Vol.25 神も仏も、山も川も・・・今こそ【日本仏教】の再評価を

[その他仏教関連]

仏教は、飛び抜けて柔軟性と寛容度の高い宗教であると思っています。


今から約2,500年前インドで生まれた仏教は、その後長い年月をかけてアジア全域に広く伝播して行きましたが、行く先々で自らをその土地の風土と民族性にうまく適合させながら根付いて行きました。

一口に「仏教」と言っても国により地域によってかなり異なるのは、仏教の持つそうした融通力によるものと考えています。

その点、キリスト教やイスラム教は(ユダヤ教は当然としても)、基本的には世界中どこでも同じであり、それが【一神教】と仏教の最大の違いの一つと言えると思います。

そういう観点から日本に於ける仏教を見てみますと、仏教伝来以前の日本は、縄文時代の狩猟採集型生活様式・信仰観を土台とする「神道」の国でありました。
人々は、四季折々の海の幸、山の幸、自然の恵みに感謝しながら、八百万の神を崇め、先祖を敬いながら慎ましやかに生きていました。


そう言う人々にとって、お釈迦様の『戦うな、殺すな』という教えや、いわゆる『仏教的無常観』は、何の抵抗もなく自然体で受け入れられたものと想像出来ます。

加えて、「仏教」の持つ多様かつ整然とした教義と経典には、当時の日本人は目を見張ったに違いありません。

爾来、遣隋使・遣唐使の派遣や、鑑真を始めとする傑出した高僧の招聘などを皮切りに、長期間に亘っていわゆる「神仏習合」「神仏混淆」が進み、鎌倉から室町に至る時代には、もともとの「仏教」とはひと味も二味も異なる【日本仏教】がほぼ完成したと私は位置づけています。

では、もともとの「仏教」と【日本仏教】の違いを何か? 


私は端的に『一切衆生』と『山川草木』の違いと解釈しています。


大乗仏教の経典の一つである「涅槃経」に、『一切衆生悉有仏性』という言葉があります。

「生きとし生けるものすべてに仏の心が備わっている。
生きとし生けるものは、人も動物も、すべて仏になりうる」という意味ですが、最澄が九世紀初めに開創した我が国の天台宗では、その考えを更に発展させ、十一世紀までに『山川草木悉有仏性』という考え方を樹ち立てました。


人や動物はもとより、山にも川にも草にも木にも仏の心が備わっており、仏になり得る存在であるという教えです。

「神道と仏教の融合ここに極まれり」という感慨を禁じ得ません。


これまさに【日本仏教】の神髄であると考えています。


成熟した【日本仏教】の傘の下、250年の長きにわたり戦争も無く、各藩がそれぞれ固有の文化・芸能を育み、日本人が精神的に最も伸びやかに暮らしていたのが江戸時代だったと私は考えています。

今も日本各地に残る伝統的な行事やしきたりは(かなり形骸化しつつはあものの)、概ね江戸時代に完成し定着したものと考えています。


さて、仏教伝来以降の永年に亘るそうした日本人の精神的蓄積を一挙に壊したのが明治維新でした。


明治政府は『神道国教化政策』を掲げ、1868年に「神仏分離令」を発布して神と仏を強引に分離しました。
そしてそれをきっかけに『廃仏毀釈運動』(仏教を廃し、お釈迦様の教えを棄却する運動)が全国的な広がりを見せ、爾来【日本仏教】は今日に至るまで、停滞と変質の道を歩むことになります。


一方、もともとの「神道」の方も、明治政府の「神道国教化政策」には大いなる困惑を余儀無くされたに相違ありません。
それは、明治政府が国教とした「神道」は、天皇を現人神とする【国家神道という一神教】であり、八百万の神を崇める日本古来の「神道」とは大きく異なるものであったからです。

【国家神道という一神教】の下、維新後の日本は驚くべきスピードで近代化を達成し、短期間のうちに世界列強の仲間入りを果たしました。
が、しかし、その行き着いた先が、太平洋戦争による全土壊滅的敗戦でありました。

そしてそれは、遠く明治維新の一つの必然的結末であると私は捉えています。

どうも【一神教】というものは、本質的に戦争と繋がると言っても過言ではないと思います。


さて【国家神道という一神教】が、殆ど完膚無きまで打ちのめされた戦後は(もっとも、文字通りの「完膚無きまで」では無かったことが、例えば歴史認識問題、靖国問題などを生ぜしめている原因ですが、、、)、人々は戦前の反動もあって「神も仏も」すっかり忘れ「山川草木」をなぎ倒しながら、ただひたすら経済的復興に没頭しました。


お陰で、我が国は再び短期間のうちに世界第二の経済大国となり、我々は今、溢れんばかりの物質的な豊かさと便利さを享受しています。


しかし一方、昨今の日本人の精神的荒廃は目を覆うばかりです。

心の豊かさや精神的な伸びやかさという点では、江戸時代の日本人、あるいは遠く奈良・平安時代の日本人の方がずっと上であることは間違いないと感じています。

これ全て「神も仏も忘れた戦後システム」の必然的結末と考えています。


お釈迦様が生まれてから約2,500年、仏教が日本に伝来してから約1,500年、明治維新から百数十年、戦後約60年.......。


『宗教無き現代、現代無き仏教』というのは、南無の会(宗派横断的仏教信者の集い)の松原泰道会長の名言ですが、私はその名言を受け、『現代に宗教性を、仏教に現代性を』と提唱したいと思います。


「山川草木悉有仏性」という考え方は、世界が環境問題に苦しむ今こそ改めて見直さるべき極めて現代的な教えでもあります。

今を生きる我々日本人は、先人が樹ち立てた【日本仏教】という【平和の多神教】の現代性を改めて再認識、再評価し、更にそれを自信をもって世界に発信して行くべきと考えます。

『自然との共生』と『世界平和』へのアッピールは、広島、長崎を体験した我々の声であらばこそ、世界の人々に大きなインパクトを与えるものと確信します。

間違っても、自ら再び海外で戦争に参画する愚だけは絶対に犯してはならないと考えています。 (完)

2006年03月14日

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