Vol.107 「脱原発」を決断し、「電力多消費文明」との訣別を!              ——東日本大震災に思う(その2)

[その他スピリチュアル分野]

東日本大震災(東北関東大震災)から既に一ヶ月以上が経過しました。

しかし、余震は引きも切らず、福島原発はその日暮らしの綱渡り対応、復旧・復興作業も遅々として進まず、何ともやるせなく落ち着かない毎日です。

引き続き劣悪な環境での暮らしを余儀なくされている方々、ご家族がまだ不明の方々、必死に救援活動をされている方々、その他関係の方々に改めて心からお見舞いを申し上げます。


      (大震災の10日後、私は、Vol.106“東北関東
       大震災を機縁に、「新文明」の模索を!”
と題する
       思いを記させて頂きましたので、今回のこの文を
       『東日本大震災に思う(その2)』とさせて頂きます)


さて世界は今、未曾有の天災と、原発事故という犯罪的人災に見舞われながらも、忍耐強く道徳心高く行動している私たち日本人を驚嘆と称賛の眼差しで見つめています。


(対照的に、日本政府への信頼が国際的にも大きく失墜してしまったことは本当に嘆かわしき限りですが)


そして、私たちに対する世界の次の関心は、

  『あれほど精神性の高い日本人は、はたして今後「原発」を
   どうするつもりなのか?』

に移って行くものと考えています。

具体的には、日本人はこれを契機に、

  “「脱原発」に大きく舵を切り、「電力消費の少ない社会」を
   目指し一歩踏み出すのか?”

あるいはまた

    “持てる技術を総結集して、より安全な「原発システム」を
   作り上げ、それを世界にも広めてゆく道を選ぶのか?“

のいずれの道を歩むのかということですが、世界に再び驚嘆と称賛を与えるのは前者の道であることは間違いありません。


そしてそれは、(決して誇張ではなく)人類が、新しい時代・新しい文明に踏み出す大きなきっかけを私たち日本人が作るとことに他ならないと捉えています。

さて私は、上記Vol.106に記しましたように、近代以降、「人間の飽くなき欲望」と「科学技術」と「資本主義(商業主義)」の三つは、強固なトライアングルを形成し、止めどなくスパイラル回転を続けていると位置づけています。


そしてそのスパイラルのお蔭で、「経済」は成長し、「モノ」は豊かになり、本当に「便利」な世の中になりましたが、結果として電力需要は増え続け、遂には原発に頼らざるを得なくなってしまいました。

「近代文明」が「電力多消費文明」と呼ばれる所以です。


しかし、「モノ」が豊かになる一方で、心は常に追いかけられている感じで少しも豊かにならず、地球環境は大きく傷ついています。


何とかしてこの悪しきスパイラルから脱却したいところですが、「欲望」と「科学技術」と「資本主義」の三つは強い共依存に陥っているだけに、外部からよほどの強い力、ショックでも無い限り、自ら変わることは出来ず、このままでは破滅に向かってひたすら進んで行くものと考えています。


      (この点、Vol.55 “『煩悩』と近代社会”
       併せご参照頂きたいと思います)

その観点から眺めますと、今回の大事故で東電管内だけでも1,000万キロワット近い電力が突然喪失し、いやが応でも使えなくなったことは、不謹慎な言い方にはなりますが、上記止めどなく悪しきスパイラルと訣別する願っても無いチャンスであり、天佑とも言えます。


この際政府は、「脱原発」を一刻も早く決断し(具体的には原発の新・増設を一切放棄することを内外に宣言すると共に、既存原発でも危機想定の甘いものは直ちに操業停止)、その上で、スマートグリッドと一体となった発電の分散化・小型化に急いで取り組む一方、国民に対してはライフスタイルの抜本的変更を訴え、電力消費の大幅削減を要請すべきと考えています。


もっとも、原発の新・増設は、仮に政府・関連業界が望んでも、またいかなるアメとムチを用いても、もはや受け入れる地元は現れないと思われるだけに現実問題としては不可能であり、その点、米軍の辺野古移転と同じ状況と言えます。

私は、そういう状況を的確に認識して早期に決断を下し、率先して対応行動を取るのが真のトップリーダーと考えています。

辺野古問題への対応もまた然りです。

「モノが豊かで便利な時代」から「心の豊かな時代」へ、「経済成長」より「心の成長」を尊ぶ時代へ、世界に「原発」を輸出する国から、世界に「豊かな心」、「新しい文明」を輸出する国へ!


もちろん「新しい文明」の具体的青写真は簡単には描ききれませんが、ここは覚悟を決め、日本人の智慧と伝統と底力を総結集して、海図なき大航海に漕ぎ出すべきと考えています。

そしてそれが、今回の大災厄により尊い命を落とされた何万という方々への最大の供養になるものと固く信じています。

結びにあたり、『便利なモノは、必要がないものである』と喝破された哲学エッセイスト、(故)池田晶子さんの言葉を記し、本稿を終えさせて頂きます。


     “外界の拡張、外界への欲望は、いいかげん、もういい
     のではなかろうか。

     人類はそろそろ、そのことの無意味と、内界の意味に、
     気づいてもいいのではなかろうか。“

       (「魂を考える」のなかの “便利の心得” より)

            (尚、池田晶子さんに付きましては、
              2年前に記しました
              “池田晶子さんの三回忌に思う”
              併せご参照頂ければと思います)

                       (完)

2011年04月17日

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