Vol.110 東日本大震災に思う(その4)                  ーーー「科学技術」と「歴史の進歩」について

[その他政治・社会分野]

大震災から今日で丁度3ヶ月。

被災者の方々の生活再建はおろか、がれきの撤去すら遅々として進まず、一方、福島原発は収束の見通しがいまだ全く立っていません。

政治の混迷・非力と、科学技術の無能ぶりには強い憤りを覚えます。

    


      (尚、大震災に関しこれまでに記しました私の思いは次の三つです)
       

       3月21日  “東北関東大震災を機縁に「新文明」の
              模索を!“

       4月17日  “「脱原発」を決断し、「電力多消費文明」との
               訣別を!
                 ——東日本大震災に思う(その2)“

       4月26日  “東日本大震災に思う(その3)
                 ——原発事故に関連しての二つの声明文
                  ご紹介“ 

   

さて私は、上記中にも記しましたが、「近代」という時代は、「人間の欲望」と「資本主義」と「科学技術」とが『三位一体』となって、人類史上稀有の物質的進歩・発展を遂げた時代と位置づけていますが、

福島原発の現状を見るにつけーーー即ち、住み慣れた故郷から強制的に退去を命ぜられ、いつ戻れるのか、本当に戻れるのか全くわからないという、この上ない不条理な苦痛を強いられている多くの方々を目の当たりにするにつけーーー、

この『三位一体』の罪深さに身震いする思いです。


「近代」は人間を本当に幸せにしたのか? 深く考えさせられます。

「科学技術」と「歴史の進歩」に関し、阪大理学部出身の哲学者市井三郎先生(1922〜1989)は、次のように述べておられますが、私は今改めて、その言葉の重みを噛みしめています。


    “科学・技術の進歩それ自体は、けっしてそれだけで歴史の進歩とは
    いえません。

    科学・技術の進歩がもたらしうる苦痛が減らされてこそ、人間の
    歴史は進歩したといえるのです。“

          (『思想からみた明治維新:「明治維新」の哲学』)


    “人間の諸社会をすべて含んだ人類の全体の歴史について、なおも
    「進歩」がなされたといえるような可能性は、したがってつぎの
    ような場合に限定されてくるだろう。

    つまり他集団へ災厄をもたらさないような科学技術上の進歩と、
    自滅をもたらさないような倫理的尺度上の進歩とが、期せずして
    調和的に実現したといえるような場合(可能性)である。“

                (『歴史の進歩とはなにか』)

今回の大惨事を契機に、科学技術がもう一段進化し、『人に不条理な苦痛を与える可能性が少しでもあるような発明・発見・技術は決して実用化しない、世に出さない』という当たり前の大原則が徹底されることを強く願うものですが、しかし前記のごとく科学技術は、人間の飽くなき欲望並びに商業主義と固く結びついていますので、その制御は「言うは易く」であると考えられます。

従ってここはやはり「政治の出番」ということにならざるを得ませんが、その政治がこの体たらく、、、、

何ともいえぬ絶望感に包まれる昨今です。


     
       (尚、「科学技術」に関する私の懐疑的な思いは、昨年一月の
        鳩山首相施政方針演説を受けて記しました

          Vol.92“「科学技術の進歩」について思うこと” を
     
        ご参照頂ければと思います。

        末尾に「科学技術と政府の役割」に関するイギリスの
        社会学者アンソニー・ギデンスの発言を紹介しています)

                         (完)

2011年06月11日

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