「いじめ」に思う

[石井和希]

「いじめ」という文字が新聞に現れない日がない。本当に荒んだ国になってしまった。

「いじめ」は学校で起こっているだけではなく、家庭では親が幼児をいじめる、子供が年老いた親をいじめる、いじめるだけでは飽き足りず親が子を殺す、子が親を殺す、、、、、まさに動物以下のふるまいである。

また会社でも、上司が陰湿に部下をいじめる「パワーハラスメント」が横行している。

明らかに昨今の日本人は、少しずつ狂い始め、全員がサディストに向かっているような気がしてならない。このまま進むといったいどうなってしまうのか? 
サドの対象が国内だけでは飽き足らなくなり、再び諸外国に大きな「いじめ」を仕掛けるのではないかと真面目に案ぜられる。

果たして日本人はいつ頃からそうなってしまったのか? その元凶は誰か?

もちろん、ここに至るまでには諸々の背景と伏線があることは間違いないが、筆者は5年以上におよんだ小泉時代こそが間違いなくその元凶であると確信している。

もともと「グローバリゼーション」や「新自由主義」は、放置すれば必ず弱肉強食に繋がるだけに、為政者には「弱者に対する優しい眼差し」が不可欠である。その意味で、5年前にこの国が小泉純一郎という類い希な変人を首相に選んだことが不幸の始まりであったと考える。

確かに小泉さんでなければ出来なかった改革も少しはある。功もある。しかし筆者が最も問題にするのは、小泉さんのサディスティックな性癖である。
 
その最たるものは去年の郵政解散である。たかだか一つの法案に賛成をしなかったというだけで自民党公認を与えなかったどころか、その人達の選挙区には「刺客」を送る、結果的に無所属で当選を果たしてきた人々には、除名をちらつかせながら離党を迫る、、、、これまさに政界の「いじめ」である。加えて昨今の「復党」に係わる「誓約書」の提出もまた「いじめ第二幕」であろう。

「大会社も良きにつけ悪しきにつけ社長一人で変わる」とはよく言われることであるが、筆者は「国もまた首相一人で変わる」と考えている。
首相が血相を変え、まなじりをつり上げて自分と意見が異なる国会議員に「いじめ」を仕掛けるようでは、推して知るべしである。
まさに「上が上なら下もした」で、今国中が「いじめ」だらけとなってしまった。残念至極。

では如何にすべきか? 

筆者は先ず政治が率先して国民に「和」の尊さを訴えることであると考える。
政治が「いじめられる側」の立場に立ってその「苦しみ」を理解し思いやりを示すことである。さすればそれが会社にも学校にも地域にも家庭にも自然に伝播し、遠からず国中から「いじめ」が無くなると信ずる。

かって聖徳太子は、17条憲法の第1条に「和を持って貴しとなす。逆らうこと無し」と宣言をした。その結果人々は以降何百年も戦争も無く平穏な日々を送ることが出来たとされる。

やはり政治の姿勢、リーダーの資質がものごとの基本と思う。その意味からも安倍首相の責任は極めて重いと考える。(完)       

                        石井和希(ジャーナリスト)


2006年11月27日

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