Vol.10 この世は《謙感寛》の3Kで

[「この世」シリーズ]

「3K」という言葉は最近あまり聞かなくなりました。かっては「きつい・汚い・
危険」の3Kとか、あるいは「高学歴・高収入・高身長」の3Kとか・・・・・・

私の3Kは《謙虚・感謝・寛容》略して《謙感寛》の3Kです。
言うは易しですが本当に難しいものです。
なかでも最も難しいのが三つ目の《寛容》ですが、以下が私の3Kの中身です。


1. 《謙虚》

これは単に態度・物腰が謙虚ということでは無く、大自然の前に《謙虚》になる、人智を超したものに対して《謙虚》になるという意味です。

「人間は万物の霊長」「科学技術は万能」という考え方の対極となる姿勢と言っても良いかもしれません。

《謙虚》になれば、態度・物腰は自然に謙虚になります。
逆に、そうでなければたとえ態度・物腰が謙虚であっても、それは形だけのもの、うわべだけのものと映ってしまいます。

日本人はもともと《謙虚》であったと思っています。
なぜかそれがここ二三十年で急速に変わってしまったように感じています。


2. 《感謝》

これも単にいいことがあった時、幸せな時に「ありがとう」と感謝をするということではなく、悪いことが起きた時、ひどい目に遭った時、ものごとが全てうまく行かない時にこそ《感謝》をするという意味です。

『もっと悪いことが起きなくて本当に良かった、ありがとう』『最悪の事態だけは免れた、ありがたい』『この程度で終わって助かった、本当に良かった』 と《感謝》をするという意味です。

苦しいこと、悲しいこと、辛いこと・・・・・・それらは誰にも起こります。
その時それらを《謙虚》に受け止め、私の言う《感謝》をすれば、道は自ずと開かれると信じています。


3. 《寛容》

文字通り許すことです。

しかしこれは本当に難しいことです。
《謙虚》と《感謝》は、意識して常に心懸ければ出来るようになりますが《寛容》だけはなかなか簡単にはいきません。
つくづく「人間は感情の動物」という思いを強くします。

    
「もう切れそうー」とか「切れた!!」という言い方を良く耳にするようになりました。
アメリカ人も、特に9.11事件以降、ヒステリックに ”We cannot tolerate” (「我慢できない」)とよく言うようになったと感じています。

世界中でフラストレーションが高まり、人々の寛容度が小さくなりつつあり、まさに切れ易く殺伐とした世の中になってきています。


お釈迦様はその昔、自分の国が滅ぼされ、一族郎党一人残らず殺されてしまったにも拘わらず「十二因縁」という考え方で、恨みと憎しみを断ち切り、相手を許しました。

恨みと憎しみと報復の拡大的連鎖が止まらないイスラエルーーパレスチナ、そしてアメリカーーイスラム原理主義者。

「身内が殺されたから相手を殺す」「殺さ れたから殺し返す」「殺される前に先制して殺してしまう」・・・・・・ユダヤ教・キリスト教・イスラム教という一神教間の近親憎悪的『殺戮の応酬』は、留まるところを知りません。

一神教の人々が「滅ぼされても許す」「殺されても許す」というお釈迦様の思想のほんの片鱗でも身につけて欲しいと祈るば かりです。


一方、私たちの日常生活においては、遙かお釈迦様の苦しみに思いを馳せつつ、「我慢、我慢」「切れない、切れない」と心の中で唱えながら、先ずは小さ なことから少しづつ寛容度を上げて行き、自分の許容量を次第次第に大きくしていく努力をすることが重要と思っています。
                              (完)

2004年06月01日

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