Vol.41 この世は「無常」

[「この世」シリーズ]

大辞林によれば「無常」とは、

 1.万物は生滅流転し、永遠に変わらないものは一つもないということ。
 2.人の世の変わりやすいこと。命のはかないこと。また そのさま。
 3.人間の死     です。


『命のはかないこと』に関しては、私は、浄土真宗中興の祖である蓮如上人(1415〜1499)の「白骨の御文章」のなかにある次の言葉が、最も鋭くそれを表現していると思っています。

  "朝(あした)には紅顔ありて、夕(ゆうべ)には白骨となれる身なり"


人の死、特に突然の死に直面しますと、つくづく『この世は無常』と痛感します。

では、『無常のこの世』を、どのように生きて行けば良いのか? 


私は、無常を恨んだり、怒ったり、他人のせいにしたりしては、ますます自分が惨めになり、また独善的にもなって、心の平安は決して生じ無いと思っています。


そうではなくて、「命ははかない」「この世は無常」という厳然たる事実を、自分の心の奥底に深く沈殿させ、『この哀しみと共に生きて行こう』とひとり閑かに決意することが良いと思っています。


このことに関連し、作家の五木寛之さんは、小泉首相が初訪朝した2002年9月17日の毎日新聞夕刊に「心の奥の日朝問題」と題し、拉致問題について次のように述べておられます。


   “国と個人は別です。許す、許さないという話でもない。
   運命に翻弄される人間の小ささ、はかなさをしみじみと感じる
   ことです。 
   ため息をつくことです。思い出と一緒に生きるべきです。
   建設的ではありませんが、前を向く人が100人いたら、
   後ろを向く人が10人いないとますいですよ。“


私は、五木さんのこの率直な心の吐露に、大変感動しました。

五木さんの魂と蓮如の魂とは重なり合っているように感じました。
『建設的ではありませんが、、、、』と、謙って述べておられますが、何が本当に『建設的』なのかは、とても即断出来ません。


人は誰でも、口に出すかどうかはともかく、命のはかなさを背負って生きています。

そのことに気が付き、自分以外の人々の哀しみにも思いを致し、「この世の無常」を従容として受け入れる人が多くなればなるほど、社会は穏やかになり、ひいては世の中から戦争が少なくなると考えています。

この世は無常です。


しかし我々は何度も何度も「この世」に生まれてきます。

「今世」がいかに哀しく絶望的であったとしても、それは自分の魂の格(霊格)を上げるための一つの過程と捉え、「今世」この試練を与えてくれた神仏に謙虚に感謝する、そこに心の平安が生ずると信じています。
                             (完)

2007年04月19日

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