Vol.8 臓器移植法の「改正(案)」に反対!

[臓器移植法関連]

自由民主党の「脳死・生命倫理及び臓器移植調査会」(会長 宮崎秀樹参議院議員、医学博士)は、去る2月末、本人が『臓器は提供しません』という意思表示をしていない限り、家族の同意だけで臓器摘出・移植が出来るように現行の臓器移植法を改定することを申し合わせました。


「改正(案)」は、超党派の「生命倫理研究議員連盟」(会長 自民党中山太郎衆議院議員、医学博士)等とも協議の上最終決定し、この通常国会に議員立法で提出を目指すとのことです。


ご承知のように、1997年に施行された同法は、提供者本人が予め書面で『臓器を提供します』という意思表示をしている場合にのみ、摘出・移植が出来ると定めています。

これに対し「改正(案)」は、同法の根幹である【本人の意志】に係わる部分を、上記のように百八十度変えてしまうものであり、私に言わせれば「改正」どころか後世に大きな禍根を残す「大改悪」であります。


とうていこれには賛成できず、法案が上程に至らないか、あるいは否決されることを切に願うものです。

たしかに我が国では、上記の定めもあって、同法施行以来脳死移植はまだ三十件にも達していません。臓器の提供を待つ側からすれば、この定めはなんとも制約的であります。

特に15歳未満の心臓を必要としている方は、移植を受けることが法的に不可能であることから、何千万円もかけて外国に移植を受けに行く、あるいはその準備をするということが現実に起きています。

自民党調査会の今回の決定は、そういった状況下、いかにして臓器提供者、特に脳死臓器の提供者を増やすかという観点からの改定案です。

一人でも多くの命を救いたい、延命させたいという博愛的な思いが動機となっていることに疑念を差し挟むものでは全くありません。


しかしながら、臓器移植とりわけ脳死移植という医療は、極めて厳粛かつ甚大な問題を孕んでいます。


このことは、私の「コラム」vol.4 『臓器移植法の見直しに思う』に記させて頂きましたのでここでは繰り返しませんが、結局のところ移植医療というものは、
 
     "他人の《死》に依存する医療、他人の《死》を待望する医療"

であり(生体移植の場合は《死》の代わりに《手術》)そういう医療は、人間の飽くなき欲望や商業主義とも相俟って、長期的には我々の倫理観、社会秩序ひいては文明文化に計り知れない悪影響をもたらすと確信しています。


百歩譲っても、移植は【提供者本人の意志】を基本とするという一線だけは、絶対に超えてはならないものと考えています。


当面は、超党派の「脳死を人の死としない立場から脳死・臓器移植を考える議員の会」(代表 民主党金田誠一衆議院議員)を始めとする見識に富む動きに大いに期待をするものですが、万一この「改正(案)」が上程された場合は、医学界内の様々な見解はもとより宗教界・法曹界・教育界などの意見を幅広く聴取の上、呉々も拙速に走ることなく慎重の上にも慎重な審議を切望するものです。


『小善は大悪に似たり、大善は非情に似たり』という言葉があります。


善いことをしているつもりでも、それは長い目で見ればより大きな悪をもたらすものではないか? 大きな善のためには、時に非情・無慈悲なことでも行う勇気があるか? を鋭く問いかける言葉だと受け止めています。


今この言葉の重みに改めて身が引き締まる思いです。
                                (完)

2004年03月01日

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