Vol.61 「慈悲の心」の復元を!

[その他仏教関連]

昨今のさまざまな悲惨な事件を目の当たりにするにつけ、日本人から「慈悲の心」が消え失せてしまったのでは無いかと心底心配をしています。


「慈悲」とは、他者をいつくしみ、あわれむことですが、大仏教学者(故)中村元先生によれば、南方の伝統的保守的仏教においては、

「慈」(パーリ語で「メッター」、サンスクリット語では「マイトリー」)とは、

    人々に利益と安楽をもたらそうと望むことーー『与楽』

「悲」(パーリ語、サンスクリット共に「カルナー」)とは、

    人々から不利益と苦とを除去しようと欲することーー『抜苦』

と註解されているとのことです。
               (“「原始仏教」その思想と生活”より)


従って、「慈悲の心」とは、「他者に対して『与楽抜苦』を祈る心」ということになりますが、昨今の日本人は、『与楽抜苦』を自分に対してだけ祈っているように思われてなりません。


いわゆる「勝ち組」か「負け組」かという現下の非情な競争社会、そしていったん「負け組」に入ると、なかなかそこから抜け出せないような固定化した社会、、、、、、そんな「弱肉強食」の社会では、他者を思いやる余裕など無くなってしまうということなのでありましょう。


生きとし生けるもの全てーー人間はもとより動植物、更には山にも川にも「命」があると考え、ーー「命」を慈しみ、いたわりあって生きてきた私たちのご先祖様が、今の日本人を見たらきっと『あの人達は本当に日本人?』と問いかけると思います。


いったい何故こうなってしまったのか? いつからそうなってしまったのか?


私は、その根本原因は、Vol.29 “「宗教心溢れる時代」に向けて”のなかで記しましたように、戦後我が国が、『宗教無き時代、日本の心を忘れた時代』(私流の区分では、日本歴史の第四期)に入ったためと考えています。

そして、そういう時代のとどめを刺したのが、一周遅れでひたすら「新自由主義」を追求した小泉政権時代の5年半であったことは間違いありません。

しかしそんな小泉首相に熱狂的な拍手を送ったのは我々自身であったことを想起する時、何とも複雑な思いに囚われます。


もともとの良さを失い、殺伐として潤いの無い社会に成り下がってしまった日本および日本人、それを元に戻すことは容易では無いと考えています。
少なくとも即効薬は無いと思っています。

結局は、国民一人一人が、時間をかけて、少しずつ「慈悲の心」を取り戻す努力をすることに尽きると信じていますが、その第一歩として、この場では、その気になれば誰でも出来る『無財の七施(しちせ)』を、改めて提唱したいと思います(Vol.52 “『無財の七施』——誰にでも出来る「布施」のすすめ” ご参照)

                             (完)

2008年07月18日

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