Vol.4 臓器移植法の見直しに思う

[臓器移植法関連]

97年10月に施行された臓器移植法は、施行後3年を目途として見直しをすることが附則で定められています。

見直し作業は自民党の調査会を中心に進められていますが、そこでは、現在認められていない15歳未満の臓器提供を一定の条件下で認めることを含め、「臓器の提供者」をいかに増やすか、という方向で議論が進んでいる様子です。


欧米諸国の実情等を見聞きするにつけ、国内で脳死移植を必要とされている方々やそのご家族・関係者からすれば、我が国の現状はなんとも歯がゆいばかりであり、一日も早い「臓器不足解消」、法律改定を望んでおられることは十二分に理解できるところです。

しかし前記「3年を目途として」に関する附則第一条は、『この法律による臓器の移植については、この法律の施行後3年を目途として、この法律の施行の状況を勘案し、その全般について検討が加えられ、その結果に基づいて必要な措置が講ぜられるべきものとする』とあり、見直しは「全般について」即ちあらゆる角度から行うべきことが謳われています。


さてそれでは「勘案」すべき「この法律の施行の状況」はどうなっているのでしょうか?

施行後すでに6年が経過するのにこれまでの脳死移植は30件にも達しておりません。毎年何千件も行われている米国などとは極端な開きがあります。

また見直し開始から既に3年も経過するのに「必要な措置」が講ぜられるに到っておりません。


そういった「状況」をいかに「勘案」すべきでありましょうか?


『我が国は遅れている、国民の意識が低い』という見方が多数意見のようですが、私はその「状況」に、欧米人とは異なる日本人の死生観が反映されているのではないか、そのあたりを謙虚にそして慎重に勘案すべきではないか、と考えております。

ご承知のように「脳死」というのは、心臓はまだ動いており、体もまだ温かい状態でありながら、体の一部である「脳」が死んだという段階で、人間全体を死んだとする新しい概念です。


なぜこの概念が創られたか、それは脳以外の「生きた臓器」を「死体」から取り出して移植する為であります。


もちろん、移植によって貴重な生命を救われる方々がおられますが、この概念は「人の死」に対する人類の永年の受け止め方と対処方法をガラリと変え、生と死とをまさに渾然一体としてしまう、なんとも斬新かつ残酷な概念であります。

やはり我々日本人にとっては「人が死ぬ」ということは、心臓が止まり体が冷たくなってようやく実感するものではないでしょうか?(もっとも欧米各国においても、脳死移植が日常化する裏側で、脳死という概念に対する反対論が増えてきているという注目すべき現実もありますが)

『はい、脳が死にましたのでこの方を死亡と判定します。直ちに臓器の取り出し作業に入ります』と医者から言われた場合、家族はどう感ずるでありましょうか? 


私であれば恐らく『解りました。先生ありがとうございました。
でもせめて、心臓が動いていてまだ温かい間だけは、臓器を取り出さないようにお願いします』と懇願すると思います。
それが臨終の場に立ち会っている肉親の正直な感情というものではないでしょうか?


「脳死移植」は、「生きた臓器」を「提供する」側と「待つ」側の両方の気持ちが私心なくひとつになれれば、心から絶賛すべき献身的行為だと考えます。

しかし形而上の問題として、次のような極めて恐ろしい側面を持っていることも事実です。


先ず第一に、「脳死者」の魂に空前絶後の痛みと衝撃を与えるということです。
その影響がいったいどういう形で将来人類に現れてくるのか、全く計り知れません。


次に、「待つ」側はごく自然な感情として、他人の「脳死」を心待ちにするようになり、内心では、まだかまだかと他人の死を祈るようになり勝ちです。
なんともむごい想念ですが、その想念の拡がりと行き着く先にはもっともっと恐ろしい事態も待ち受けているような気がします。

衆議院議員の河野太郎さんは、ご自身の父君へ生体肝移植をされたまさに献身的なご体験から、わが国では「脳死者からの生きた臓器の提供」がなかなか増えないために、「生きた人間を切り刻む」残酷な生体移植をせざるを得ない旨の意見を述べておられます。

しかし形而上の世界を視野に入れながら人類の長い将来も見据えて考えた場合、どちらがより残酷なことなのか、即断は極めて危険であると考えております。


臓器移植法が施行後6年を経過しても移植例がまだ30件にも満たないというわが国の現実には、永年の伝統に基づく日本人の本能的な叡智が隠されているとは考えられないでしょうか? 


当時の中国では当たり前であった「宦官」や「纏足」がわが国では決して定着しなかったことと軌を一にするものではないでしょうか?


さはさりながら、「脳死移植」がわが国でもここまで来た以上、この時点からの「逆戻り」は、理想ではあっても非現実的であることは、私も認めざるを得ません。


残された現実的な道は、性急な法律改定を避け、現状のままで「施行の状況」を引き続き更に長期に亘り客観的かつ謙虚に「勘案」し続け、じっくり時間をかけて「その全般について検討を加える」ことであろうと考えております。

脳死移植を必要とされている方々にとっては、私の意見はなんとも冷酷で「人殺し」とも呼びたいお気持ちかと思います。そのお気持ちは本当によく理解できますし、とても面と向かっては反論できません。

解決は個人の意思・気持ちを包含しそれを超える新たなる哲理の確立に委ねざるを得ないものと考えています。
                              (完)

2004年01月01日

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