Vol.80 『山見て拝み、海見て祈り、収穫良ければ感謝する、、、』        ーーーこれぞ日本の心、宗教の原点!

[その他スピリチュアル分野]

「宗教」という言葉が、悪いイメージ・危険なイメージを与えるような、私に言わせればかなり変な時代になってきています。


たしかに、オウムなどの「カルト宗教」、現世利益を追求する「力ずく」の新興宗教、あるいは「葬式仏教」、「観光仏教」と揶揄されるようになってしまった伝統的大仏教組織・寺院、、、目を海外に転ずれば、「神」の名の下に殺戮を繰り返しているユダヤ教・キリスト教・イスラム教の人々、、、、これでは誰しも「宗教」に良いイメージを抱ける筈がありません。


がしかし、「宗教」とは、大辞林によれば、

      “神仏などを信じて安らぎを得ようとする心のはたらき。
      また神仏の教え。“

であり、音楽などの芸術同様、「心の安らぎ」をもたらしてくれるものであって、本来は決して危険なものでも怪しいものでも無い筈です。

そうなってしまったのは、一人一人の心の問題である「宗教」に関し、指導者が
生まれ組織化され肥大化して行くなかで、その原点が忘れ去られてしまった為と
私は考えています。


このことに関し、私の心の師であるユング心理学者河合隼雄先生は、『こころの
時代なのか』のなかで次のように述べておられます。

    “宗教というのは、人間に内在する不安や、死の問題をどのように
    考えるか、ということを自分なりに見出そうと苦闘することから
    生まれてくる。
    
    これに対しては、古来からの宗教的天才が多くの遺産を残して
    くれている。そこには、壮大な教義や儀礼や戒律のシステムが
    ある。
    それによって多くの人が救われてきたのも事実であるし、現代に
    おいてもある程度はそのとおりである。

    しかし、宗教が教団を結成してくると、それは両刃の剣のようになる。

    教団によって守られ、信仰を同じくするものが集まって助け合う
    利点とともに、教団の組織の維持や内部の権力闘争にエネルギー
    を奪われ、本来的な宗教性が薄められる。
    その上、古い形態を守ろうとしすぎるため、現代の課題に対応する
    ことが難しくなる。“


河合先生の言葉を裏返せば、【本来的な宗教性】を維持しつつ、【現代の課題】にも対応出来る教団であれば良いことになりますが、内外を見渡してもそんな宗教
組織は残念ながら例外中の例外と言えます。

     (河合先生の、上記『こころの時代なのか』の全文は、
      Vol.53 “『こころの時代なのか』———年頭にあたって
      河合隼雄先生の14年前のメッセージをあらためてーーー“

      にあります)


一方、私が“天上界の大哲学者!” と崇める池田晶子さん(2年半前より「あの世」に移住中)は、「宗教」に関して、中学生向けに次のように解説をしています。

    “宗教そのものは、人間がこの世に存在する限り終わりになることは
    ないだろう。
    苦しみの意味、人生の意味、死後の行方や道徳を求める気持ちに、
    変わりはないからだ。
    ただ、それを、絶対的で超越的な神を「信じる」という仕方で
    求めるのはもうおしまいだ。
    もう人々は、そんな仕方では信じない。
    人類はそれなりに賢くなっているからだ。“
   
                     (『14歳の君へ』より)

     (尚、池田晶子さんに関しましては、Vol.74 “池田晶子さんの
      三回忌に思う“ 
もご一読頂ければと思います)

彼女の、『絶対的で超越的な神を「信じる」という仕方』という言葉で思い出し
ますのは、畏敬する宗教学者山折哲雄先生の、「信じる宗教」と「感ずる宗教」
という捉え方です。


以下は山折先生の著書『信仰の発見』のなかの一節です。

    “私は、ユダヤ教、イスラム教、キリスト教などは信じる宗教だと
    思っている。神は存在するのかしないのか、その存在を信じるか
    信じないかの宗教だ。

    だが、日本人の宗教、信心というのはそうではなくて、神の気配を
    感ずるか、感じないかという感じる宗教だ。

    信じる宗教に対する感ずる宗教。

    自然のなかに入って気配を感ずる。それは神の気配でもあるし、
    人間の気配でもある。あるいは動物や植物の気配という場合もある
    かもしれない。

    人間、神、仏、動物、草木がいわば一連のものとして感じられる、
    その気配を感じながら生きる、そういう信仰だ。“


山折先生のこの解説には、正に我が意を得たりという思いです。
『「感じる」という仕方で宗教と向き合う』のであれば、池田晶子さんもきっと
賛同をしてくれるものと思っています。


さて本稿のタイトル、『山見て拝み、海見て祈り、収穫良ければ感謝する、、、』は、私の友人の言葉です。

この友人は、神道の家に生まれ育ち、幼稚園は仏教系、小学校から高校までは
キリスト教系という多様な宗教体験の持ち主ですが、そういうなかで辿り着いた「宗教の原点」がその言葉とのことです。

美しい響きを持つ、何とも感動的な表現ですが、私はこれまさに山折先生の
「感ずる宗教」の具現であり、古く縄文時代から連綿と受け継がれてきた
「日本の心」そのものであると考えています。


21世紀に入ってもうすぐ10年。

「信じる宗教」を母体として生まれた西洋近代文明には、今やどす黒い影が射し
始めています。

私は、Vol.66 “「欲望」——このやっかいなるものと「新しいパラダイム」” の末尾に記しましたように、人類が次なる文明・新しい時代を創り出すための大きなヒントは、わが国の伝統と知恵のなかにあると考えています。

いよいよ「感ずる宗教」の出番と言えます。

  “「感ずる宗教」を世界へ!”
  “「山見て拝み、海見て祈り、収穫良ければ感謝する、、、」を世界へ!”

それが、21世紀の私たち日本人に与えられた使命であろうと考えています。

                              (完)

2009年06月11日

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