壊滅的に破壊した。“


                 (『脱原発を創る30人の提言』)


その「核エネルギー」に関し、思想家・人類学者の中沢新一先生は、3・11後の論考『日本の大転換』(集英社新書)において、「原発」と「一神教」と「資本主義」は実は同根であると喝破され、わが国の命運は、その根から生まれた現行文明を、仏教的な文明に大転換出来るかどうかにかかっている旨述べておられます。


この大惨事は、“「西洋近代文明」の一つの必然的結果” と捉えていた私としては、わが意を得た思いです。
 

       (そのことにつきましては、震災10日後に記しました、
        “東北関東大震災を機縁に、「新文明」の模索を!”
        ご覧頂ければと存じます)


さて昨年の年頭、私は、アンドレ・マルローの、“21世紀はスピリチュアルな時代となるであろう。さもなくばそれは存在しない” になぞらえ、


     “21世紀の日本人は再びスピリチュアルになるであろう。
     そして世界を変えてゆくであろう。
     さもなくば日本人も、そして21世紀も存在しない“


と記しましたが、震災を契機に私たち日本人は間違いなくスピリチュアルに戻り始めたと強く感じています。

昨年の漢字に、圧倒的多数で『絆』が選ばれたことが、そのことを端的に示していますし、GNH(国民総幸福度)で知られるブータン国王夫妻の来日・福島訪問もあって、人々は『真の幸福とは何か?』を問い直し始めたように見受けられます。

また、震災に加え、9月には台風による豪雨災害などもあり、自然に対する畏怖・畏敬の念があまねく復元しつつあります。

そうした状況下、大晦日のNHK紅白 “あしたを歌おう” では、深く心にしみ入る曲が例年にも増して数多く歌われていた気がします。


昨年は正に、『スピリチュアル復活元年』でありました。


       (尚、上記私の昨年の年頭の思い、
        “21世紀Second decadeの始まりにあたって“ は、
        近代のこと、21世紀のこと、わが国の可能性などに関し、
        私が強い共感を覚えた次の方々の言葉を転載したものです。

             (記載順・敬称略)

        梅原猛・山折哲雄・天外伺朗・伊東光晴・町田宗鳳・
        渡辺京二・寺島実郎・清水博・五木寛之

        震災後の今、それらの言葉は一段と胸に迫ります)


さてしからば、『スピリチュアル復活2年目』の今年、最も大切なことは何か?


私は、『復活元年』に感じたこと、考えたこと、願ったことなどを決して忘れず、その思いを深化・発展させて行くことであろうと思っています。


『瞬間菩薩』という言葉があります。

ある瞬間には、優しい気持ち・仏の心が芽生えても、すぐ元に戻ってしまうことを指しますが、同様に私たちは『瞬間スピリチュアル』であってはなりません。


顧みれば、17年前の「1・17神戸」の時は、私たちはおしなべて『瞬間スピリチュアル』であったと言えますが、日本人が、中沢新一先生の言われるような「文明の大転換」を成し遂げ、世界を変えてゆくためには、『スピリチュアルの持続』が必要不可欠と信じます。

今年もまた、わが国にのみならず世界的にも政治が漂流し、政府と国民はますます離反して行くものと想像されるだけに、国民一人一人が自立した『気高い精神性(スピリチュアリティー)』を涵養し開花させて行くことは一層重要と考えています。

その為には、つとめて動物や植物、自然と親しみ、「命」の尊さ・はかなさを体感しつつ、『共生感』を取り戻すことが肝要です。


そしてその観点から、大自然と文字通り一体となって心豊かに暮らしていた、アイヌやアメリカン・インディアンなど先住民の方々の思想・文化に改めて触れ、学ぶことは、震災後の私たちに新たな気付きと示唆をもたらしてくれ、極めて有意義と考えます。

アイヌ文化につきましては、財団法人アイヌ文化振興・研究推進機構のサイトが先ずはお奨めです。
私もささやかながら同財団の賛助会員の一人です。


本稿の締めくくりとして、以下に天才アイヌ少女、知里幸恵(ちりゆきえ)さんの、祈りにも似た切々たる名文の願いを転載します。


彼女は1903年(明治36年)北海道登別生まれ、15才で民俗学者金田一京助と出会い、アイヌ民族の文化・伝統を後世に残すべくカムイユカラ(口承叙事詩)の日本語訳に取り組み、『アイヌ神謡集』を編纂、しかしその校正終了直後の1922年9月(大正11年)金田一邸で急逝、享年19才。
言語学者で(元)北大教授の知里真志保氏(1909〜1961)は実弟。


以下は、1923年8月に出版された、その『アイヌ神謡集』の序文で、1922年3月に書かれたものです(現代仮名遣いに直しました) 


 
          ——————————————————


                 序

 
其の昔此の広い北海道は、私たちの先祖の自由の天地でありました。天真爛漫な稚児の様に、美しい大自然に抱擁されてのんびりと楽しく生活していた彼等は、真に自然の寵児、何と云う幸福な人だちであったでしょう。


 冬の陸には林野をおおう深雪を蹴って、天地を凍らす寒気を物ともせず山又山をふみ超えて熊を狩り、夏の海には涼風泳ぐみどりの波、白い鴎の歌を友に木の葉の様な小舟を浮べてひねもす魚を漁り、花咲く春は軟らかな陽の光を浴びて、永久に囀づる小鳥と共に歌い暮して蕗とり蓬摘み、紅葉の秋は野分に穂揃うすすきをわけて、宵まで鮭とる篝も消え、谷間に友呼ぶ鹿の音を外に、円かな月に夢を結ぶ。嗚呼何という楽しい生活でしょう。平和の境、それも今は昔、夢は破れて幾十年、此の地は急速な変転をなし、山野は村に、村は町にと次第々々に開けてゆく。


 太古ながらの自然の姿も何時の間にか影薄れて野辺に山辺に嬉々として暮らしていた多くの民の行方も又何処。僅かに残る私たち同族は、進みゆく世のさまにただ驚きの眼をみはるばかり。而も其の眼からは一挙一動宗教的観念に支配されていた昔の人の美しい魂の輝きは失われて、不安に充ち不平に燃え、鈍りくらんで行手も見わかず、よその御慈悲にすがらねばならぬ、あさましい姿、おお亡びゆくもの・・・・・それは今の私たちの名、何という悲しい名前を私たちは持っているのでしょう。


 其の昔、幸福な私たちの先祖は、自分の此の郷土が末にこうした惨めなありさまに変ろうなどとは、露ほども想像し得なかったのでありましょう。


 時は絶えず流れる、世は限りなく進展してゆく。激しい競争場裡に敗残の醜をさらしている今の私たちの中からも、いつかは、二人三人でも強いものが出て来たら、進みゆく世と歩をならべる日も、やがては来ましょう。それはほんとうに私たちの切なる望み、明暮祈っている事で御座います。


 けれど・・・・・・・愛する私たちの先祖が起伏す日頃互に意を通ずる為に用いた多くの言語、言い古し、残し伝えた多くの美しい言葉、それらのものもみんな果敢なく、亡びゆく弱きものと共に消失せてしまうのでしょうか。おおそれはあまりにいたましい名残惜しい事で御座います。


 アイヌに生れアイヌ語の中に生いたった私は、雨の宵雪の夜、暇ある毎に打集うて私たちの先祖が語り興じたいろいろな物語の中極く小さな話しの一つ二つを拙ない筆に書連ねました。


 私たちを知って下さる多くの方に読んでいただく事が出来ますならば、私は、私たちの同族祖先と共にほんとうに無限の喜び、無上の幸福に存じます。

    大正十一年三月一日
                      知 里 幸 恵


         ————————————————————

                            (完)

2012年01月05日

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