Vol.95 この世に偶然なし(その2)
Vol.1“この世に偶然なし”は、この場に私が記しました最初の想いです。
爾来6年半、益々その想いを強めていますが、ではいったい、偶然(と思えるような出来事)は、なぜ起きるのか?
大別すれば、次の三つの考え方があると思っています。
(1) 全ては絶対的な何らかの存在によりもたらされると考える立場。
——この場合、その存在を「唯一絶対の人格神」と捉えるのが
ユダヤ教・キリスト教・イスラム教であり(唯一神教)、
自然神も含む「もろもろの神々」と捉えるのが多神教という
ことになります。
(2) 偶然は決して「神」など第三者によるものでは無く、
ある「因縁」——原因と機縁(きっかけ)——によって必然的に
生ずると考える立場。
——この場合の「因縁」は、近代科学の外側に位置する
ものであり、いわゆる「科学的因果律」とは全く別物です。
(3) 上記(1)も(2)も考え過ぎであり、非科学的。
偶然は文字通り単に偶然起きているに過ぎないものであり、そこに
何ら理屈や背景は無いと考える立場。
——私はこれを「科学原理主義」と名付けています。
近代以降、特に先進国では三番目の「科学原理主義」が勢いを増しています。
しかし科学は、『自分はなぜ今、この国に、この両親のもとに生まれてきたのか?』という問いに対し答えが出せないことからも分かるように、対象とする範囲が狭く、決して万能で無いことを十分認識する必要があると思っています。
(尚、この点に関しましては、Vol.7“「近代合理主義」の
功と罪” も併せご一読賜ればと存じます)
一方、一番目の考え方、特に「唯一神教」の考え方は、本質的に排他的・独善的・攻撃的になる傾向を有しており極めて危険と言えますが、科学の洗礼を受けた「近代人」は、もはやなかなか「人格神」を信じられなくなっていることも事実です。
やはりここは、『全ては「因縁」による』と考えるのが最も自然と思っています。
「因縁」には、もちろん前世(他生)の縁もありますが、前世の縁はそのまた前世の縁、更にそのもう一つ前の世の縁、、、、と連綿と繋がっています。
従って突き詰めれば、偶然を含むこの世の事象の全ては、宇宙誕生以降百数十億年間のもろもろの「因縁」の反映であり、必然的結果であると考えられます。
そしてそれは「縁起」という仏教の根幹思想に通じる考え方とも言えます。
ところで、vol.91 “「魂」には、善も悪も、真も偽も埋め込まれている!” に記しましたように、私たちの「魂」には、宇宙の始原からその消滅までの全てが埋め込まれています。
即ち、「魂」は、全ゆる「因果」——因縁と果報——を知っていることになります。
さすれば、「魂」は、その気になれば偶然を現出させることもたやすく出来るようにも思われます。
『偶然をもたらすのは実は私たちの「魂」』、『偶然は「魂」の産物』という想いに強く惹かれます。
(完)
2010年05月04日
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