わが心の故郷

[國持重明]

♪みどり折りなす山々を、抜き出て立てる霊峰の、
清明の気をここにうけ、生まれいでたる我らなり・・・♪、

山村に永いこと歌い継がれていた「吉原少年団歌」の冒頭の詩である。


人は生まれ育った土地の気候、風土、食物などがその人の体質を作り、生涯にわたり肉体的故郷になるといわれる。
また家庭環境や習慣、幼友達、お祭りや行事などがよきにつけ、悪しきにつけ思い出の心の故郷をつくる。


私は静岡県庵原郡庵原村吉原で生を享けた。

朝な夕なに霊峰富士を眺めて18歳までこの地で育ったが、上京して7年後の昭和36年(1961年)に故郷は清水市に吸収合併された。
その清水市も平成15年(2003年)遂に静岡市と合併した。
今年の4月から静岡市が政令都市になったので、現在表示は静岡市清水区吉原である。
幸いにして「吉原」の二文字だけは残っている。


JR東海道線清水駅の北北西、直線距離にして10キロにも満たない山間の盆地(適当に斜度あり、平均標高は250メートル)に所在するこの山村は、往時専業農家約170戸、人口約千余人(今も世帯数は然程変わっていないが、人口は減少して600人余り、殆ど半農化している)

収入源は蜜柑とお茶だが、一部は林業にも依存していた。

10年ほど前、母の葬式に来ていただいた勤め先の社長に、会葬のお礼を言上したら「お前はあんな良いところに生まれながら、苦労して東京なんかに何故出て来たのだ、馬鹿だなあ」と、笑われた。
湘南ボーイ上がりのこの社長の真意は良く分らないが、少なくとも垣間見た里山風景がお気に召したことは間違いない。


終戦から数年を経ても電話は農協の支所に一本しかなかった。「昨日の新聞」が普通だった。

だが、どこの家にも家族の団欒があった。
お互いに、愛情を満たし、休養をとり、子供を育て教える場があった。
このよき家庭が、向こう三軒両隣の隣保班につながった。

村には10の隣保班があり、村の自然と農業を生業とする村人が一体融合して良風美俗を成し、豊かな自治的人間社会を形成していた。

「農繁期休暇」、「勤労奉仕」などという言葉が使われて、当時は子供の労働力が野良仕事の戦力にもなっていた。


農業は他の職業とは異なり、土と水から命を育むのが特徴で、人に限りない知恵を与え続けてくれる生業だと、つくづく思う。この村の豊かさは、農業を基本とし、古くから受け継がれてきた三つの要素に支えられていた。

一つは人を大切にする祝い事の数々である。


出産、誕生、元服、3月・5月のお節句、七五三、還暦、古稀、喜寿・・・銀婚、金婚などなどのお祝いは隣保班をベースにすることが多かった。
親・子・孫の三代にわたるカップル誕生のお祝いには、三つの節をもつ火吹竹(みーふーふー)が引き出物だった。これら祝い事には常におふくろの味がついていた。野菜中心の煮物、漬物、自然食、四季折々の手作りの味。

二つは神仏を敬い祖先崇拝の心である。


氏神様、薬師様へのお参り、山の神様、水神様を崇める儀式、彼岸、お盆、法事には年寄り、子供や孫たち一族郎党が 打ち揃って参加した。
こんな場での年長者の挨拶にも、大人の語らいの中にも先人の徳を称える逸話があり、全部は分らないが子供ながらに先人を偲び感心し て聞いていた。

三つは村の生活を豊かにする行事である。


皆で計画し、皆で準備から片付けまで手作りだ。
盆踊り、秋祭り、農産物品評会、習字展覧会、青年団相撲大会、運 動会、道普請・溝浚い共同奉仕活動など。
農協の作業場での映画会は何時も満員だったが、良いところでフィルムが切れて大きなため息がもれた。


新しい住所表示だけではなく、近未来第二東名高速道路が村の南端をかすめるので、風景も変わりつつある。

泳ぐことを覚えた小川にも、数十メートルもある真っ白で太い橋脚が打たれ、山はあっさり削られ切通しになった。
まろやかなりし村人の心、三つの要素のその後は如何なものであろうか。
断定することは憚るが、残念ながら逐年の扁平化は否定すべくもない。

竹馬の友の一人が、製茶工場を経営し直販もしていることを二年前のクラス会で知ってから、メールでお茶を買っている。

商品に添えられたパソコン仕立ての「山の吉原季節のおたより」を読むと少し心が和む。
写真と文は息子さんが担当している。
かかる後継者が輩出してくることを念じて止まない。

そろそろ紙面が尽きた。趣味の駄句を幾つか並べて稿を締めたい。

   柿熟るる村の薬師の物日なり

     車百合山家育ちに余慶あり

       雪のせて富士の遠目や一番茶

                     國持重明 (一橋植樹会理事)

一橋植樹会ホームページ
http://jfnsites.mercury.ne.jp/circle/shokujukai/

2006年01月29日

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