Vol.74 池田晶子さんの三回忌に思う

[その他スピリチュアル分野]

今日2月23日は、妖精のような哲学エッセイスト 池田晶子さんの三回忌です。
まさに佳人薄命 2007年2月23日昇天 享年46才 腎臓ガン。


彼女の短く鋭い言葉の端々には「神理」が宿っています。


なかでも私が最も好きなのは、『魂を考える』のなかの次の一行です。

  
       “便利なものは必要がないものである”


人は近代以降、【便利なもの】を本当に沢山作り出して来ました。


自動車・新幹線・ジャンボジェット機、、、、、掃除機・洗濯機・携帯電話、、、、、果ては最も便利な戦争の道具である核兵器まで、、、、。


しかし、近代以前の長い長い間、人はそうした【便利なもの】が無くてもちゃんと暮らしていました。
それらは人の生存にとって【必要がないもの】と言えます。

「近代」とは、【便利ではあるが必要がないもの】を作り続けている時代
と言えます。
そして、その代償が「環境破壊」と「精神の破壊」であることは明白です。

しかも問題は、人の欲望には際限が無いことです。


放置すれば【もっと便利なもの】、【更に便利なもの】を追い求め、【必要がないもの】をとめどなく作り続けるのでありましょう。

そしてその先には、宇宙物理学者 松井孝典先生が予言をされているような
「崩壊」が待ち受けているように感じています。

『便利なものを作り続けるのは、もうそろそろ止めなさいよ!』と言う彼女の声が聞こえるような気がします。


       (上記松井先生の予言に関しましては、
        Vol.66 “「欲望」ーーー
        このやっかいなるものと「新しいパラダイム」”

        をご参照下さい)

さて、彼女の以下のような言葉に触れる時、私は彼女を【天上界の大哲学者!】と呼びたくなります。
(以下いずれも『リマーク 1997−2007』より)


      “全ての魂が、全て違う感じ方をする
      それらが集まって、全体としてひとつの宇宙魂を形成する
      それぞれの魂は、全体としての宇宙魂の一細胞にあたる
      それらは互いに感応し合う

      なんだ、あたりまえか
      これはライプニッツだ“

      “死んだら無なら
      なんで宇宙があるのよ
      唯物論者のばか

      この世で死ぬと、あの世で生まれる
      あの世で死ぬと、この世に生まれる
      つまり、生きても死んでも同じである
      どちらに在るのかの違いだけ

      天網恢々疎にして漏らさず“


彼女は「存在」、「生と死」、「宇宙」などについて徹底的に考え抜きました。


愛犬コリーとのつかの間の離別を受けて記した次の言葉は本当に感動的です。

      “なるほど私の愛犬は死んだけれども いなくなったわけでは
      ない。
      ごくあたり前に私はそう感じるようになっている。

      生と死とはゼロと1が違うように違うのでは実はない。

      星雲や銀河が生成消滅を繰返すのがこの宇宙のありようで
      あるように、現象には断絶はなく移行があるだけなのである。

      どうしてそういうことになっているのか、
      むろん私が知るはずがない。

      しかし、老いて疲れた犬の衣を脱ぎ捨てた彼とは、すなわち、
      魂であろう。

      どうしてか存在する宇宙で、どうしてか出会えたように、
      いつかまた出会えると思えるということは 素晴らしいこと
      ではないか“

             (2003年6月29日 日本経済新聞文化欄
                『こんなふうに考えている』より)

今、彼女の魂と愛犬の魂は『魂類(魂の仲間)』となって、あの世から私たちを見つめてくれているように思います。


そして、そう思うとちょっと緊張します。


       (尚、『魂類』は私の造語です。人間のみならず生きとし
        生けるものすべて、「この世では『家族・親類』と一緒、
        あの世では『魂類』と一緒」と考えています。
        この点、Vol.21“「この世」と「あの世」—魂のこと、
        輪廻転生のこと”
をご参照下さい)

彼女の遺作となった『暮らしの哲学』のなかに、次のようなとても奥深い言葉があります。


      “最終的にはこの「自分」というものをこそ、
      捨ててしまいたいのだ。

      完全に姿を消して、そんなものは居ないかの如くに振る舞う。
      居ないかの如くに居る。
      そして、自分が死んだということすら気がつかないぐらいに
      自分がいなくなった時、人生と存在の本当がわかるのだ。

      どうしてもそんな気がするんですね。

      人間本来無一物。“

若い頃 雑誌のモデルもしていたという、コリー似の超美女池田晶子さん、彼女の三回忌にあたり、私も【人生と存在の本当】を追い求め、思索の旅を続けようと
改めて誓った次第です。

人間本来無一物。  合掌。


  尚、彼女の没後、“(池田晶子記念)わたくし、つまりNobody賞”
    が創設されています。
    いかにも彼女に似つかわしい名前の賞です。
    サイトはこちらです。
    サイト内に彼女の公式ページもあります。

        
                             (完)

2009年02月23日

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