Vol.9 イギリスの三枚舌外交について ~パレスチナ問題の原点として

[中東関連]

憎しみと報復の拡大的連鎖が、いよいよ最終章に入り始めたかとも思えるイスラエル・パレスチナ紛争。

他方、イラク情勢も益々混迷の度合いを深めつつあります。


パレスチナのイスラム原理主義組織ハマスの指導者ヤシン師が、イスラエルという「国家」によって暗殺されてから一ヶ月も経たぬうちに、後継者のランティシ師もまた暗殺され、PLOアラファト議長の暗殺もいよいよ現実味を帯びつつあります。
まさに傍若無人の振る舞いと断ぜざるを得ません。

もちろんイスラエル側にも言い分はあります、『ヤシンもランティシもアラファトも、ビンラーデンやサダム・フセインと全く同じテロリストである。
このまま生かしておけば我々が殺される。先制して殺す必要がある。これは正当防衛である』という。


最大の問題は、そういうイスラエルの言い分・行動を「ブッシュのアメリカ」が正面切って批判しない、批判出来ないことが、アラブ人のみならずその他イスラム教徒全体の対米不信・反米感情、あるいは無力感・虚無感を一層高め、それらがこの局面では凝縮してイラクに現れるという図式となっていることです。


かってサウジアラビアで満三年間、パレスチナ人を含むアラブの人々と親しく仕事をした経験を有する私としては、昨今の「殺戮の応酬」には本当に心が痛みます。

現下の問題は、つまるところはユダヤ教・キリスト教・イスラム教という三つの一神教間の千年以上にわたる血なまぐさい歴史の一局面と位置付けることが出来ますが、ここではパレスチナ問題の直接の原点である「イギリスの三枚舌外交」について記させて頂きます。


三枚舌外交の時代的背景


第一次世界大戦は、ご承知のようにドイツ帝国・ハプスブルグ帝国とイギリス・フランスとを両頭目とする戦いでした。


その頃、東アラブ地域(現在のレバノン・シリア・イスラエル・パレスチナ・ヨルダン・イラク)を支配していたオスマントルコ帝国(イスラム教国)は、ドイツ・ハプスブルグ両帝国と同盟し参戦しました。

イギリスはその時、この地域の戦後に関して後に「三枚舌外交」と呼ばれる、次の三つの相矛盾するカードを切りました。

(1) 【フセイン・マクマホン往復書簡】

1915~16年、在カイロの英国政府代表マクマホンは、メッカ(今のサウジアラビア)の太守フセインに対し、オスマントルコに対する反乱を起こし放逐すれば、アラブ人の独立を認めると約束。

(2)【サイクス・ピコ協定】

1916年、オスマントルコ放逐後の東アラブ地域の分割統治に関し、英仏間で秘密協定締結。

(3)【バルフォア宣言】

1917年、イギリス外相バルフォアは、戦争協力を条件に、ユダヤ人がパレスチナ地域に“National Home”を建設することを承認し支援すると約束。


第一次大戦は1918年、英仏米連合の勝利によって終結し、ドイツ・ハプスブルグ・オスマントルコの三帝国は崩壊しました。


三つの約束のうち、【サイクス・ピコ協定】は直ちに実行に移され、レバノン・シリア地域はフランスの、パレスチナ・ヨルダン・イラク地域はイギリスの、支配下に置かれました。

一方、世界各地に二千年間も離散(ディアスポラ)していたユダヤ人は、【バルフォア宣言】を拠り所に、今やイギリスの委任統治領となったパレスチナ地域にどんどん移入を始めました。

しかし【フセイン・マクマホン往復書簡】の約束だけは、【サイクス・ピコ協定】が発効した以上、幻に終らざるを得ませんでした。

アラブを愛し、アラブ人を率いてオスマントルコと戦ったイギリス将校「アラビアのロレンス」は祖国に裏切られ、アラブ人には顔向け出来ず、失意のうちに晩年事故死(一説には自殺)したことは映画の通りです。

さて、その後長い時間がゆっくりと流れ、イラクは1932年に、レバノンは1945年に、ヨルダンとシリアは1946年にぞれぞれ独立を果たし、【フセイン・マクマホン書簡】の約束は、パレスチナ地域を除き、遅まきながら実現しました。 

イスラエルもまた、パレスチナ地域の過半の土地を得て1948年に独立を果たしました。

一方、増え続けるユダヤ人移民と争いが絶えなかった、もともとのパレスチナ地域居住民(パレスチナ人)は、イスラエル独立以降四度に亘る「中東戦争」により居住地域は更に狭められ、難民だけが増え続け、独立も出来ず現在に到っています。


イランの最高指導者ハメネイ師は、

     『パレスチナ人にテロリストのレッテルをはることは歴史的な
      不正義である。
      イスラエルを支持する米国など「悪意に満ちた政府」には
      パレスチナ問題は扱えない』

と述べています(2001年のラマダン明けの説教)


1967年の第三次中東戦争後、占領地からのイスラエル軍の即時撤退を求める国連安保理決議242が、その後の再決議(338)などにも拘わらず全く野ざらしにされ続けていることをも想起する時、ハメネイ師の言葉はずしりと重く響きます。


憎しみと報復がここまで拡大したイスラエルとパレスチナ、そしてアメリカとイスラム原理主義グループ、これを正常化することは並大抵ではないと悲観的にならざるを得ませんが、少なくとも「力」で問題を解決することは絶対に不可能であると固く信じます。


イスラエル、ヘブライ大学の日本史専門家ベン=アミー・シロニー教授は、

     『世界が一神教の原理主義から分離し、日本がその一番のいい例
      となっている東洋の宗教的な寛容性を受け入れるべき時が来た
      のではないでしょうか。
      常に原理主義の犠牲となってきたユダヤ人の歴史や、その反対
      に原理主義をあまり知らない日本人の歴史は、この変化に
      何らかのインスピレーションを与えることが出来るのでは
      ないでしょうか』

と述べています(「一神教文明からの問いかけー東大駒場連続講義―」)

たしかに、事態はユダヤ教・キリスト教・イスラム教の三者間だけではもはや解決出来ないところまできているようにも見えます。
シロニー教授の言うように、ここは「和の国」日本の出番ではないでしょうか。


私達は今『日米関係は目下戦後最良』などという近視眼的な視点から離れ、来たるべき数百年を視野に入れつつ、わが国ならではの「和の思想」と構想力を自信をもって世界に示すべき時と考えています。


かって鈴木大拙や新渡戸稲造が世界に大きなインスピレーションを与えた時代に較べ、現在は科学技術の発達のお陰で世界の人々との双方向コミニケーションは圧倒的にたやすくなっています。

世界恒久平和の実現に向けて、一神教とは異なるわが国の思想・哲学を、国として、個人として、さまざまなレベルで、さまざまな方法で、今こそ世界に発信して行きたいものです。

『ユダヤ人と中国人だけが、世界にインスピレーションを与え得る』とシロニー教授に言われないうちに。

                            (完)

2004年05月01日

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