Vol.43 「戦争をする普通の国」にまた戻りますか? ーー「海外に於ける自衛隊の武力行使容認論議」に思うーー

[その他政治・社会分野]

安倍首相誕生以降、わが国が急速に右旋回を始めたことに対し私は大きな危惧を抱いています。


このまま行けばわが国は、いずれ遠からず、【戦争をする普通の国】に戻ってしまうことが案ぜられますが、恐ろしいのは、そういう方向性・可能性に対し国民が鈍感になっていること、更に言えば、むしろそれを良しとするようなムードさえあることです。

今から60年前に施行された現憲法は、その第9条で、国際紛争を解決する手段としての【戦争、武力による威嚇、武力の行使】は永久にこれを放棄すると高らかに宣言をしています。


たしかに現憲法は、安倍首相が言われる如く、占領下という極めて特異な状況下で制定されたものであり、また文体も翻訳調的ではあります。

しかし、少なくともこの第9条【不戦の誓い】は、今から60年前の国民意識・国民の総意を明確に反映したものであること間違いありません。

二度にわたる核被爆という、人類がかって全く経験したことの無い悲惨な目にあえば、人間誰しも『もう戦争は金輪際いやだ!! 二度と再び戦争はしない』と固く心に誓うこと当然と言えましょう。


60年前の先人達のそうした固い決意に思いを致す時、戦争体験・被爆体験が加速度的に「風化」をしている現実に愕然とします。


人類は過去数千年、繰り返し繰り返し戦争をしてきていますが、それ全て「風化」のなせるわざと言えます。人間とは何と愚かな存在であるかと、殆ど絶望的な思いに囚われます。


さて、その安倍首相に関して、ジャーナリストの石井和希さんが安倍政権誕生直前の昨年9月、『「集団的自衛権」の行使論議に思う』と題する主張を本HPに寄せておられます。


石井さんがそこに記されているように、対米追従の小泉首相時代に、アメリカから“ Boots on the Ground!!(戦場に自衛隊の軍靴を踏み入れろ!!)”と唆され、陸上自衛隊を戦争状態のイラクに派遣してしまいました。ただ、【自衛隊は武力による威嚇、武力の行使は絶対にしない】という歯止めだけはかろうじて守られていました。

しかし、このまま行けば石井さんが予言しているように、安倍首相時代には、アメリカからの ”Blood for the world piece!!「世界平和」のためには自衛隊も尊い血を流せ!!)“という、聞きようによっては「美しい」誘いにも乗せられ、『状況によっては、自衛隊が海外で武力行使をすることも当然容認されるべき』ということになってしまいそうです。


しかしそれは、我々が【戦争をする普通の国】へ戻る決定的な第一歩であると確信しています。

もちろん、わが国が「世界平和」のために尽力することには全く異論ありません。
国力・経済力に見合った「国際貢献」をより積極的に展開すべきことは当然です。

しかし、だからといって、【自衛隊の武力行使に繋がりかねない】ような方法は、60年前の国民の総意・切なる願いを踏みにじるものです。


この点、安倍首相が集団的自衛権研究のために先頃設置した私的諮問機関『安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会』は、「法的基盤の再構築」という表現がいみじくも示しているように、海外で自衛隊が武力行使出来るような新しい憲法解釈・立法措置を研究し構築するためのものと言えます。


しかし、今、研究し構築すべきは、「武力行使をせずして、尚一層世界に貢献出来る理念と道筋」であり、残念ながらこの懇談会は時代に逆行するものと断ぜざるを得ません。


60年前に我々がこぞって決意した、時代を革命的に先取りする【不戦の誓い】という崇高な理念、それを永久に貫き通し、核兵器の悲惨さ・戦争のむごさを決して「風化」させぬよう語り継いで行くことが、世界で唯一つの核被爆国である我々に課せられた使命と信じています。

そしてそれこそが、わが国がなしうる最大の国際貢献でなないでしょうか?

私は、昨年11月この場に記しました、“イラクの現状に思う”のなかで、16世紀オランダの人文学者エラスムスの言葉を引用しましたが、それを改めて下記し、世界恒久平和を祈りながら、本稿を終えたいと思います。


      “およそいかなる平和も、
      たとえそれがどんなに正しくないものであろうとも、
      最も正しいとされる戦争よりは良いものなのです   

                               (完)

2007年06月09日

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