Vol.68 三島由紀夫の命日に想う

[その他政治・社会分野]

去る11月25日は、三島由紀夫の38回目の命日でした。

私は当時、三井物産名古屋支店の鉄鋼部に勤務しており、その日は浜松の本田技研さんに出張中でした。
『楯の会 自衛隊市ヶ谷に乱入!』から始まり、最終的には『三島自決!』に至る一連のニュースには、筆舌に尽くしがたいショックを受けました。

1970年(昭和45年)11月25日のことでした。


彼は、自決のほぼ5ヶ月前の1970年7月7日のサンケイ新聞に、“果たしえていない約束—私の中の25年” と題する想いを記しています。

私は、そのやや長文の寄稿を読んでいたのですが、その時点では、彼の書いていることにさほどの共感を覚えませんでした。
天才の鋭い感性を受け止める能力に欠けていたと言わざるを得ません。

彼が、(後から思えば)間違いなく遺書として書いた美しい文章の最後は、次の言葉で締めくくられています。

      “私は、これからの日本に対して希望をつなぐことができない。
      このまま行ったら「日本」はなくなってしまふのではないか
      といふ感を日増しに深くする。
      日本はなくなって、その代はりに、無機的な、からっぽな、
      ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、
      或る経済的大国が極東の一角に残るのであろう。
      それでもいいと思っている人たちと私は口をきく気にも
      なれなくなっているのである。“

彼の没後38年、今わが国は間違いなく彼の予言通りの国になっています。
今ごろ彼はあの世で、『だから言っただろう、、、、』と大声で叫んでいるに違いありません。

さて、評論家の橋本治氏は、『「三島由紀夫」とはなにものだったのか』のなかで、

     “三島由紀夫が死んで、文壇というところからは輝きが
     なくなった。
     あえて言ってしまえば、文壇から色気がなくなった。”

と述べておられますが、私は、

     “三島由紀夫の死後、文壇以上に輝きがなくなったのは、わが国の
     政界である。政治に哲学がなくなった。“

と言いたいと思います。


稀代の天才の没後38年、政界のリーダーの方々は、三島の言う「無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない」という形容詞は、わが国の現状のみならず、自分のことをも指しているのでは無いかと先ず自問頂いた上で、ではどうすれば良いのかを真剣に考えて頂きたいと思っています。


これからわが国が進むべき道は、大別すれば二つと考えています。


一本目の道は、いわば『三島由紀夫の道』です。

最近の田母神事件を見るにつけ、この道は着実に太くなりつつあると感じています。
しかし、この道の辿り着く先には、「戦争」が待ち受けていることを覚悟すべきと思っています。
三島の言葉を借りれば、私は、『それでもいいと思っている人たちと口をきく気にもなれなくなっている』昨今です。


もう一つの道は、『和を尊ぶ仏の道』ですが、この道はどんどん幅が狭まっているのが本当に気がかりです。

38年前の三島の予言通りになってしまった「日本」、今私たちの前には2本の道があります。

そのどちらを取るか、それを決めるのは国民ひとりひとりですが、願わくば大局的な歴史観と哲学を兼ね備えたトップリーダーが現れ、真摯に国民と対話を積み重ねることによって、将来禍根を残すような結論が出ないことを切望致します。

三島の命日に当たり、改めて彼のご冥福を祈ると共に、「平成の聖徳太子」と呼べるようなリーダーが一日も早く現れることを祈念するものです。
                        (完)

2008年11月28日

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