Vol.101 「不殺生戒」を今あらためて(その2)          ーー裁判員裁判初めての死刑判決に思う

[死刑制度関連]

“「不殺生戒」を今あらためて” と題する思いをこの場に記しましたのは、6年近く前のことです。


     (「不殺生戒」とは、一般の人々が守るべき仏教の五つの戒め
      —五戒—の最初のもので、「殺すなかれ」という教えです)
     
      
その結びとして私は、

 
  “世界中で、特に9.11以降、「人間の命」が本当に軽くなってきています。
  明らかにに何かが狂い始めていると思わずにはいられません。

  「生きとし生けるものの命は等しく重い、一匹の虫も殺すな」という
  お釈迦様の教えが、今あらためて求められていると考えています。“


と記しましたが、その思いをますます強めています。


人々が、そして社会や国家が、「命」をもっともっと大切にするようになり、人間はもとより、動物や植物もみだりに殺されることがなくなれば、「生物多様性」(Biological diversity, Biodiversity)は自ずと確保され、地球環境も大きく改善するものと考えています。


さて、ここからは我が国の死刑制度に関してです。


一昨日11月16日、裁判員裁判初めての死刑判決が出されました。


「死刑の宣告」は、プロの裁判官にとっても生涯引きずる重荷とのことです。

ましてや一般市民が、目の前の人を殺す決断をするのは想像を絶する苦役であり、裁判員の方々の心理的重圧とトラウマは計り知れないものと考えられます。


    (今回、判決後の記者会見に6名の裁判員のうちただ一人しか
     出席されなかったことがそのことを如実に物語っていますし、
     また裁判長が、被告に控訴を勧めるという異例中の異例の発言を
     されたのも裁判員の方々の苦悶を受けてのことであろうと
     考えられます。

     またこれは、憲法18条が禁止する「意に反する苦役」を裁判員
     に強いるものではないかとの指摘もなされています)

     
もし「死刑」という刑が我が国に存在しなければ、一般市民が「殺生」に加担しなくても済んだ訳であり、何ともやり切れない思いです。


     (尚、死刑対象事件は裁判員裁判から除外すべしとの意見も
      出始めていますが、この制度の趣旨に照らせば、最も重大な
      裁判を除外するのは、本末転倒と言わざるを得ません)


他方、特に裁判員裁判が始まって以降、殺人事件被害者遺族の方々の、『被告を死刑にしてほしい!』という悲痛な叫びがより大きく報道されるようになってきています。

ご遺族のお気持ちは十二分に理解できますし、そのお気持ちを責めることは出来ません。

しかし裁判員裁判では、それは一般市民に向かっていわば「殺人」を依頼することであり、これまた何ともやるせない展開と言えます。


もし「死刑」という刑が存在しなければ、ご遺族が一般市民をも巻き込んでまで「殺生」に加担することはないだけに、「死刑」とは何とも罪作りなものと断ぜざるを得ません。


さて目を世界に転じますと、先進国のなかで、国全体として「死刑」が残っているのは我が国だけです(アメリカでは12の州とワシントンDCで廃止済み)。

アジアのなかでも既にフィリピン・カンボジャ・ネパール・ブータン・東チモールは廃止済み、韓国・ブルネイ・ミャンマーも実質的な廃止国に認定されています。


「死刑廃止」は間違いなく世界の潮流であるなか、我が国では死刑求刑が予想される裁判員裁判が目白押しの状況ですが、今回の判決を契機に、死刑の存廃についての国民的議論が一挙に高まることを大いに期待をするものです。


Vol.37 “「美しい国」なら死刑の廃止を!” のなかに記しましたように、フランスでは1981年、時のミッテラン大統領が、60%を超す世論の反対を押し切って死刑廃止を決断しました。


我が国のトップリーダーもまた、「不殺生戒」を胸に、この問題について明確なリーダーシップを発揮して欲しいと願うや切です。


      (尚、死刑制度に関する私の基本的な考え方は、7年近く前に
       記しました Vol.5 “死刑を廃止し、終身刑の創設を” を
       ご参照頂きたいと思います)
                             
                              (完)

2010年11月18日

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