Vol.13 祈れば通ず

[中東関連]

メッカとメディナというイスラム教の二大聖地を擁するサウジアラビア、かつて私はそこに三年間駐在しました。


サウジに限らずアラビア半島ほぼ全域、雨は殆んど降りません。

人間も、他の動物も植物も、雨が少なくても生きて行ける知恵を身につけてはいるものの、 余りに長期間一滴も降らなければ、生き物みな破綻の危機に瀕します。

極限状況に近づくと、人々はいっせいにアッラーの神に「雨乞い」の祈りを捧げます。


着任早々の私に、ある朝、カイロ大学工学部出身のエジプト人の部下がものすごく嬉しそうな顔をして語りかけてきました。


『ミスターシノダ、外を見て下さい。ようやく雨が降り出しました。昨日までみんなで必死に雨乞いのお祈りをしたので、アッラーの神が聞き入れて下さいました。本当にありがたい』と。


私はつい、『あなたのようなインテリが、しかも理科系の人が、【祈りが雨をもたらした】と本気で信じているのですか?』と、やや詰問調に尋ねました。


彼は私の質問の意味がよく理解出来なかったようで、しばらくキョトンとしていたのを今でも鮮明に覚えています。


考えてみますと日本でも神代の昔から「雨乞い」をしていました。

歌人小野小町の別名は「雨乞い小町」でした。
また、願い事が叶うように「百度参り」や「断ち物」なども行なわれていました。

【祈れば通ず】ということを日本人も信じていたからに違いありません。


理屈で説明がつかないことを信じなくなってしまった現代人。
目に見えないものを信じるところに心の平安が生まれる、ということを忘れてしまった現代人。

信じていないことが起きる筈はありません。

身を清め身をかがめ、信じきって、みんなが心を一つにしてひたすら祈れば、それがよこしまなものでない限り、願いは必ず天に届く、と私は今は考えています。

部下に、あの時あんな問いかけをした自分の傲慢さと浅薄さに恥じ入っています。
                                 (完)

2004年11月01日

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