教育再生 100年の計

[國持重明]

10月3日の朝日新聞で「心でっかち」という新語を知った。
北大の山岸俊男教授(社会心理学)の創作だという。

“「心でっかち」、「教育再生」への一つの視点” と題するコラムの冒頭の部分を引用する。

    "頭でっかちならぬ、「心でっかち」という言葉をご存知だろうか。

    たとえば、いじめが学校で横行する。
    それは、彼らの心の荒廃のせいだと一刀両断にする。

    心が、すべて。こういう思考の傾きを、心でっかちという。

    戦争中の「精神主義」に、その極端な形がある。"


          (以下省略。難解な論調を展開「心でっかち」に警鐘)


親が子を殺し、子が親を殺すなど、畜生道以下の残虐な犯罪が日々起きている。
これらは戦後60年にわたる心を軽んずる風潮が生んでいるものだ。


家族愛、国家愛、公徳心、友情、勤勉、忍耐、断念などすべて心から発している。
教育の場(家庭、学校、社会)では常にそのような心を子供に、生徒に、後輩に植え付けることに大人(先に生まれたものたち)は努めなくてはならない。

人としてふさわしい心を鍛えることが教育の目的である。
心をおろそかにする戦後の(非)教育が罷り通っているために、教育はあっても教養のない獰猛な人間を作っている。

今こそ「心でっかち」が求められているのではなかろうか。


戦前の「教育勅語」が全面否定されてから、日本にはまともな教育の機軸となるものがなかった。

現行憲法に先行して、占領軍の主導で生まれた教育基本法は、家族と国については意図的に触れていない極めて不自然な一面を持ちながら今日まで永らえてきた。
簡単に改正できない憲法と違い、教育基本法は変えようという真面目で強い意志があればとっくに改正できたはずである。

このような国民をあげての怠慢が何を生んだか。

学級の崩壊と家庭の崩壊であり、これらが日本の病理を逐年重篤にして来たのである。
先の国会でやっと改正案が俎上に上がったが、これとて尻すぼみに終わった。


安倍新首相は、「21世紀にふさわしい国造り」を掲げ、教育改革による「教育の再生」を最優先させる考えを示した。

しかし前の国会で「国を愛する心を養う」という下りを、公明党に遠慮して、あっさり「国を愛する態度を養う」と妥協している。
後から「心がなければ態度には出ないのだから、どちらも同じである」という意味の説明をしていたが、甚だ心もとない。


教育というと多くの人々は学校を連想する。

言うまでもまなく教育の場として学校は重要なものであるが、教育には学校の他に、家庭教育と社会教育があり、とり分け義務教育に先立つ家庭教育こそが必要条件で、教育の原点である。


民衆教育の父と呼ばれたスイス生まれのペスタロッチは「家庭よ、汝は道徳上の学校なり」、又「如何なる国家も善良な家庭生活がある間は崩壊しない」とも言っている。

逆も真なり、家庭の崩壊は、やがて国家の崩壊を招く。親の責任は重い。
しかし現在の日本にこの責任を全うできる自信のある親がどれほどいるだろうか。


終戦の年に小学校(国民学校)に入ったのは昭和13年(1938年)4月から、翌年の3月生まれの人たちだから、ざっと計算すると、日本人100人中実に85人が戦後の学校教育を受けた(受ける)人たちである。


新教育基本法に基づく「教育再生」は日本の存亡をかけた命題である。

10年や20年のスパンでその成果を期待することは無理かもしれないが、老若男女挙って国家100年の計をかけて正に荒野にレールを敷く努力を重ねなければなるまい。


さてどこから手をつけたらよいだろうか。

先ずもって義務教育に先立つ家庭での躾、道徳教育を優先させるために、世の中の親の再教育はどうだろう。

親に勇気と自信を与えるような政策、立法を望むものである。

教育再生は、「心でっかち」の親作りから始まると信ずる。(完)

                     國持重明(一橋植樹会 副会長)

一橋植樹会ホームページ
http://jfnsites.mercury.ne.jp/circle/shokujyukai/indes.php

2006年10月07日

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