Vol.49 河合隼雄先生のことーー「ユングを超えた大仏教者」

[その他仏教関連]

私が『心の師』と仰ぐお三方のうちのお一人、河合隼雄先生が逝去されてから既に4ヶ月が経ちました。

(因みに私の『心の師』の他のお二人は、梅原猛先生と山折哲雄先生です)

河合先生は1928年兵庫県篠山生まれ、我が国に於けるユング心理学の第一人者であり、元文化庁長官。

国際日本文化研究センター(日文研)にあっては、初代梅原所長の後任を務められ、三代目山折所長にバトンタッチをされています(尚、四代目の現所長は片倉もとこ先生)

河合先生のご発言は、既に「代表者コラム」でも引用させて頂きましたが(Vol.21
「この世」と「あの世」—魂のこと、輪廻転生のこと)
、この際改めて、先生のその他のご発言のいくつかを以下に記させて頂きます。

尚、先生の師ともいえるカール・グスタフ・ユング(1875〜1961)は、【集合的無意識】と【シンクロニシティー(共時性)】という極めてユニークな二つの概念を提唱したスイスの精神科医・心理学者です。


そこで先ずは、その二つの概念について私なりの理解を記させて頂きます。


始めに【集合的無意識】ですが、ユングは彼の多数の精神疾患者との真摯な対話を通じ、

  “人間の意識の奥底には、個人の知識・体験を超えた、集団・民族・
  人類の心に共通して存在する先天的・太古的な無意識の領域が
  あるに違い無い“

との結論に到達し(この時点で、ユングはフロイトを超えたと私は捉えています)、それを【集合的無意識】——個人的・属人的な無意識とは異なる領域の無意識——と名付けました。


一方【シンクロニシティー(共時性)】は、

  ”因果的には何の関係も無いと思われる二つの出来事が、
  「偶然」起きるのは、単なる「偶然」では無く、
  【シンクロニシティー(共時性)】の作用による“

という概念です。

【集合的無意識】も【シンクロニシティー(共時性)】も、当時の「科学的常識」を大きく外れるものであっただけに、ユングは生前一部では「非科学的人物」と見なされていたようです。

さて河合先生は、スイスの「ユング研究所」に多年留学され、そんなユングの研究に没頭されました。その上で、ユングと仏教との接点を探求され、ついには「ユングを超えられた」と私は思っています。

以下は「ユングを超えた大仏教者」河合隼雄先生の言葉です。


  ある現象が自分たちの今もっている理論に合わぬから偶然とか非科学的
  とか言ってしまうことこそ問題である。
  あることはあることとして、われわれはそれを研究しなくてはならぬ。
  ただどのような態度でそれに向かうかが重要なポイントとなるのだ。

                   (「宗教と科学の接点」より)

  人間にとって因果律に従って事象を把握することは極めて重要なことで
  あり、特にニュートン・ガリレオによる力学法則の発見以来、すべての
  事象は因果的に把握し得るという確信が強まったため、非因果的な事象
  に注目することに対して強い拒否感情が生じるようになったと
  思われる。
  それを単なる偶然として無視しないと、せっかくの体系が壊される
  ように感じられるからである。

                            (同上書)

  禅や瞑想、ヨーガなどの東洋に存在する修行には、ユングの述べている
  「部分的心的水準の低下」がつきものであり、そこでは共時的現象が
  体験されやすい。

  ユングは、東洋は西洋に比して共時的現象の把握にすぐれていたので、
  事象を因果的に把握する自然科学の発達が遅れたのではないか、
  とさえ言っている。

              (河合隼雄著作集 第11巻「宗教と科学」
               のなかの“ユングと共時性”より)

  私はキリスト教文化というのは、違いを、差異を最も追い詰めてきたん
  じゃないかという気持ちがするんです。
  それはなぜかというと、神と人は絶対違うでしょう。しかも、人と他の
  動物も違うとはっきり言っているわけですね。他の被造物の中でも人間
  は違うと。

  ところが仏教の場合はみんなつながっている。植物や動物、鉱物まで
  つながっている。
  植物や動物、鉱物までつながるくらいですから、そういう「つながり
  感覚」みたいなものを僕らはいまだに持っているんだと思いますね。

   【山折哲雄先生】『ユダヤ教・キリスト教的な世界観というのは、
            世界を分割する原理が強くて、創造主と人間
            との間を分割していく。

            それに対してどうも仏教的というか、アジア的
            というか、インディアンやケルトの場合もそう
            ですが、それぞれのいろいろな違った領域の
            問題をつなぎ合わせていく原理があると。

  だから私はどうも、いろいろつなぎ合っているほうが普遍的原理で
  あって、そこへユダヤ・キリスト教という途方もない宗教が出てきた
  というふうに考えた方が面白いのではないかと思っているんです。

  ただ、その途方もない宗教がヨーロッパに行って、それが今普遍的な
  ものを主張しているけれども。

   【山折哲雄先生】『人類の歴史を五千年、一万年の単位で考えて
           みますと、円環・接合の時代から今度は分離・分割
           の時代へと、このリズムで動いているということ
           ですね。』

  その分離・分割が科学なんですね。これはキリスト教文化圏から出て
  きていると私は思っているんです。
  キリスト教文化圏以外からは出てくるはずがない。

  そういう科学が技術と結びついて今、世界を席巻しているけれど、
  どうやらこれだけではいかんなとみんな今、感じ始めているのと違い
  ますか。

  というのは、その方法でやると、ものすごく物が豊かになって便利に
  なるでしょう。それなのに何となく物足りない。それでイライラするん
  ですね。

           (山折哲雄対談集「日本人のこころの旅」より)

  幸福というのは宗教にとっての大きなテーマですが、あれを達成した、
  これを持ってる、とかそういう我執に含まれる西洋的幸福ではなくて、
  仏教においては「楽」「大楽」とか、「安心」「安心立命」ということ
  ですね。
  執着を捨てよ、安心すればいいじゃないか、というのと、幸福を追求
  しろ、というのは大きく違います。

   (五木寛之「仏教のこころ」のなかの“河合隼雄さんとの対話——
    仏教のやわらかな心“より)


  考えてみると、人間が生きていくということは大変なことである。

  自分という唯一の存在はいったい何によって支えられているのか、
  しかも、必ず死ぬとなると、死んでからはいったいどうなるのか。

  人間の一人ひとりがこのような根元的な問いをかかえて生きている。

  人間はこのことの解決のために、さまざまな宗教を持ち、風俗習慣と
  言えるようなものも、あんがいこのために役立つ工夫がなされており、
  それぞれが心の「平穏」を保って生きてきたのであった。

  ところが、現代人の多くはそれら棄て去って生きようとしている。
  特に日本人はそうではないだろうか。

                    (「神話の心理学」より)

現下のこの混迷の世にあっては、先生のようなしなやかな仏教思想がもっともっと世界に拡がって行く必要があると確信しています。
 

「ユングを超えた大仏教者」河合先生のご冥福を心からお祈り申し上げます。

                            合掌                         

2007年11月17日

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