Vol.117 東日本大震災に思う(その7)                 ———原発問題に関する旧友からの「怒りのメール」ご紹介

[その他政治・社会分野]

立冬も過ぎ、大震災後はや九ヶ月目に入りました。
東北の厳しい冬がまたやってきます。

被災された方々、原発事故によりいまだ避難生活を強いられている方々に、改めて心からお見舞いを申し上げます。

  
     
     (大震災についての私のこれまでの思い等は、以下の通りです)


      3月21日 “東北関東大震災を機縁に、「新文明」の模索を!”

      4月17日 “「脱原発」を決断し、「電力多消費文明」との
             訣別を!
                 ——東日本大震災に思う(その2)“

      4月26日 “東日本大震災に思う(その3)
             ——原発事故に関連しての二つの声明文ご紹介“

      6月11日 “東日本大震災に思う(その4)
              ——「科学技術」と「歴史の進歩」について“

      7月9日  “東北から「日本仏教=日本の心」を国中へ再び!
             そして世界へも!
                    ——東日本大震災に思う(その5)

      7月24日 “天外伺朗さんの描く「100年後の東北・日本」
             ご紹介    ——東北大震災に思う(その6)“


さて、この間のわが国の政治は、「目立ちたがり屋の市民運動家」からまるで成長していなかった菅首相の失政・政治空白・後継野田政権の、自民党もビックリの「属米路線」への急傾斜等々、ここ数年続いている『政治の漂流』は、ますます深みにはまりつつありように思えます。


ただ、目を海外に転じましても、欧州危機・オバマの失墜・反格差デモの世界的広がり・ドル、ユーロの凋落等々、『政治の漂流』はわが国と大同小異と見受けられます。


一体なぜそういうことになっているのか?


私は、その根本原因は、「資本主義」が冷戦終結後、誰はばかること無く暴走・拡大を続け、今や制御不能に陥っているところにあると考えています。

マルクス流に言えば、「制御不能の下部構造(経済)が、上部構造(政治)を『漂流』させている」ことになります。

昨今の世界的な『政治の漂流』が問うているのは、「資本主義」そのもの、更に言えば「近代という時代」そのものであろうと考えているところです。

      (因みに、私は、Vol.114 “この世の「因果」に思う” に
       記させて頂きましたように、「ポスト近代」の経済は、
       「資本主義」と「マルクス主義」とをアウフヘーベンした、
       「幸福主義経済システム」によって運営されているものと
       想像しています)

さて、話しは大震災に戻りますが、過日私の三井物産時代の同僚である齊藤紀夫氏から、原発事故にからんで「怒りのメール」が届きましたので、ご本人の了解を得て、以下にその中核部分を転載させて頂きます。


氏は、フランス留学を経て、ベルギー・イタリア両国にも勤務の欧州通ですが、ミラノ在勤時にチェルノブイリ事故に遭遇、牛乳・野菜等、特に3人のお子さんの食材に日々心労を重ねられた体験をお持ちです。


(尚、上記3月21日付けの “東北関東大震災を機縁に、「新文明」の模索を!” に記しましたように、私は、チュルノブイリ事故発生時モスクワに在勤中であり、氏と私は、「原発事故体験」を共有しています)

以下がその「怒りのメール」です。

「事故体験者ならではの熱い思い」と私は受け止めています。

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              (前略)

 
     事故発生後八ヶ月が過ぎた現在も、除染問題を含め一向に終息の目途は立たず、発生原因の究明も未完の状態でありながら、一部の政治家・地元自治体・原子力学者・マスコミなどが、相も変わらず『無節操な原発推進』から一向に転向しようとしないのは、まともな国の、まともな考えの人間であるとは到底考えられません。
 

福島の児童は、未だ満足に屋外にも出られず、マスクをかけながら通学している現状を彼ら推進一派はどう理解しているのでしょうか?

目の前の金・利権に囚われ、将来の子孫が放射能に晒されるリスクを無視したまま、一向に方針を見直そうとしないのはとてもまともな思考の持ち主だとは思えません。 

  
 
     大震災発生直後、海外では日本国民の冷静沈着な対応に称賛・驚きの声が上がりましたが、いつまでも冷静に対応する・おとなしいだけが良いのかどうか、今の時点では疑問に感じられます。

福島の被害住民を筆頭に、我々は東京電力や国に対し、『もっと激しく怒るべき』と信じます。


     今日この日も引き続き放射能物質がばら撒かれていることを、どの程度の国民が認識しているのでしょうか?


逆の意味の「報道の自由」——即ち『報道しない自由』——を享受する日本の主要マスコミの影響もあるのでしょうが、国民は本件の実態を知るべく、もっと当事者意識・危機意識を持っていろんなアンテナをめぐらすべきであり、それだけの価値はあると確信します。
 
報道が本来の機能を十分には果たしていないことで、どうも無関心過ぎるのではないのか、と懸念しております、、、、防衛・領土問題を含め。

     海外では ヒロシマ、ナガサキと並び、『フクシマ』が歴史に名を残すようですが、原爆・原発被害国から今や『放射能加害国』となったことを、もっと国民全員が認識すべきではないでしょうか。 
 

日本では、東の風が吹けば放射能物質は太平洋に行ってしまうので問題解決とも捉えられていますが、東方に流れれば ハワイ・米国西岸に、更には微量ながらアルプスまで到着することに考えが及ばないのは甚だ自己中の考えというもので、国際的にはとても許されないないことでしょう。

先般の国連でも、残念ながら野田新首相は放射能を世界に撒き散らしたことを謝罪したとは報道されていないことからも、この国の問題意識の欠如が分かるというものです。


 
    
     被災者を自宅に戻す・戻れる云々も理解できますが、ヒロシマの20倍以上の放射能物質が拡散し、今や『汚染列島』と云われても仕方がないのが現状であり、まことに遺憾ながら半径20kmどころか80kmでも半永久に居住不適な土地となったのではないかと危惧しております。


 
     原発稼働率が30%だから原発は不可欠だ、さもないと企業を含め大幅な節電を強いられることになるというのも、営利企業たる発電業者の一方的な言い分でしょう。

原発は鉄鋼産業の高炉と似ており、一旦停止させるとすぐには稼働させられないが故に、昼間のみならず夜間も稼働させておく必要があることから、数字上では原発30%となる訳です。

しかしながら、LNGガスタービンの増設に加え、休止中の火力・揚水発電所を稼働させれば、東電管内で実施された計画停電も実際は不要であった、というのが実情です。
 
即ち、原発が全て停止しても、電力供給力に致命的な問題は生じないというのが今回学び取った結論と考えています。


     また、原発はコストが安いというのは、推進論者のいわば『でっち上げ』であり、遠隔地から電力を供給するための長い送電線コスト、使用済み核燃料の万年単位での処理費用、更には地元自治体への懐柔費用(協力金支払い)、原発を動かすために必要不可欠な電力代を考慮しただけでも、とても安いコストとは言えず、また本来であれば毎年度引当金を計上すべき今回のような膨大な補償金や廃炉費用を加味すれば、コストは断然高く、とても経済的とは言えません。

万年単位を要する使用済み核燃料の処理・保管問題、今回のような汚染土壌処理問題に加え、使用済み核燃料の最終処理場も未定です。

 
    
      万一の場合 『人間が管理不能となるリスクを包含している』原発を保持し続ける意味は、一体どこにあるのでしょうか。  


     一挙に全原発停止とは言わないまでも、これからは新規設置を一切認めず、30年超のものから順次廃炉に持ちこんで行きたいものです。

 

     今回の事故発生までの、こうこうと照らす明る過ぎる照明(無駄使い)を反省し、節電継続・省エネ製品の開発拡大に努めれば、北海道の冬も、来年の盛夏も乗り切れるはずと信じます。 

 


     どなたかが言われた如く、この未曾有の事故を踏まえ、これからの我国は、1960年代から長く続いてきた経済大優先・仕事一筋の『父性社会』から、人にやさしい・本来の人間らしい生活が出来る『母性社会』に転換すべきではないのでしょうか。

経済が或る程度犠牲になり、国力が多少衰えたとしても、その方が住環境・食料に日々心配しながら生活していくよりも、はるかに賢明であると信じる次第です。

               (後略)

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                               (完)

2011年11月15日

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