世界を再生させる日本文化と禅
[土居 征夫]
20世紀の日本や世界では、法律や技術が人間の行動の基本となり、経済と軍事の力が世の中を動かした。
手段としての「知識」が重視され、人間行動の根底を支えるべき「叡智」が忘れられてきた左脳優先の時代であった。
以下、日本文化を支える禅を一例にとり、それがどのように日本人の叡智を育んできたかを見、叡智と知識の違い、知識優先で叡智が枯渇気味となった明治から昭和にかけての時代を概観した上で、叡智の再活が如何なる意味で21世紀の世界の再生に貢献することになるかに言及してみたい。
1. 日本文化のすばらしさと禅
ーーー禅と日本文化
(“禅へのいざないーその(二)”をご参照下さい)
ーーー禅の歴史(曹洞と臨済、白隠と日本禅の開花)
禅の系譜は釈迦に始まる。
釈迦(ゴータマ・シッダールタ)の悟りはインドにおいて28代目の菩提達磨まで伝えられ、達磨は中国に渡って中国禅は五家七宗に広まった。
栄西と道元によって日本に伝えられて以来、日本文化の形成に影響を与えつつ今日に至っている。
臨済系では日本禅の中興の祖は、なんと言っても江戸中期の白隠禅師であろう。
釈迦に発する仏教は、北方は大乗系となり中国、日本に、南方は小乗系となりスリランカ、東南アジアに伝わった。
それぞれ色々な宗派を生み、大乗系も今日の日本には天台、真言、浄土等の諸宗派として伝播している。
日本では宗派としての禅宗はその一つとして位置付けられているが、実は禅は仏教の各宗派に共通する釈迦以来の真理を伝える手法=要素を有しており、いわば仏教の根源と言っても過言ではない。
例えば、天台宗の修行の基本である「小止観」や「摩訶止観」、真言宗の「阿字観」、浄土宗の念仏等、呼吸や発声に意識を集中するという点で全て禅と共通する行法と言える。
ーーー只管打坐による真理の直観
大学生の頃に吉祥寺の井の頭公園に近い武蔵野般若道場という禅堂で坐禅をしていた時期があり、数年前に禅の指導者(師家)となっているその時の同僚(釈迦牟尼会の山本龍広師)に再会した。
ここ2年ほど彼の指導のもとに坐禅を再開しているが、改めて只管打坐のすばらしさに魅せられている。
禅は、足を組んで坐り身体を調えること(調身)と、呼吸に専念することにより心を調えること(調心)から始まる。
調心の手段としては数息観(呼吸の数をかぞえる)や随息観(息の出入りに集中する)から入る。規則的な呼吸を行うことにより、三昧(サマーディ)の境地に達する。
それだけで、身体的には丹田が暖かくなり、自律神経は活性化する。
摂心会のように終日坐り続けることにより、すばらしい心的境界が開けるとともに、環境変化に動じない定力(禅定力)がついてくる。
意識は、鈴木大拙師の言う宇宙的無意識にまで広がり、真理の直観(気付き=悟り)を体験する。
ーーー公案禅による意識の深化
曹洞禅は、このような只管打坐を重視するが、臨済禅はこれに加えて公案の問答をも重視する。
公案は、只管打坐で得られた境地を、色々な角度からテストし、小さな自己の壁に戻りがちな心を宇宙的霊性の自覚にまで向上させる手段であるとされる。
私が参加している(宗教法人)釈迦牟尼会は専門の僧堂ではなく、一般人に開かれた所謂「在家禅」の会である。
現在の山本会長は会発足以来四代目になるが、白隠禅師の法系を継ぐ正規の師家である。
師家に弟子入りすると、数息観や随息観の指導を経て、公案が与えられるが、最初は「無字」の公案である。
「無門関」という禅書の第一則にあり、「趙州(じょうしゅう)無字」の公案ともいう。内容は、趙州和尚にある僧が「狗子(犬)には仏性が有るのか無いのか」と問うたところ、和尚は「無(む)」と答えた、この無に参じよというものである。
吐く息も「ムー」、吸う息も「ムー」と自己を忘じていくと、虚無の無ではない、有無の無でもない、それらを超えた宇宙的な自己(これを法身という)が顕現してくる。
公案には、その他「碧巌録」等中国の禅書からのものも多いが、白隠禅師等が創出した日本的な公案も多い。
白隠の「隻手音声」は、両手で叩けば音がするが、片手の音はどう聞くかという問いである。
頭で考えても回答は得られず、坐禅の中で全身全霊で「隻手」に参じていく他に方法はない。そうすれば何時か「隻手」の音が聞こえてくる。
公案の目的は、只管打坐で得られる宇宙的霊性を、色々な角度から検証し、より確かなものに高めていくための手段と理解される。
2. 叡智と知識の違い
ーーー英米文化の叡智
以上、若干禅の話に深入りしたかも知れないが、言いたかったのは禅の究極の狙いが人間の叡智の開拓と発露にあるということである。
ここで言う人間の「叡智」は宇宙的直観をベースとする点で、ルール・論理をベースとする「知識」とは次元の全く異なる概念である。
ソニーの研究者茂木健一郎氏は、「人間の知性は、ルール・論理で書けるものではなく、強いて言えば直感としか言いようのないものが先にある」として、英国のエリートの卓越した創造性と自由豁達な発想に言及した。(平成14年9月、経営文化フォーラムでの講演)
氏のケンブリッジ大学留学中の出来事として、指導教授が毎日机上に溜まっている手紙や資料を、次々と処分していくその判断のダイナミックさに驚かれたと言う。
まさに直感による処理であり、結果的に誤りのない判断力が発揮され、書類が瞬く間に整理されるのは驚異であった由である。
氏は日本人のルール・論理に頼る硬直的な発想を否定して次のように述べる。
「日本のエスタブリッシュメントの在り方を見ていると
ルール・ベースのように見えるわけです。
・・(最近の原子力発電事故に言及して)・・・このひび割れは
どのくらいシリアスな問題なのかということは専門知識が
あっても解らないこともあるわけです。
・・そのときの判断と言うものは実は予めルールでは書けない
ものであるということは私などは脳科学をやってきた中で
持っている直感なのです。
ところが日本のマスメディアの報道の押さえ方というのは
全部ルールで書き尽くそうとするわけです。
なにか事故報告規定というのを作って、こういう時はこうしろ
とか。
そんなことは出来るはずが無いというのが数十年にわたる
人工知能研究における苦い経験なのです。
臨機応変の判断というものを予めルールで縛るということは
実は出来ないということが、人工知能研究を必死にやった結果
の教訓なのです」
「IBMのディープブルーというコンピュータがチェスで人間の
チャンピオンを破ったというニュースがありました。
これは人工知能がついに人間と同等のレベルとなったと
考えがちなのですが、実は人工知能の研究者はこの結果に非常
に落胆したわけです。
このコンピュータのプログラムは単なるアルゴリズムのお化け
で、人間の脳には苦手な単純作業を高速でやらせて勝ったに
過ぎなかったのです」
人間の脳のメカニズムには、ルールに書けない判断を直観する能力がある。
これが人間の叡智である。
英米法の体系は、実際の判例を積み上げて構築されているが、これは予め成文法を定めてそれで社会を律しようとする大陸法の体系と正反対である。
この英米法体系の知恵こそ人間の叡智(ルールに縛られない個々の判例)の発露の賜物である。
アングロサクソンの文化が世界をリードする所以は、ここにもあると言えるのではないか。
明治以来大陸法系の成文主義をとった日本の社会は、法学部優先のエリート支配とあいまって、形式的なルールで国民の創造性と社会の活力を殺ぐ結果となった。
国会を頂点とする日本の諸会議、諸行事の退屈な儀式化、形式重視の発想はここ百年の文化歪曲の結果とも言え、明治から昭和への転落の歴史を作ったのも人間の叡智を影に押しやった官僚主義と法匪文化の罪であろう。
ーーー禅と日本文化の叡智
「大用現前、規則を存せず」という禅語がある。
人間の叡智の「大きなはたらき」(大機大用)は自在無碍に発揮され、規則を超えて結果的に規則を外れない。
禅の公案に「婆子焼庵」という則がある。
ある老婆が長年にわたり一人の庵主を供養していたが、ある時若い女に言い含めて庵主にしっかり抱きつかせて、「さあ、どうされますか」と言わせた。庵主は「古木寒巌に寄って、三冬暖気なし」(枯れた老木が氷のように冷たい巌に引っかかったも同じだ、全身の血潮はおろか胸毛一本動くこともない)と言い放った。
老婆は女からこれを聞くや、激怒して庵を焼き払い、庵主を追い出した。
戒律を守らなくて良いということではない。人の温かみを否定するこのような心境や行為は、人間本来の生きる道に合致しないということだ。
自らの叡智以外に頼ることのできないぎりぎりの事態で、どのように行動すべきか。
予め決められたルールによることは出来ず、そこで人間の真価が問われる場面である。
茂木氏は、高年齢層の日本人は野球が好きだが、若い人は圧倒的にサッカーが好だと言う事実を挙げ、日本の若い人に期待している。
それはサッカーには、ルールでは予測し得ない千変万化の可能性、個々人のプレーヤーによる自由豁達な創造性の発揮の機会が大きく存在するからだ。
構造改革とともに日本社会の変化は始まっている。
日本は、官僚主義に毒されたこの百年の頚木(くびき)を脱して、人間の叡智を第一義とした日本文化を再生させる過程に入った。
次の世代には、必ずや叡智溢れる日本社会が復活し、そのような日本が大きく世界に貢献する日が来ることが予感される。
3. 東洋文化と日本文化に流れるもの
ーーーインドのヨガと中国の気功
禅はインドに始まって、中国を経て今では日本で最も栄えているが、ヨガはインドになお本拠があり、かの中村天風師もインドで修行して日本にこれを広めた。
いずれにせよヨガの呼吸法は、禅の呼吸法と共通したものがある。
また、最近ではインド人のマハリシが創始したTM(超越瞑想)という瞑想法もある。
私も経験したが、マントラというキーワードを個人別に与えられ、これを唱えつつ瞑想することにより、精神の安定と深い意識状態を獲得することができる。これも禅の行法と共通するものがある。
中国発の気功も、身体動作を別にすれば、呼吸法の部分は禅と同じである。
西野幸三氏の創始した西野流呼吸法も気功の一種であろう。
岡崎久彦元駐タイ大使は、数年前から気功を始め以来風邪を全くひかなくなったことから、『なぜ気功はきくのか』(海竜社)という本まで書かれている。
その岡崎氏から時々気功の指導を受けているが、丹田を中心として円を画くような丸い呼吸は、禅の呼吸と近似している。
また運動不足解消のため、自宅の近くの道場で始めた合気道(藤平光一師が始めた「心身統一合気道」)は、合気道の始祖植芝盛平だけでなくヨガの中村天風の系統も引き、また禅の山岡鉄舟の弟子小倉鉄樹(画家小倉遊亀の夫)が始めた一九会という神道の禊の修行も継承している。
ここでも呼吸法がポイントである。
このように気功や合気道は、坐禅との対比において「動禅」と位置付けることも出来よう。
ーーー老荘思想、孔孟思想、陽明学
老子や荘子を中心とする道家の思想(老壮思想)も、道(タオ)という自然の法則を基本に置くが、これは禅の空や無に近い概念である。
老荘思想に比べると、孔子や孟子の儒教は自然よりも人為に重きをおいた人間中心の思想と言え、徳や孝、仁義礼智信などの徳目を重視する。
しかし、これらの徳目の因って来るところは、人間存在の根本への目覚め、気付きによるという点で、禅における霊性の直覚と無関係ではない。
また孟子の言う「浩然の気」は後述する正気の歌につながる叡智に根ざした心の働きである。
明代に王陽明によって興された陽明学は、明治後の日本にまで大きな影響を与えたが、「人は天地の心にして、天地万物は本吾が一体のものなり」という天地万物一体論や「主観と客観が合一する」致良知の世界等、禅思想と相通ずる多くの視点が散見される。
ーーー神道
日本古来の神道の成り立ちは、人間が天地自然の姿やその日々の変化の中から、自分達の生き方を悟っていくうちに出来たものと言える。
宇宙的霊性を直覚するという一点で、禅と神道もまたあい通じるものがある。
神道については靖国神社にA級戦犯が合祀されていることが諸外国から批判されているが、これは文化に対する誤解以外の何ものでもない。
神道は、キリスト教のように最後の審判により死者を裁き天国と地獄に振り分ける宗教観には立っていない。
神道においては死者の霊は善悪を超越したものであり、善人悪人ともに等しく神となる。
「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人おや」と言う仏教(親鸞)の教えと全く共通する。日本人は日本の神である死者の霊に向かって礼拝しているのである。
フランス人オリヴィエ・ジェルマントマはその著『日本待望論』(扶桑社)の中で、友人竹本忠雄筑波大名誉教授の「何に向かって、いつまで謝罪しつづけるのでしょうか。我々が真に首を垂れるべきは、日本の神々、これを措いて何があるというのでしょうか・・・」というスピーチに心からの喝采を送っている。
ーーー正気の歌
東洋文化には二つの「正気の歌」がある。
一つは南宋の忠臣文天祥の「正気の歌」である。
その出だしは、「天地正気あり、雑然として流形に賦す、下れば則ち河嶽と為り、上れば則ち日星と為る、人に於いては浩然と曰ひ、沛乎として蒼冥に塞(み)つ」で始まり、歴史上の正気発露の例を列挙する。
例えば諸葛孔明については、「出師の表となり、鬼神壮烈たるに泣く」と称える。
日本では、幕末水戸藩の藤田東湖の「正気の歌」がある。
「天地正大の気、粋然として神州に鐘(あつま)る、秀でては不二の嶽となり、巍々として千秋に聳ゆ、注いでは大瀛(たいえい)の水となり、洋々として八州を環(めぐ)る」と詠う。
日本ではもう一つ、吉田松陰の獄中の歌がある。
「天地正気に塞がり、聖人唯だ形を踐む、・・・」として、楠正成の志、平敦盛の一の谷の笛、赤穂浪士の血等々歴史上の出来事に示された正気の発露を讃えている。
岡崎久彦氏は、前掲の書で「人間が歴史に残るような光輝を発した瞬間、その体からは気が満ち満ち溢れている」とし、「敢えて仮説を立てて説明すれば、体のまわりを強い気の場で包み、周囲にいかなる邪気がとりかこもうと、自分だけはイオンで浄化された空気の中に、富士山のように巍然として立つ」ということだと説明している。
21世紀において世界を再生させるものは、日本からそして東洋から立ち上るこの「正気」のイオンではなかろうか。
禅に代表される東洋思想に共通するキーワードは、目に見えない「気」(精神=スピリット)であり直覚により獲得される「叡智」である。
20世紀の日本においては、手段、方便としての「知識」即ち法令と技術が幅を利かせ、日本文化が育んできた叡智は影に追いやられてきた。
今時代は変わり、世界は再び日本の叡智の登場を期待している。
4. 叡智による日本と世界の再生
ーーー明治建国までの日本人の「叡智」
明治維新の志士、明治の元勲達を育んだのは、自分の頭で考え、自分の直覚で把握した叡智である。
彼らの学問は文武両道にわたったが、日本の敗戦後高山岩男京都大学教授は、
「その文の面の教育が、実に経学・史学・詩文の三位一体を
基礎とするものであった。
経学は中国の四書五経を中心とするものであるが、天下の治乱、
国の盛衰興亡の由って来る道理を明らかにするもの、
今日の言葉で言えば、政治哲学とも言うべきものであった。
史学はこの道理を具体的に実証せる歴史の学であり、史学は
一回的な出来事を叙述せるものである。
歴史を勉強するということは、単にこの一回的出来事を記憶する
というだけでなく、この一回的出来事を通じて、治乱興亡の歴史
の理(ことわり)を認識することであった」
と喝破した。
明治の元勲の大久保利通にしろ、陸奥宗光にしろ、伊藤博文にしろ皆同じであり、そのリーダーとしての見識はこのような学問修得の過程で得られた「叡智」の蓄積によるものと言っても過言ではない。
江戸城の無血開城を実現し幕末の政治をソフトランディングさせた勝海舟は、自伝「氷川清話」で自分の土台となったのは坐禅と剣術であったと述べ、「(幕府)瓦解の時分、万死の境を出入りして、ついに一生を全うしたのは、全くこの二つの功であった」と語っている。
ーーー明治から昭和に至る「知識」偏重の時代
高山教授は、明治以後の欠陥教育が国家を衰亡に導いたとして次のように述べている。
「しかるに明治維新を恙なく遂行したこの武士達が、自分達の
後継者を育成しようとして建設した高等教育からは、自分達を
たたきあげた最も大事な学問、すなわち経学(哲学)と史学と文学
とが姿を消してしまったのである。
新日本を築く政治家・行政官僚・法曹を育てるものは専ら法律学で
あり、・・・・その法学教育は、法律解釈の技術面にはしるものと
なり、・・・・法科万能、さらに法律万能の風はいよいよ勢いを
増すに至った。
明治の世において大きな過誤を犯さなかった日本が、大正より昭和
に入るや異様な道をたどり始め、軍部は人もなげな態度で暴走し、
官僚は法匪となり、政治家は達識の人少なく、かくて国史上未曾有
の失策を仕出かすに至ったのである」
法学と工学を中心とした知育偏重の教育は敗戦後も続いた。
社会生活のための技術を習得すると言う意味で、「知識」優先の時代が続いたのである。
しかも法学は明治以来ドイツを中心とする大陸法系の成文法主義であり、前述するような英米法系の人間の叡智を尊重する文化から遠いものであった。
戦後の政治家・官僚の不祥事の多発、民間企業人も含め、権力指向の強い現世主義的風潮の中で、日本文化に淵源する深い叡智は、その発露の機会を失い社会の影に追いやられてきた。
ーーー二十一世紀の日本と世界
「天上天下唯我独尊」は釈迦誕生の時の第一声と伝えられている。
世界は全て自分であるという「法身」の境界である。
しかし、これは単に自己中心の世界観を述べたものではなく、自分は自分一人のものでなく、世界に生かされている。天地万物は全て我と同根であり、自分は世界(宇宙)の一部であるという霊性の自覚を述べたものである。
「父母未生以前の自己本来の面目」と言う公案のテーマがある。
両親によってこの世に生み出される以前の自分はどう言うものであったのか。
考えてみれば、両親の前には4人の祖父母が、その前には8人の・・・と言うように遡れば2の乗数で自分の祖先が増えてくる。自分は過去からこのような膨大な数の祖先の遺伝子を引き継いで今日にあるということに思い至れば、自づから世界に対する見方が決まってくる。
人は自分の力のみで生きているのではなく、大きな宇宙の営みの中で、宇宙と共に生きていることが解って来る。
このような世界観こそ、二十一世紀の世界の再生に求められる究極の思想であろう。そしてそれを発信するのは、他ならぬ我が日本なのである。
ーーーテロ戦争、報復戦争を超えて
今や世界は、テロとの戦いの名目で、善悪二分の世界観に彩られている。
テロ国家と民主主義国家。
アラブとイスラエル。
キリスト教文明とイスラム文明。
新たな戦いの火蓋が切られつつある。
二十一世紀は、再び戦争の世紀になるのであろうか。
日本は今、この荒波の前で立ちすくみ、自らの生存を如何に確保するかで国論が紛糾している。
米国との同盟の維持も必要であろう。
我が国の防衛のための最小限の軍事力も強化しなければならない。
しかし、それと同時に日本には、人間の叡智に信頼をおいた日本文化、東洋文化を世界に発信し、世界の再生に貢献すべき歴史的使命があるのではないか。
ニューヨークの自爆テロ発生後すぐに発表された塩野七生氏の記事「日本人へ! ビンラディンにどう勝つか」(文芸春秋平成13年12月号)は、日本人にパレスチナ再建に名乗りをあげよと言う主張であるが、具体策はともかく日本人に高い志をもって世界の再生に乗り出せというメッセージと受け止めた。
これは政府の問題ではない。一人一人の日本人の志の問題である。
水面下で今日本は動きつつある。
NGOに身を投じる若い世代、シニア世代の静かな流れは日本を大きく変える潮流に徐々に姿を変えつつある。
幕末の志士で新日本の先駆者の一人、吉田松陰が残した歌「かくすれば、かくなるものと知りながら、やむにやまれぬ大和魂」は、新渡戸稲造の心を揺さぶり、今また隣国の李登輝元総統の日本への期待の言葉に引用されて、百年後の日本人の心を揺さぶり始めている。
土居征夫 ( (財)企業活力研究所理事長、 元NEC執行役員常務 )
2009年12月13日
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